歴代好きな力士10 | reggieのブログ(。-_-。)

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名古屋在住のオッサン。レジー・ミラー、所蔵4000枚のCDの中からオススメを紹介するコーナー、名所・珍スポット訪問記、売れない寿司を紹介するコーナー、仕事への愚痴、独り言などを書いております。

ふぅ…


今日は大相撲で好きだった力士ベスト10を書いていこう!


①貴闘力

 

しこ名通りの闘志あふれる取り口で人気を集めた貴闘力。吾輩がもっとも応援してきた力士じゃ。

1983年春場所の初土俵以来、無休で土俵を務め、通算連続出場は歴代3位の1456回を記録した。闘争心むき出しの強烈な張り手で上位陣を脅かし、三賞受賞は歴代4位タイの14度。そのうち敢闘賞は史上最多の10度。金星は歴代9位タイの9つ。

強烈な張り手を武器に横綱、大関にも真っ向勝負を挑んだ。とりわけ横綱曙(現曙親方)戦にはファイトを燃やし、通算9個の金星のうち7個を奪った。

 

2000年春場所で雅山を破り史上初の幕じり優勝。

最後の取組となった2002年秋場所12日目の寺尾戦は、互いに突っ張り合う激しい1番で最後にふさわしい取り組みだった。

 

②魁皇

元大関魁皇。福岡県直方市出身。友綱部屋。 本名は古賀 博之で、愛称はキンタ、ゴリライモ。身長185cm、体重175kg、A型。 好物はステーキ。 引退後は年寄・浅香山を襲名し、浅香山部屋を設立している。

 

握力・腕力が非常に強く、入門して二年で、握力は90キロに到達。全盛期では110キロを記録し、入幕した頃には既にリンゴを握りつぶせたほどであった。

 

左四つ右上手という絶体の形を持ち、最も得意としたのは右からの豪快な上手投げ、小手投げで、魁皇の代名詞となった。小手投げに関しては、数々の力士を病院送りにする程であった。

 

初土俵以来23年以上の長きに渡る現役生活、また2000年9月に大関に昇進して以来、10年以上に渡り関脇に一度も陥落することなく大関の座を守り続けた。また2007年9月場所の番付で、35歳の大関となり戦後最高齢記録を更新、2010年3月場所には昭和以降の最高齢大関在位記録をも更新した。

 

  • 通算出場:1,731回(歴代5位)
  • 幕内出場:1,444回(歴代2位)
  • 通算成績:1,047勝700敗158休(通算勝星:歴代2位、140場所)勝率.599[1]
  • 幕内成績:879勝581敗141休(幕内勝星:歴代2位)勝率.602
  • 大関成績:524勝328敗119休(大関勝星:歴代1位)勝率.615
  • 現役在位:140場所
  • 幕内在位:107場所(歴代1位)
  • 大関在位:65場所(千代大海と並んで歴代1位タイ)

余談だが、中学生の頃、東京旅行に行った際、友綱部屋裏口で稽古中一休みしていた魁皇に写真を撮ってもらったことがある。

 

 

③隆乃若

 身長190cm、体重152kg。得意手は右四つ・上手投げ。運動神経がよく中学時代はバスケをやっていたという。なかなか端正な顔立ちで足も長く、カッコいい力士だった。1992年3月場所初土俵から順調に出世して1999年5月新十両、11月新入幕。2002年(平成14年)11月場所では攻めが速くなり小結で3大関に勝ち114敗の好成績を収め「大器開眼」と称賛された。その翌場所新関脇で9勝を挙げたが、千秋楽の琴光喜との一番で張り手を受け倒れた際に膝などを痛めた。これがいけなかった。このケガさえなければ大関も目指せたと思う。ここが隆乃若のピークだった。ケガの回復が遅れて3月場所は全休、次も213休で関脇十両まで直ぐに落ちてしまった。以降はさえなく、若くして引退。


  • 通算成績:505勝470敗69休 勝率.518
  • 幕内成績:229勝242敗39休 勝率.486
  • 現役在位:94場所
  • 幕内在位:34場所
  • 三役在位:4場所(関脇2場所、小結2場所)

④寺尾


1979年名古屋場所で初土俵を踏み、85年春場所で新入幕。同年名古屋場所以降は幕内に定着し、三役を通算13場所務めた。現役の最年長関取となってからも、スリムな体から繰り出す回転の速い突っ張り、スピード感のある相撲で人気を集めた。

 通算出場1795回で、幕内在位93場所、幕内出場1378回は、いずれも歴代2位。

現役最後の場所となった2002年9月場所の12日目、元関脇貴闘力と十両の地位で対戦したが、寺尾に敗れて負け越し幕下陥落が確定的となった貴闘力は、その日限りで現役引退を表明。その取り組み後には、寺尾が土俵上で貴闘力の肩をそっと叩き、互いの労をねぎらうというシーンが見られた。

 

⑤武双山

大関武双山。茨城県水戸市出身。

得意手は突き、押し、突き落とし、巻き落とし、左四つ、寄り。

 

