人の言葉に疲れた人のための傾聴ノート ― 自分を責めない50代からの心の整理 ―

人の言葉に疲れた人のための傾聴ノート ― 自分を責めない50代からの心の整理 ―

(傾聴で心を整理する人)
人の言葉に振り回され、自分を責めてきた人のための傾聴ブログ。50代、韓国生活での体験をもとに、気持ちを無理に変えず、心の声を整理する視点を綴っています。

私はいつから、
人の期待を優先するようになったのだろう。


自分よりも相手を大切にし、
空気を読み、
「いい人」でいようとしてきた、この生き方は、
どこから始まったのだろう。


人生の舵を少しずつ自分に戻そうとしたとき、
その問いが、静かに浮かんできました。

韓国生活も年月を経て少し余裕が出てきた時でした。

人生の舵を自分に戻すために、
私はまず、
「なぜこう生きてきたのか」を
静かにたどることから始めました。


幼い頃を振り返ると、
そこには「愛されたい」という、とても自然な願いがありました。

両親、特に母の苦労をそばで見ながら、

「心配をかけてはいけない」
「迷惑をかけてはいけない」
そう感じていたように思います。


自分が欲しいものや、やりたいことを口にすることで、
誰かを困らせてしまうのではないか。

そんな不安が、いつの間にか心に根づいていました。

だから私は、
人の期待に応えることを選びました。

言うことを聞き、空気を読み、
周りが喜ぶ姿を見ることで、
自分の存在価値を確かめていたのだと思います。


それは、
愛されるために、
必死に生き延びようとした、私なりの方法でした。


けれど、大人になるにつれて、
その生き方は少しずつ苦しさを伴うようになりました。

自分が何を望んでいるのか分からない。

やりたいことも、欲しいものも、思い浮かばない。

周りに合わせることに疲れ、
それでもうまく生きられない自分を責め、
心が混沌として、うつっぽくなった時期もありました。


自分の本当の願いに沿って生きてこなかったことで、

「私は何者なのだろう」
そんな問いだけが、深く残っていった時期がありました。


けれど今は、
人の期待を優先してきた人生が、
間違いだったとは思っていません。


それは、
愛されるために、
必死に生き延びてきた私なりの選択でした。

当時の幼い私にとっては、
それが精一杯の、生きるための選択だった。

今は、そう思えるようになりました。


人の期待を優先してきた自分を、
無理に変える必要はありません。

ただ、
「それは何を守るためだったのか」
そう問いかけてみるだけで、
見えてくるものがあります。


人生の舵を取り戻す道は、
過去を否定することではなく、
その選択に、そっと意味を与えていくこと?


静かに振り返り、
理解し、
自分に戻っていくことから始まるのかもしれません。

今日は、仕事を終えたあと

なんだか胸の奥が重たいままでした。

何気なく交わした夫の一言が、
車に乗ってからも、頭の中で何度もよみがえってきて。

私はなぜ、こんなにも人の言葉に疲れてしまうのだろう。

そんな問いが、心に浮かびました。



私はソウルで、韓国人の夫と一緒に掃除の仕事をしています。

毎日二人で車に乗り、いくつかの現場を回る仕事です。


その日は、とても寒い冬の日でした。

夫は「早く仕事を終えて帰りたい」という気持ちが強かったのだと思います。

一方で私は、
「仕事はきちんと終えてから帰りたい」
そんな思いで、最後の片づけをしていました。


もう少しここも、あそこも。
私なりに仕事をまとめていたつもりだったのですが——

夫はそれが気に入らなかったようで、
「どうしてそんなことをするんだ」
「そんなことやらなくていい」
と、不満をぶつけてきました。

さらに、
「体が痛いとか言ってるくせに」
と、声を荒げられたとき、
胸の奥がカチンと固くなるのを感じました。


夫の言葉にカチンときながら、
同時に、心のどこかで

「私が余計なことをしたのかな」
「私のやり方が悪かったのかもしれない」
そんな声が浮かんでいることにも気づきました。


こうして、日常の小さな場面から、
喧嘩は始まっていくのだと思います。



しばらくして、私は少しだけ立ち止まりました。


どうして夫は、あんな言い方をしたのだろう。


よく「アイメッセージ」という言葉がありますよね。

相手を責めるのではなく、

「私はこう感じている」と自分の気持ちを伝えること。

もし夫が、
「今日は寒いし、早く帰りたい」
そう素直に言ってくれていたら

私はきっと、
「本当に寒いよね」
と共感して、

「じゃあ、これだけやって早く帰ろう」
そう言えたはずでした。


でも実際は、
私の行動を責める言葉として伝えられた。

だから私は、
自分のやり方を否定されたように感じて、
心が反発してしまったのだと思います。


自分の気持ちを正直に伝えられないことで起こるすれ違い。

これは、特別なことではなく、
きっと「あるある」なのだと思います。


そして、ここで気づかされたことがあります。

それは、
私自身も、自分の気持ちを言えなかった時期が長かった
ということ。

だからこそ、
夫がうまく気持ちを言えないことに対して、

「そうだよね」と理解できる部分もありました。


人の言葉に疲れるとき、
私たちはつい

「相手が悪い」
「自分が悪い」と
どちらかに答えを求めてしまいます。


でも、
言葉の奥にある「気持ち」に目を向けると、

見える景色が少し変わることがあります。


これからは、
お互いに少しずつ、

「今、私はこう感じている」
そんな気持ちを言い合える関係を作っていけたらいいな。

そう思えた出来事でした。


人の言葉に疲れやすいのには、
もしかしたら、ちゃんと理由があるのかもしれません。





次は、
「なぜ私たちは、自分の気持ちより相手を優先してしまうのか」
そのことについて、もう少し振り返ってみたいと思います。
🌱
ここまで読んでくださって、ありがとうございます。


