育ってきた環境、職場、一番長く身を置いた環境etc


これによって人生はかなり変わる。


考え方も人それぞれ。

常識も(礼儀や言葉使いのような基本的な常識は除く)人それぞれ。


自分の常識と、他人の常識が違うのは当たり前。

肯定する部分もあれば、否定する部分もある。


『人としてどうかと思う。』


↑これ、完全なる否定ですよね。


考えうんぬんじゃなくて、人間一人を完璧に否定してる。


否定するのもされるのも当たり前。


する側はする側で、その人の考えに歩み寄り、された側はされた側で、意見を聞き入れないのではなく、否定した側に歩み寄る。


これがすごく大事だと思う。



昔の僕なら歩み寄りは出来なかった。


自分が正しいの一点ばかりだった。



でも今は、歩み寄る事ができる。


歩み寄り、時には傷つき、時には喜び、そうして成長していければ、きっと素晴らしい人になれる。


僕はそう信じたい。

『死』とは何か?


最近、僕はそんな事を考える。


この世は『生』と『死』で成り立っている。

今、こうしてブログを書いている間にも、『生』が誕生し、『死』も誕生している。


五体満足、余命も宣告されていない人が、『死』を考え、『自殺』をする。

どんな悩みや恐怖を抱えてるか、僕は100%解らない。

でもそれは、あまりにも贅沢な選択だと思う。


足が無い方、腕が無い方、失明してる方、耳が聞こえない方、職を失いホームレスになった方、癌で余命を宣告された方、AIDSを宣告された方、etc


こういう方々は、1度は『死』を考えた事があると思う。


でも、何らかの理由で、必死に『生』にしがみついている。

『死』が常に隣り合わせかもしれない。

それでも必死に。ただ必死に。


失礼かもしれないが、可哀想だなと思う。


でも、そういう方々が懸命に生きているからこそ僕は、

『五体満足でよかった』

『まだ命があってよかった』

と考える。


辛い、苦しい、怖い、死にたい。

五体満足で、余命も宣告されてないくせに、こんな考えばかり浮かんでしまうのは何故か。

僕には逃げてるようにしか見えない。

なんて贅沢な事言ってるんだろうとしか思えない。


辛くても、苦しくても、懸命に『生』にしがみついてもらいたい。


考えたって、アクションを起こさなければ、結局何も生まれない。


だったら簡単な事。

アクションを起こせばいい。

『死』に対してではなく、『生』に対して。


僕にはできない。

私にはできない。


んなわけあるか。


できないんじゃない。
本気でやろうとしないだけ。



考えればとても簡単な事。



やるか、やらないか。



結局この世はこの2択。


だったらやりゃいい。


やって自分の経験値にすればいい。



自分を消して、生まれ変わる事を望まないでほしい。

生まれ変わりを期待するなら、現在の自分を少しずつ変えていけばいい。


たった1度の人生。

『死』に時間を使うなら、『生』に時間を使い、己を磨く事。

一人でできないなら、誰かの力を借りればいい。


東京、大阪、名古屋、福岡、仙台、それぞれの大都市だって一人で作ったわけじゃないんだし。

はぁ~、何言いたいか分からなくなってきた。笑
(´・ω・`)

とにかく、『生』に時間を使ってほしいというお話でした。笑
★CーYah★の戯れ言-091204_1806~0001.jpg


点検点灯してました。


ちょうど姫と歩いて帰ってたら、いきなりついてビックリあせる


すごいキレイだったなぁ。



本格的に始まったら見に行きたいけど、カップルで行くと別れるというジンクスが汗



どうしよっかなぁ。笑



姫と見に行きたいなぁ。



あっ、うちらはカップルぢゃなくて夫婦だから大丈夫かな

(*゜▽゜ノノ゛☆