小学校4年生の頃から稽古に励み。具体的に、柔軟体操から始まり、腕立て伏せ、四股踏み、バスケットボールの中にコンクリートを詰め込んだ特製のボールを抱え200回の屈伸運動、すり足で200m、そして四股を踏んだ体制でのうさぎ跳び。夕方4時半からは実際に廻しをつけ、土俵に上がっての稽古を行い、仕上げに自宅にタイヤを積み重ねた重さ100kgの「ぶちかましマシーン」を6m動かす稽古を30往復課された。

 

朝稽古が終わった後の6時半には例として牛乳2本、野菜ジュース、チーズ4個、目玉焼き2個、ステーキ2枚、焼き魚たっぷり、生野菜とおひたしをボウルで山盛り、ご飯2膳という大人2人分の食事を父親が作って用意し、食べきらなければ学校に行くことは許されなかった。

 昼食としても父が腕を振るって用意した二段重ねの特大弁当を持たされ、そればかりかカルシウム補充の目的でポケットには煮干しもねじこまれた。

 まさに相撲漬けの生活を送っていたのだ。

 高校横綱、アマチュア横綱を経て角界入り。

 幕下付け出しデビューから4場所で入幕。まだ髷も結えていない状態だった。

 立ち会いのあたりが強烈で、一切変化しない力士として知られており、本人も変化に対しては「相撲道はただの勝ち負けを争うものではない」として厳格な立場を取る。

 引退後、2014年9月場所に新入幕を迎えた逸ノ城が立合い変化を行ったことに関しては「小兵ならまだしも、あれだけの素晴らしい素材だ。あんな相撲を取っていたらたとえ3場所35勝でも私は大関昇進に反対したい」と批判的な意見を示した。

 余談だが、拙者は「武双山」の湯呑みを愛用していた。

 

⑥剣晃

昭和42年6月27日に大阪府守口市出身。
191㎝の長身で激しい突っ張りからの左四つ、もろ差し。時には激しい張り手なども見せた。
平成3年3月新十両、4年7月には新入幕
剣晃自ら「ヒール役」を公言し、5年3月の対浪乃花戦での猛烈な張り手は今でも語り草。
大関・貴ノ浪には滅法強く、「貴ノ浪キラー」とも呼ばれた。
横綱・貴乃花にも張り手を見舞い、張った理由を聞かれ「そこに顔があったから」と名ゼリフを残している。
平成7年5月には新小結に昇進し、将来を期待されていたが、平成8年5月場所後に日本では4例しか報告例が無い奇病、白血病の一種である「汎血球減少症」にかかり平成9年3月場所中に30歳の若さで死去。
本場所とは別にレインボーホールで開催された大相撲勝ち抜きトーナメントを見にいった際、帰り際にサインをお願いすると、とても感じ良く応対してくれた記憶がある。

 

⑦追風海

 

貴闘力曰く100m10秒台を記録したこともある俊足で、相撲をやらなければ陸上で五輪を目指せたほどだという。日大で学生横綱となり1998年3月幕下付け出しで初土俵。順調に出世し、2000年11月場所は新三役(関脇)。 2001年11月場所で初日から8連勝するも、貴ノ浪戦で膝を怪我し翌日から休場。このケガが響いた。  


 ⑧若乃花


やはり若貴は外せない。現在は花田虎上。

若花田の頃は横綱まで上り詰めるとは思わなかった。特段、大きいわけでもないのに曙や武蔵丸と渡り合ったのは相撲の上手さと足腰の強さ、そして根性かなと思う。

いつかは貴乃花と和解して仲良く話す姿を見たいものだ。


⑨貴乃花

 

自分が見た力士の中で1番強いと思ったのは貴乃花。千代の富士、朝青龍、白鵬などもリアルタイムで見てきたが、貴乃花が1番ドッシリした安定感があって受けて立つ"横綱相撲"って感じがした。

独特の理論や考えを持っていただけに相撲協会を去ることになったのは残念だった。



⑩肥後ノ海

 


 

 

日本大学では4年時に主将を務め、全国学生相撲選手権大会で尾曽(のちの武双山)を破り学生横綱に輝いた。通算7個のタイトルを獲得。

 

三保ヶ関部屋に入門し(平成4年)1月場所に幕下付け出しで初土俵を踏んだ。3場所で幕下を通過し、同年7月場所には十両に昇進した。その後も勝ち越しを続け、1993年(平成5年)3月場所には新入幕を果たした。左四つの相撲で右上手を取ると力を発揮し、突き押しでも相撲が取れた。

 

2000年7月場所には新入幕からの平幕連続在位が44場所となり平幕連続在位記録を更新(最終的には53場所まで更新。記録は旭鷲山に抜かれたが、三役未経験力士ではなお1位の記録)。上位に進出した所で怪我に泣かされ続けたため、三役に昇進することはできなかった。また、金星を挙げた場所も勝ち越せず、三賞受賞も叶わなかった。

 

名古屋場所の際、家から近い神社を三保ヶ関部屋が宿舎として利用していた。当時小学生のワシは肥後ノ海見たさに行ったら、若手力士が兄弟子に目の前でホウキで叩かれている現場に遭遇し立ちすくんだが、建物に入ると後援会の人と肥後ノ海がいてサインをもらった。懐かしい記憶だ。

 

 

ふぅ…


じゃあの…(。-_-。)