私の夫は韓国人ですが

ある時
夫が具合が悪くなり

なかなか良くならず

いくつもの病院を点々とする時期がありました。


本人もつらく、イライラしていて

私も一緒に病院へ付き添いながら、

正直

心も体も疲れてきていました。



「どうして良くならないんだろう」

「この病院じゃだめなのかな」

「次はここに行ってみたらどうだろう」


そんなふうに
夫も私も
“どうしたらいいか”ばかりを話していたように思います。


あまりにも
事が停滞してる感じがしたので

「どうして私は、今この経験をしているんだろう?」

そんな風に思いました。


私が何を言っても
夫は耳を貸しません。


私自身もイライラ


「こうしたらいいんじゃない?」
「ああした方がいいんじゃない?」

と、いつの間にか解決策ばかりを口にしていました。


するとある時
夫が少し声を荒げて言ったのです。

「あなたは、自分の気持ちを共感してくれないよね!」


その言葉を聞いた瞬間

ハッとしました。


それは、かつて私自身が

夫に対して感じていた気持ちと
まったく同じだったからです。



以前
私が悩みを話したとき

夫は次々と解決策を提案してくれました。


でもそのときの私は


「そうなんだね、辛かったね」
と言ってほしかっただけ。


「そうじゃない」
「気持ちをわかってほしいだけなのに」

と、むしゃくしゃしていたのです。


今回の出来事で

私は自分が
同じことをしていたのだと気づかされました。


本当に「話を聞く」ということは

時に
相手を助けることでも
正しい答えを出すことでもなく


ただ
その人の気持ちのそばにいることなのかもしれません。


そして

「どうして私は、今この経験をしているんだろう?」

と立ち止まって見つめてみることによって


そこには
自分自身が気づきたかった大切なテーマが

静かに待っていたように感じました。


出来事そのものではなく

そこから何に気づくか。


その積み重ねが
私たちを少しずつ
元通りにしてくれるのかもしれません。


この経験を通して

私は
「共感してほしい気持ち」を

かつての自分と重ねて見ることができました。


出来事の意味を静かに見つめると

そこにはいつも

自分自身へのメッセージが隠れているように思います。




最近、

私が大切にしていることがあります。


それは「自分を、しんどい考え方の中に置き続けないこと」。



無理に前向きにならなくていい。

頑張って強くならなくてもいい。


これって中庸?



ただ、少し立ち止まってこんなふうに自分に聞いてみます。


今、私はどんな考え方をしているかな。



その考え方は、今の私を楽にしてくれているかな。


深呼吸しながら、そっと自分に問いかけてみる。


もし、ちょっと重たいな…と感じたら、無理に変えなくていいので少しだけ、違う考え方を選んでみる。



自分の幸せのために、考え方を選び直してみる。


それは甘えではなくて、自分を安心させてあげる行為だと私は思っています。



家族だからこそ、分からないこともある



家族って、一番近い存在ですよね。

だからこそ「言わなくても分かってほしい」そんな気持ちが出てくることもあります。



でも現実は、家族であっても考えていることや感じ方はそれぞれ違います。



私が少し楽になれたきっかけは、この考え方でした。


「家族でも、ちゃんと話さないと分からないことがある」


そう思えるようになると、


伝えること=わがまま

話すこと=ケンカ


ではなくて、


話すこと=調整

伝えること=大切にすること


に、少しずつ変わっていきました。



相手を責めなくていい。

自分を我慢させなくてもいい。


ただ、自分の気持ちを後回しにしないこと。



それだけで、心は少し楽になるのかもしれません。



今日はひとつだけ、

自分を安心させてあげる選択ができたら

それで十分かもしれませんね。



🍀




自然は、私たちを静かに癒してくれる存在だなと感じることがあります。



若い頃のように、勢いだけでは進めなくなった今だからこそ、

そのやさしさが、心にしみることもあるのかもしれません。


忙しい日々の中で、
気づかないうちに、心に疲れがたまっていることがあります。


理由ははっきりしなくても、なんとなく重たい。

何もやる気が起きない。


そんな時、
私たちの心の深いところでは

自然を求めているような気がします。



部屋に小さな花を飾る。
観葉植物に水をあげる。
公園を少し歩いてみる。

それだけで、気持ちがふっと緩むことがあります。


山や川、海、温泉。
遠くへ行かなくても、身近な緑に触れるだけで、心は反応します。


森林浴やマイナスイオンという言葉があるように、
自然は、何も言わずに心と体を整えてくれます。

アーシングもそうですよね。
素足や素手で、直接大地を感じて、地球との繋がりを確認できる。


「自然な雰囲気がいい」
「自然な感じでいられる」

そんな言葉を心地よく感じるのは、
心も体もはっきりと自然を感じているから出てくる言葉であり、

無理をしていない自分に戻れているからかもしれません。


知らず知らずのうちに、心と体は自然へ、そして本来の自分へ戻ろうとしている。


それは、無理やりすることで起こるのではなく、
ゆるめることで、静かに起こる回復なのだと思います。


空を見上げる。
風を感じる。
緑に目を向ける。

それだけでも、心は少しずつ元に戻っていく。


自然は、今の私たちにとって、いちばんやさしい味方なのかもしれません。


自然がそこにいてくれる。


ありがたい存在たち。

そう思ったら
自然のために何か出来ないかな?

そんな思いが出てきました。


自然をていねいに感じてみる。
大切なことですね。


🍀