2019.11.15 #166 『罪の自覚とキリストへの信仰』 高原剛一郎さん
キリストも一度罪のために死なれました。正しい方が悪い人々の身代わりとなったのです。
それは、肉においては死に渡され、霊においては生かされて、私たちを神のみもとに導くためでした。
(第1ペテロ3章18節)
こんばんは(^^)
今夜も、高原剛一郎さんの『罪の自覚とキリストへの信仰』というメッセージをご紹介します。
お話しの中で、なぜ、罪を認められないのか?ということが語られていました。
私たちが、自分には罪がないと判断するときに、知らず知らずのうちに使っている「ものさし」が違っている。それが、原因ではないかと言うことでした。
それで、罪の自覚ということと、この罪の結果をご存じの神が、仲介者としてイエス・キリストをこの地上に送られて、この方の死と復活により、私たちを贖い、導き、今もともに歩んでくださっているというお話しでした。(^^)
キリストも一度罪のために死なれました。正しい方が悪い人々の身代わりとなったのです。
それは、肉においては死に渡され、霊においては生かされて、私たちを神のみもとに導くためでした。(第1ペテロ3章18節)
毎日、私たちを導かれるなかで、神のみもとに到着する日が近づいている 現在。この瞬間から歩み始めても、神のみもとに到着させてくださる方がイエス・キリスト。(^^)
ぜひ、この方を受け入れて神の子とされ、永遠のいのちを頂いてください。
「恵みの時代」が終わる前に、主イエスを救い主キリストとして受け入れる人が、今日も新たに現れますように。
まもなく来られる主、愛する主イエス・キリストの御名によって祈ります。
Amen
Maranatha
☆Cornelius☆(^^)/