ブッダの言葉 ウダーナヴァルガより抜粋 2
苦しみは つねに因縁からおこる。 そのことわりを見ないものだから、それによって人は
苦しみに縛られている。 しかし、そのことを理解するならば、執著を捨て去る。
けだし 外の人々はその大きな激流を捨てないのである。
「 その果報は わたしには来ないであろう 」、とおもって善を軽んずるな。 水が一滴づつ
滴りおちるならば、大きな水瓶でもみたされるのである。 気をつけている人々は、
少しづつでも善をなすならば、やがて福徳にみたされるのである。
深い湖が、澄んで、清らかであるように、賢者たちは正しい教えを聞いて、こころ清らかで
ある。
池に生える蓮華の茎や花をば、水にもぐって折り取るように、貪りをすっかり断ち切った
修行者はこちらの岸を捨て去る。 ーー 蛇が旧い皮を脱皮して捨て去るようなもの
である。
良い馬が鞭をあてられると、勢いよく熱気をこめて走るように、勢いよく努め励め。
信仰あり、また徳行をそなえ、精神を安定統一して、真理を確かに知って、感官を
制御し、忍耐の力をそなえた人は、迷いの生存をすべて残りなく捨て去る。
実に自己は自分の主である。 自己は自分のよるべである。 故に自分を制御せよ。
ーー 御者が良い馬を調練するように。
怒りを捨てよ。 慢心を除き去れ。 いかなる束縛をも超越せよ。 名称と形態とに
執著せず、無一物となった者は、苦悩に追われることがない。
真実を語れ。 怒るな。 乏しきなかからでも自ら与えよ。 これら三つの事を具現した
ならば、死後には天の神々のもとに至り得るであろう。
怒らない事によって怒りにうち勝て。 善いことによって悪い事にうち勝て。
わかち合うことによって物惜しみにうち勝て。 真実によって虚言にうち勝て。
過去にさとりを開いた仏たち、また 未来にさとりを開く仏たち、また多くの人々の憂いを
除く現在の世の仏、 ーー 正しい教えの師であるこれらすべての人々は、過去に住した
し、現在住し、また未来に住するであろう。 これが諸仏のあいだの決まりである。
亀が諸々の体を自分の甲のなかにひっこめるように、自分の粗雑な思考をおさめとり、
何ものにも依存することなく、他人を悩ますことなく、束縛の覆いを全くときほぐして、
なんびとをも謗るな。
鹿の帰るところは原野の奥であり、鳥の帰るところは虚空であり、分別ある人々の帰する
ところは ことわり ( 正義 ) であり、もろもろの真人の帰するところは安らぎである。
さとりの究極に達し、恐れること無く、疑いが無く、後悔のわずらいの無い人は生存の
矢を断ち切った人である。 これがかれの最後の身体である。
教えを説いて与えることはすべての贈与にまさり、教えを味わう楽しみはすべての楽しみに
まさり、忍耐の力はすべての力にまさり、妄執をすべてほろぼすことはすべての快楽に
うち勝つ。
恥を知り、常に清きをもとめ、よく仕事に専念していて、つつしみ深く、真理を見て、清く
暮らす人は、生活し難い。
すでに得たものと、これから得られるはずのものと ーー この二つは塵ほこりであり、
病であると知って、心を安定統一した智者は、それを捨てよ。
世の中は泡沫のごとしと見よ。 世の中はかげろうのごとしと見よ。 世の中をこのよう
に観ずる人は、死王もかれを見ることがない。
上にも下にも全く欲情を離れた人は、「 われはこれである 」、と観ずることが無いので、
このように解脱して、未だ渡ったことのない流れを、この世で渡り、再び迷いのうちに
生まれることがないであろう。
すべて悪しきことをなさず、善いことを行い、自己の心を浄めること、 ーー これが
仏の教えである。
この世で善いことをしたならば、安心しておれ。 その善いことが、ずっと昔にしたこと
だとか、遠いところでしたことであっても、安心するがよい。 人に知られずにしたことで
あっても、安心しておれ。 それの果報があるのだから、安心しておれ。
善いことをした人は、この世で喜び、来世でも喜び、ふたつのところで共に喜ぶ。
かれは、自分の行為が清らかなのを見て、喜び、楽しむ。
善いことをして、悪いことをしないならば、善い人々が福徳のもとを昔行ったのであっても、
決して死を恐れない。 ーー 堅固な船で河を渡る人々のように。
その人々の迷いの生存は消え失せ、こなたの端に依存することなく、その人々の境地は
空にして無相であり、心の安定統一であるならば、かれらの足跡はたどり難い。
空飛ぶ鳥の跡の たどりがたいようなものである。
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