おこがましいですが、一応政治家の端くれになっています。
「政治」とか「選挙」と言うと、一般的に嫌われているような気がします。不確かですが感覚です。
自分がやるものじゃなく、「議員」がやるもので、我々(選挙民)すべてに公平にに益をもたらさなければ「悪」である存在。
とでもいうのでしょうか? うまく表現できませんが、完璧でスーパーマンでなければならない存在。かな?
そんな風に思われて(実際はそうは思ってもいないが、そうあらねば議員にあらず。反省しろ的な。)いると感じたりします。
実は、自分が議員になる前の心情もそんな感じでした。だからしょうがないと思います。
議員とはいい振りこいて陰では税金から報酬をもらう事しか考えていない人で、だから政治は悪いことに利用されやすい。
イコール、政治は怪しい。
最近思うのですが、「政治」が我々の生活に影響を与えているなぁと強く実感します。
例えば、勤めていて給与が生活に足りないとか、商売が働けど働けど苦しいとか、子どもにもっと高等な教育を受けさせたいが経済的にできないとか、介護で大変で経済的に負担が大きいとか、これらは意外と自分が努力不足だとか、自分のせいだとか思うものではないでしょうか?
しかし、冷静に考えてみると、それらを政治で解決できないことなのか?と思ったりします。
というよりも、政治の欠陥としてただ弱者が犠牲になっているのではないか?
本当に個人のせいだけで苦しい環境に置かれているいるのか? 非常に疑問がわきます。
「情報弱者」とかいうそうですが、それは知らないだけで、情報がないだけで、知った上で声を上げれば動かせるかもしれない。
それが「政治」ではないのかな? と知った風なことを・・・。
政治は自分のことなんです。もっと身近なもので自分自身のことではないのか?
誰かが、政治家が、知事が、村長が、議員がどうにかしてくれるだろう。だから議会とか選挙は関係ないや。
そう思う気持ちもわかりますが、それは政治に参加していないこと、自分の生活がよりよくなることを自ら放棄事しているような気がしています。いまさらですが。
出来なかったら「やめろ!」ではなく、政治は国民全体で、村民全員でやるもので、だから選挙があります。
選挙で議員になったから、完璧な存在になれるわけではなく、たまたま村民の一部から議会の場に参加できるイチ村民・イチ国民です。
大西つねきさんの講演依頼の件で、こちらの団体側の問題で色々とやり取りがありました。
そのことだと思うのですが、今日の動画に配信されていることで上記のようなことを思いました。
中々政治団体とか政党名を出せば受け入れられないという事がやはりあるようです。
政党名での肩書は、選挙利用されたり、政党の宣伝をし他政党の批判をするというような疑いをもたれるという事だと思うのですが、まさに今回の久慈講演でそんな感じになりかけました。
わたくし個人としては、その中身を聞いてもらい、そしてそんな社会になるように、「こんな考え方とか方法があるんだ。」と分かってもらうことがとりあえずの目的です。
多くの講演者の方がいます、また、来ました。新たな考え方、専門的視点、知らなかった情報を知る。そのことによって考え方の選択肢が増え、どのように思うかは聞いた人それぞれの勝手です。そんな思いです。
動画でも言っています。「政治に触らないように、触らないように避けようとする。何かというと政治利用みたいなことが言われます。しかし、政治って本来すごく大事なもので、政治ってのはみんなのためであって禁止されるようなことではないんですよね。」
「自由なんてものは、政治なしにはあり得ないことだと思うんです。」とも言っていますが、その意味は、先に書いた「情報弱者」の話と通じるところがあります。
政治は政治家のことでなく、我々国民の生活のことが「政治」です。
そう感じますが、今の政治は政治家のためにあります。だから誤解されます。
今からくろさき荘で河津町議会議員との交流会です。