ブッダの言葉 - ウダーナヴァルガ より ( 1 )



鹿の帰する所は 原野の奥であり、鳥の帰する所は 虚空であり、
分別ある人の帰する所は 正理であり、幾多の真人の帰する所は
安らぎである。

全ての創られた事物は 実に無常である。
生まれては滅びる性質の物である。 
それらは生まれては滅びるからである。
それらの静まるのが、安楽である。

それ故に、修行者らは 常に瞑想を楽しみ、心を安定統一して努め励み、
生と 老いとの究極を見極め、悪魔とその軍勢に打ち勝って、
生死の彼岸に達する者となれ。

世間における種種の美麗なるものが 欲望なのではない。
欲望は 人間の思いと欲情なのである。
世間における種種の美麗なるものは、そのままいつも存続している。
しかし思慮ある人々は、それらに対する欲望を制御して導くのである。

愚人は享楽の為に害われる。
しかし この世で 自己を求める人々は害われない。
享楽を妄執するが故に、愚人は、他人をも 自分をも害う。

苦しみと、苦しみの起こる基を知る人々は、どうして愛欲を楽しむで
あろうか。 
思慮ある人は、世間における絆を棘であると考えて、それを抑制し、
平安へと至る為に修学するべし。

人は愛執を道連れとして長夜に臥す。
潜む妄執の故に 繰り返し流転輪廻して、繰り返し母体に入る。
このような状態、それとは異なった状態という風に、
輪廻の内を 生きつ戻りつする。
しかし、この世で その愛執を捨てて、
移り変わる生存に対する愛執を離れたならば、その人は もはや
輪廻しない。 その人には愛執が存在しないからである。

絶えず道に思いをこらし、常に勇敢に奮励する思慮ある人々は、
ニルヴァーナ ( 平安 ) に到達する。 これは無上の幸せである。

自分の有益になるものであると知り得る事を、あらかじめ為すべきである。
無謀な車夫のような思いに依らないで、
賢者は ゆっくりと邁進するべきである。

一つは現世に関する事柄であり、他の一つは来世に関する事柄である。
思慮ある人は、事柄を見極めて悟るから、( 賢明な人 ) と
呼ばれるのである。

修行者は 努め励むのを楽しみ、なおざりの内に恐ろしさを見、
安らぎの境地を体得する。
それは 作り出す働きの静まった 安らかさである。

どの方向に心で捜し求めてみても、自分よりもさらに愛しいものを
人は見出し難い。 
そのように、他人にとっても それぞれの自己が愛しいのである。
それ故に、自分の為に 他人を傷つけてはならない。

これは 安穏に達する道である。 これは清浄に向かう道である。
心を修めて この道を歩む者たちは、悪魔の束縛を捨て去るであろう。

落ち着いて思慮ある人々は、身を慎み、言葉を慎み、心を慎む。
彼等は あらゆる事に慎しんでいる。 彼等は不死の境地におもむく。
そこに達したならば、悩む事がない。

悪い心のある人々は 実に嘘を言う。
常に地獄の苦しみを増して、自分自身を傷つける。
欠点の無い 力のある人は、心の混濁を除いて 全てを忍ぶ。

唯一である理法を逸脱し、偽りを語り、彼岸の世界を拒んでいる人々
には、どんな悪でも、行わないものは 何も無い。

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