最近、気になってひそかに

時々練習していたことがある。

そして、気づいたことがある。

 

それは、 食べ方。

 

食べ方といっても、作法とかの食べ方ではなく、

本当に食べ物をもぐもぐ食べる食べ方である。

 

なんでかって言うと、

 

私は子どもの頃から

おいしくなさそうな食べ方をするらしく、

 

何度か「おいしいなあ♪」と思いながら食べているのに、

大人から「おいしくなさそうに食べるなあ」とか

「まずいんやったら、食べるな」

とか言われたことある。

(正直傷ついた。腹も立ったので、

余計に治さないひねくれ性格の私む

 

これは大人になってからでもで、

お腹いっぱいになってきて、

でも、全部食べようとしたときには

「まずそうに食べるなあ」と言われたりする。

 

 

それでも、あまり気にせずにいたが、

昨年、ある人から

「食べ方が汚い女性を見ると、百年の恋も冷める」

という発言を聞いて

これは私を指摘したものではなく、

一般的な美人論の話からそういう話題になったのだが、

 

美人ではない私がきちゃない食べ方をすると、

百年の恋どころか、恋も芽生えないってことねむっ

と思って、食べ方を変更することにした。

 

あ、そうだ、もうひとつ、

最近知り合った人に、

とても上品に音をたてずに食べる男性がいて、

それも素敵に思えたから、というのもある。

 

私も、そういう食べ方をしよう!と思って、

ネットで、食べ方で調べても、

だいたい作法関係が出てくる。

 

仕方ないので、

鏡を見ながら食べてみると。。。

 

しらけ あまり美しくないわね。。。

 

いろんな口の動かし方をしていくうちに、

上品で丁寧に食べている感じがするのが

少し口を「う」にすぼめて食べる方法。

 

これを「い」の口にすると、なんか年寄りっぽい。

笑顔に口角を上げてみても、

うれしそうだけど、おいしそうだけど、

たのしそうだけど、子どもっぽい。

 

大人っぽくて上品なのが「う」だった。

本当に「う」にしてはいけない。

少しだけすぼめた感じなのだ。

 

さらに、食べ物を口に運ぶときもポイント。

私は大口あけて、歯と舌を見せながら

あーん♪わははと食べていたが、

これがまたちょっぴり醜い。

アメリカのCMのように、

食欲を満たすためにがっついている感じがする。

 

これを上品に口に運ぶとなると、

あまり大きな口は開けられないくらいの量の食べ物を

お箸にとり

口の中にお箸を入れていくようにしつつ

口は「あ」とか「お」ではなく

「え」に近い口にして

唇で包むようなイメージで食べ物を包むように

口の中に入れる。

 

これでありますなかよし

 

で、こういう食べ方を鏡で見ながらしていて

思ったことがある。

 

この食べ方をしていると、

食べ物をひとつひとつ味わってる状態になる。

とにかく大量の食べ物を口の中に入れられないし、

早食いも無理なのである。

 

少量の食べ物を丁寧に咀嚼していく。

そういう食べ方に自然になってしまうのである。

 

結果。料理を味わってる感じがすごくする。

 

そう、現代人は口の中にがつがつと

食べ物を入れ過ぎなのかもしれない。

時間がないから、というのもあるけれど、

もっと食事時間を大切に扱ってもいいのかもしれない。

 

ゆっくりと丁寧に味わえば、メタボも避けられるし、

料理がおいしく感じられるし、

食物に感謝の気持ちも味わえる。

そして、体にもいい。

 

そういう生活がまた、

食べ物や時間に振り回されている自分ではなく

考えて感じて過ごす自分になり、

それが自分というのものを作っていくのだと思う。

 

そういう姿は、ただの食べ方ではなく、

生活や人生に反映する。

 

おおげさではないのだ。

 

人は年齢を重ねるごとに

生きざまや生活の仕方が

雰囲気とかのその人の全体像としてにじみ出てくる。

 

まずそうな食べ方をしていた私が

変えようと思うまで、長くかかったが、

そういう意味でも、私もそれなりの年齢を重ねた、

ってことかもしれない。

 

若さというだけで

すべてをカバーできた年齢は過ぎたしね><;

 

というわけで、あまり美しい食べ方について

書かれたものがネットにはなかったので、

自分が実践して思った感想とともに

書いてみました。

 

ひとつひとつの所作や動作、行動で

私たちの人生は作られているのだ、

そういう話でしたなかよし