人の期待を優先するようになったのだろう。
自分よりも相手を大切にし、
空気を読み、
「いい人」でいようとしてきた、この生き方は、
どこから始まったのだろう。
人生の舵を少しずつ自分に戻そうとしたとき、
その問いが、静かに浮かんできました。
韓国生活も年月を経て少し余裕が出てきた時でした。
人生の舵を自分に戻すために、
私はまず、
「なぜこう生きてきたのか」を
静かにたどることから始めました。
幼い頃を振り返ると、
そこには「愛されたい」という、とても自然な願いがありました。
両親、特に母の苦労をそばで見ながら、
「心配をかけてはいけない」
「迷惑をかけてはいけない」
そう感じていたように思います。
自分が欲しいものや、やりたいことを口にすることで、
誰かを困らせてしまうのではないか。
そんな不安が、いつの間にか心に根づいていました。
だから私は、
人の期待に応えることを選びました。
言うことを聞き、空気を読み、
周りが喜ぶ姿を見ることで、
自分の存在価値を確かめていたのだと思います。
それは、
愛されるために、
必死に生き延びようとした、私なりの方法でした。
けれど、大人になるにつれて、
その生き方は少しずつ苦しさを伴うようになりました。
自分が何を望んでいるのか分からない。
やりたいことも、欲しいものも、思い浮かばない。
周りに合わせることに疲れ、
それでもうまく生きられない自分を責め、
心が混沌として、うつっぽくなった時期もありました。
自分の本当の願いに沿って生きてこなかったことで、
「私は何者なのだろう」
そんな問いだけが、深く残っていった時期がありました。
けれど今は、
人の期待を優先してきた人生が、
間違いだったとは思っていません。
それは、
愛されるために、
必死に生き延びてきた私なりの選択でした。
当時の幼い私にとっては、
それが精一杯の、生きるための選択だった。
今は、そう思えるようになりました。
人の期待を優先してきた自分を、
無理に変える必要はありません。
ただ、
「それは何を守るためだったのか」
そう問いかけてみるだけで、
見えてくるものがあります。
人生の舵を取り戻す道は、
過去を否定することではなく、
その選択に、そっと意味を与えていくこと?
静かに振り返り、
理解し、
自分に戻っていくことから始まるのかもしれません。


