バブル景気とその後 | むーのブログ

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 私が新卒で就職したのは昭和61年でバブル経済の真っ只中だった。そして、就活生にとっては売り手市場だったので、あまり就活に真剣にならなかったにも関わらず、ある印刷会社にすんなりと内定が決まった。

 

 当時は新卒の人材をめぐって企業は募集に必死で、就職を希望する学生を集めてクルーズ船でツアーを組んでいたのをテレビで見たのをよく覚えている。旅行気分が抜けない学生たちは、会社の説明をろくに聞いていなかった。とにかく当時のバブル景気はそれほど異様な空気だったのだ。

 

 まだまだその頃は終身雇用、年功序列が当たり前の時代だった。なので就職したこの会社に定年まで勤め上げるのだろう、と漠然と思っていたものだ。まだ勤続◯十年で表彰されるという習わしが残っていた頃だ。長年勤めることが一つのステータスとなっていた。

 

 しかしバブルが崩壊し、それまで羽振りがよかった会社もだんだんと景気が悪くなっていった。というよりも普通の状態に戻ったと言った方が正確だろう。


 バブル崩壊の煽りを受けて、会社では一人ひとりの労働負荷が増え、それがだんだんとプレッシャーとなっていった。そしてその頃には終身雇用、年功序列というシステムはもはや用をなさなくなってきつつあった。もう会社にしがみつく必要はなくなっていた。

 

 今度はやってみたいと思っていた仕事をしたいと思い、全く畑違いの介護業界に飛び込んだ。それまでとは随分と勝手が違ったが、利用者さんと直に向き合う仕事は、自分が人様のお役に立っていると思わせられるには十分だった。

 

 転職は勇気のいる決断だったが、それからは何事も決断するのに度胸がつくようになった。たいていは何とかなるものだと実感するようになったのだ。

 

 




エッセイの意図

 

昭和そしてバブル景気にどっぷりと浸かっていた頃に気が乗らないまま就職活動をし、就職が決まった会社では特にその仕事に意義を見いだせないまま惰性で過ごしてきました。そのツケが回ってきたのか、会社は経営悪化でブラック化し、次々と社員が辞めていき、残された一人ひとりの社員の負担は重くなるばかりでした。そのせいで自分自身、鬱に近い状態になり、もはや心は限界に来ていました。そして勇気を奮って退職届を出して転職を決断し、やってみたい仕事に就き、そこでようやくやりがいのある仕事を見つけることができました。今考えると、人生の危機が自分を行動に駆り立ててくれたと思います。