厚い雲が空を覆う。昨日とは異なる空の色を見上げながら周辺を歩く。休日の今日は、時間に束縛されることなくのんびりと過ごすことができる。それが一番嬉しい。


 散々苦しめられた腰痛は、何も手当てせず、自然に放置しているうちに、痛みが薄れ、立ち上がる際のひどい痛みもなくなった。私の場合、あれこれバタバタと治療に励むと、よけいにひどくなるようだ。結果論だが、そんなふうに感じてしまう。明日から普通に仕事ができればありがたい。そう思っている。


 後期高齢者になり、否が応でも先々のことを意識しなければならなくなった。友人の多くが他界し、病気で会えない人もいる。高校時代の友人から連絡が来て、会いたいね、会おうよとなっても、なかなか会えない。私の作品が、入選したことを知らせると、我がことのように喜んでくださった友人も、今は病床で苦しんでいる。見舞いに行きたくて病院を教えてもらおうと思っても、教えてくれない。弱った自分を見られたくない、そんな思いが強いようだ。


 人はいつか死ぬ。当たり前のことなのに、それを素直に受け入れることは難しい。これまで私は、臨死体験を何度か経験したことがある。死を意識すると、かえって生への思いが強くなる。生きよう、生きたい。生きなければ、その思いが、やがては、生に執着することよりも何かを成さねば、その思いに取って変わる時がある。何のために自分は生きて来たのか? そのことを問うよりも先に、この先、自分は何を成すべきか、そのことの方が大事だと思うようになる。生きることとはそう言うことなのだろう。無為に生命を燃焼させたくない。明日に命を断たれても、明日を夢見て今日を生きる。そんな生き方がしたいと思う。だから、今日を懸命に生きよう。明日につながる作品を書き続けよう、切にそう思っている。

 75歳4ヶ月、心はいつも青春期だ。身も心も弾けたい。エイエイオーだぞう❗