あきらめが肝心 | むーのブログ

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 私は軽度の聴覚障害があるので、新しい環境で仕事を始めたり、初めての人に会ったりするときはまず、自分の耳のことをあらかじめ周囲に説明しておく。そうしておけば、その後は相手の言葉を聞き取れなくて聞き返したりしても、相手を戸惑わせることはない。しかし、これが例えば発達障害だとあらかじめ自分から説明してくれる人はまずいない。それどころか、自分で発達障害だということがわかっていない人も中にはいるかもしれない。

 たまたま会ってしまう人の中に、できれば自分に声をかけてほしくない人がいる。もしその人に同じ場所で遭遇したら、本でも読み始めて、話しかけないでくれ、というオーラを自分からかけるようにして、何とか話しかけられないように頑張ってみる。けれども、うかつにも声をかけられてしまったら、お人好しの自分はその人の長い話に耳を傾ける。そうなのだ。とにかく話が長い。そして一度話し出したら止まらない。うんうんと相槌を打ちながらも、質問などしようものなら、延々と付き合わされる羽目になる。下手をしたら、日が暮れるまで帰らせてもらえなくなる。

 話しが面白ければまだいいのだが、申し訳ないのだけれど聞いていてちっとも面白くないのだ。退屈な時間ばかりが過ぎていく。どうもその人は、相手の表情やしぐさを読むのがとても苦手のようで、相手が話しを聞くのを嫌がっていることには全く気づいていないよう。相手の立場を想像することができないのだ。

 一方でその人には悪気がないというのもわかるのだ。話しを聞いてくれる相手がいて、よほど嬉しいのか、こちらの気も知らずに、とても楽しそうに話している。憎めないのである。だから話しかけられたら最後、もう観念するしかない。話しを聞いてあげるだけで幸せな気持ちになってくれるのならと、諦めている。こちらもこうして、今書いているエッセイのネタを提供してもらっているのだから、良しとしよう。