2018.03.30

「突然の恐怖と目覚めの夢」詩篇73編17節から20節 (モトイさんのブログです)

 

 

 

まことに、わたしは、産みの苦しみをする女のような声、

 

初子を産む女のようなうめき、シオンの娘の声を聞いた。

 

彼女はあえぎ、手を伸べて言う。

 

「ああ。私は殺す者たちのために疲れ果てた。」

 

(エレミヤ4章31節)

 

 

ー続きー

 

キリストは世の終わりのしるしとして、ユダヤ人国家のことをいちじくの木のたとえを使って、"いちじくの木がこのようになったら、世の終わりが、わたしが来るのが近いということを知りなさい。感じなさい。"ということを警告されています。

 

 

 

そういう意味で、ユダヤ人国家再建について、私もちょっと知識としてまとめました。

 

 

 

キリストとつながりましょうという大前提において、少し分かち合いたいのですけれども、私たちは、主の日は盗人のように来るということを知っている者であり、主の訪れの足音が聞こえていると私は信じます。

 

 

 

だからこそ、みなさんはいろいろな動画がある中で、私の動画を見てくださっているのだと思いますが、このユダヤ人国家の再建というのは、非常に不思議な神のしるしのひとつである、世の終わりのしるしだと私は思います。

 

 

 

1947年11月29日に、世界の国家の代表の集まりとも言える国連の中で、パレスチナにユダヤ人国家とパレスチナ国家を作りましょうという決議がされました。それからもう70年が過ぎています。

 

 

 

そして5月14日になると、1948年の実際のイスラエル独立の日から70年目になります。ですから、私たちは記念すべき70年目の年にいるとも言えますし、1947年の国連決議から数えると、もう70年目は過ぎたとも言える。そういう中間の時期にいます。

 

 

 

それから1897年に、スイスのバーゼルというところでユダヤ人の集まりがあって、「第一回シオニスト会議」が開かれたそうです。そのときに「約束の地」、いわゆる約束の地にユダヤ人の国家を作ることを目ざしましょうという、ユダヤ人のグループの決議がされたのですね。

 

 

 

それから、もう120年が過ぎました。しかしこの120年前の決議の時、すなわち1897年のユダヤ人の会議の時に、世界のほとんどの人がそれを絵空事と考えたでしょう。

 

 

 

おもしろいことに、ユダヤ人の大金持ちであったロスチャイルド卿という貴族がいるのですけれども、そのロスチャイルド卿ご本人も、それをあまり信用していなくて、

 

 

 

"いや、パレスチナの地はマズいよ。いろいろな問題があって…。そうではなくて、インド洋に浮かぶアフリカのちょこっと横のマダガスカル島がいいですよ"というような主張をしていたそうです。

 

 

 

あのお金持ちのロスチャイルド卿がそういうことを主張しても、結局第一回シオニスト会議では、あの約束の地パレスチナにユダヤ人国家を作るという決議になりました。

 

 

 

それから20年後の1917年。このときには世界で一番強い国家であったイギリスのバルフォア卿という外務大臣が、「バルフォア宣言」を発表しました。そこでパレスチナの地、いわゆる約束の地にユダヤ人国家を作りますといった宣言がされました。

 

 

 

そして、それから30年後の1947年に国連決議があって、その半年後に国家が実際に誕生しました。

 

 

 

そして1967年の六日戦争のあと、エルサレムという都市がすべて、東側も西側も全部、ユダヤ人の支配に戻りました。

 

 

 

このことにより、シオンの娘が産みの苦しみをする土壌(エレミヤ4章31節)と、

 

 

 

まことに、わたしは、産みの苦しみをする女のような声、

 

初子を産む女のようなうめき、シオンの娘の声を聞いた。

 

彼女はあえぎ、手を伸べて言う。

 

「ああ。私は殺す者たちのために疲れ果てた。」

 

(エレミヤ4章31節)

 

 

 

ユダヤ人が国家的に産みの苦しみをする「ヤコブの苦難」のその時代が訪れるという預言(エレミヤ30章6節から7節)が同時に、

 

 

 

男が子を産めるか、さあ、尋ねてみよ。

 

わたしが見るのに、なぜ、男がみな、産婦のように腰に手を当てているのか。

 

なぜ、みなの顔が青く変わっているのか。

 

ああ。その日は大いなる日、比べるものもない日だ。

 

それはヤコブにも苦難の時だ。しかし彼はそれから救われる。

 

(エレミヤ30章6節から7節)

 

 

 

世の終わりの中心的な聖句が、何の問題もなく成就する土壌が整ってしまいました。

 

 

 

私たちは、主の日が盗人のように来ると知っている者なので、これらのことは、私たちに対するお迎えがもう近いという主の日の足音に聞こえると、私は思います。

 

 

 

120年前、第一回シオニスト会議があった。(1897年/明治30年)

 

 

 

100年前、バルフォア宣言があった。(1917年/大正6年)

 

 

 

70年前、国連決議があった。(1947年/昭和22年)

 

 

 

50年前、エルサレムが完全にユダヤ人の支配に戻った。(1967年/昭和42年)

 

 

 

もう次は何だといったら、次もいろいろな預言があるのですけれども、私たちキリスト者にとっては、そのあとの預言というのは、いろいろ戦争があったり、そういうことなので、世の終わりのそのまっただ中の預言であると言えると思います。

 

 

 

私自身は、個人的にはこの次の預言の成就は携挙である。すなわち、キリストが私たちのことを迎えに来て、これらすべてのことからのがれるようにという預言が成就すると確信しています。

 

 

 

その預言、ルカの21章35節、36節には、このように書かれています。

 

 

 

その日は、全地の表に住むすべての人に臨むからです。

 

しかし、あなたがたは、やがて起ころうとしているこれらすべてのことからのがれて、人の子の前に立つことができるように、いつも油断せずに祈っていなさい。

 

(ルカ21章35節から36節)

 

 

 

アーメン。

 

 

 

"これらすべての災いからのがれることができます。そのためには、いつも油断せずに祈る必要があります。"というように、キリストは私たちに励ましと警告をしていると私は感じます。

 

 

 

ー続くー

 

 

 

 

 

 

 

 

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