年をとると「余計なお世話」におもいをめぐらせてしまいがちだなぁ~(笑)
お墓問題なんだけど・・・
最近は、墓守りをする人間が居なくなり、新興都市部の分譲墓地区画ですら、荒放題のお墓が沢山あり、樹齢数十年の大松がおいしげっている始末に胸を痛める。。
お墓が廃れる要因はなにか?
少子化、晩婚化、核家族化、離婚率上昇、夫婦間家庭内別居化(かなり深刻らしい)なり、諸々問題点があると思われる。
家庭内での原因だと嫁姑問題が主あり、嫁が姑と同じ墓には入りたくないという、至って「ワガママな理由」が多数をしめているらしい。(嫁姑の因果はなんとなく理解できるはず。
現代社会学に於ける「基礎集団」からみる「家族」の定義とは・・・
「家族とは、夫婦関係を基礎として、親子、きょうだいなど少数近親者を主要な成員とし、成員相互の深い感情的包絡で結ばれた、第一次的な福祉追求の集団である」とし、「生活共同集団の一種である」となる。
マードック理論をおもいきりはしょって(笑)
家族形態を引いてみると以下のようになる。
①夫婦家族
夫婦とその未婚の子供によって構成される。核家族が単独で存在する形態であるから、これを単に核家族と呼ぶ人が多い。
②直系家族
夫婦と未婚の子供、及び一人の既婚子とその配偶者、彼らの子供からなる。二つの核家族が既婚子を要として世代的に結合した形態である。
③複合家族
夫婦と未婚の子供、既婚子と彼らの配偶者と子供からなる。複数の既婚子が共属する定位家族を要として、複数の核家族が世代的及び世代内的に結合した形態である。
で、お墓に入らない理由が何故ワガママか?を。
また安直だな~(笑)
オッサンの独り言的に理解していただけたら幸甚です。
「現代」の婚姻、家族形態の因子は、そもそもアカの他人との組み合わせで成立する。子供が生まれた場合、孫が生まれた場合、という命の連帯で集合体化し、共生していくものを前提とした場合。日本人の文化的価値観、習俗的価値観に立脚した視点を保ってみてみれば、己のワガママ(社会共生的概念上も)なんてのは、子や孫が居れば悪影響以外の何物でもなく、祖父母が居れば心配のもとになる。
子、孫に対する悪影響とは、もちろん倫理上の「道徳」である。
祖父母の心配の種は「物事の道理」と「墓守り」である。
では、道徳の根源とはなんぞや?
儒教や仏教の難しい話しはおいといて(笑)
端的には「お墓参り」であり「神社参り」。
昔は(私の年代)仏壇の前に連れていかれてゲンコツもらったもんです。。
何故か?ご先祖様に顔向けできない行為をすると、ご先祖様にみてもらいながら、ゲンコツをもらう。つまり、死者となり、尊崇の対象となった縁者である、仏様や神様の目の前で、罰をうける。
当家の習わし上、当たり前の、「教義」でした(笑)
でも、これが日本の「道徳」であり「道理」なのは皆さんもご存知の通りかと思います。
古来から、日本では「祭祀者」により、国の政(まつりごと)を託され、託された者が国を政を運営してまいりました。
その源泉の規範であるのが「道徳」であり、最大対象が道徳心をもってしての「死者」への祭り(まつりごと)なのです(はしょります)。
つまり、今でも、仮に嫡子など(長男、長女など)の墓地継承者としての立場である場合、その人は「祭祀者」とよばれます、法律的にも。
すなわち、墓地継承者は「道徳規範継承者」でもあるわけです。(私仮説上は(笑))
「まつりごと」は古代から現代まで連綿と続いているわけですが、教科書で習った、習ってない、聞いたことある、なしを含め、事実として「祭祀者」としての位置づけがれっきとしてあるわけです。。
その祭祀者の根本規範が「道徳」である以上、ご先祖様より命を授かっている以上、第一義の家族の拠り所は「道徳」であることは疑いのない事実です。
元来日本人は、その道徳観が習俗となり、教義としてより哲学化し、ご先祖様への供養を通して、霊(みたま)を慰める行為を通して「道徳」を根本規範として結実させてきたのです。
墓地や神社なんかに行くと特に感じますが、ゆるーい優しさと温もりと「畏れ」を感じます。
道徳観の時空醸造の歴史的成り立ちと、唯一神教聖典をもつキリスト教やイスラム教やユダヤ教の創造と支配を絶対と断ずる物の見方や考え方とは、正反対にあるのが我々日本人がもつ「道徳観」なんだと私は思うのです。
例えばキリスト教やユダヤ教の「終末思想」の「恐怖」は表面上の理解はできます。
が、あの世に行った時にお墓をほったらかしにしていた罰の、じいさんの「ゲンコツの恐怖」には到底かないません(笑)
お後がよろしいようで(笑)
あ~また仕事が遅れる~(汗)