( 中部経典第三十五経 異教徒アッギヴェッサナの論難より 略記 )
ある時、アッギヴェッサナ という思想家が、ヴェーサリーの人々に向かって、
「 私は ブッダに論争を挑んで論破します。 みなさんいっしょに来て下さい。」
と告げて 五百人ほどの会衆をともなって、ブッダの滞在している重閣講堂に
やって来た。
人々は ブッダに合掌を捧げて座った。 アッギヴェッサナは言った。
「 世尊ゴータマは、どのように弟子たちを教導なさいますか。 さらにまた、君
ゴータマの弟子達の間ではどのような部分の教誡が多く行われています
か。」
「 いいですか、アッギヴェッサナよ、私は、次のように弟子達を教導して
います。 すなわち、『 色形あるものは無常である。 感受は無常である。
知覚は無常である。 もろもろの行は無常である。 意識は無常である。
修行僧達よ、色形あるものは無我である。 感受は無我である。 知覚は
無我である。 もろもろの行は無我である。 意識は無我である。
すなわち、一切の諸々の行は無常である。 一切の事物は無我である。』、
と。 アッギヴェッサナよ、わたしは、たしかに このように弟子達を教導して
います。」
「 君、ゴータマよ、色形あるものを我とするこの人間は、形あるもの、感受、
知覚、行為、意識にもとづいて、福徳 あるいは非福を生み出します。」
「 アッギヴェッサナよ、あなたは今こう言ったのですか ? 『 色形あるもの
( 物質 ) 感受、知覚、もろもろの行、意識は わたしの我である。』 、と。」
「 君、ゴータマよ、たしかに、わたしは そのように主張します。」
「 それでは、アッギヴェッサナよ、こんどは、私がおなじ事をたずねましょう。
欲するままに答えて下さい。
灌頂した王族の国王は 自国の領土内において、追放されてしかるべき者を
追放する権力を 行使できますか ? 」
「 君、ゴータマよ、自由自在に行使できます。 行使は当然です。」
「 アッギヴェッサナよ、あなたはその事を どう考えますか ? あなたが、『 色
形あるもの、わたしの肉体や容貌は わたしの我である。』、と、このように
言う時、その色形あるものに対して、それを自由自在にする力が働きます
か ? つまり、『 私の肉体はこのようであれ。』、とか、『 私の肉体はこのよう
であっては ならぬ。』、というように。」
このように言われると、アッギヴェッサナは おし黙ってしまった。
そこで、世尊は、アッギヴェッサナに こう言われた。
「 アッギヴェッサナよ、今度は答えなさい。 今は、おし黙っている時ではあり
ません。 あなたはその事をどう考えますか ? 『 色形あるもの ( 物質 ) は
私の我である。』、と、このように言う時、それに対して、それを自由自在に
する力が働きますか。 つまり、『 私の肉体容貌はこのようであれ。』、とか、
『 このようであってはならぬ。』、というように。」
「 君、ゴータマよ、それはありません。」
「 アッギヴェッサナよ、よく考えなさい。 よく考えてから答えなさい。 あなたは
その事をどう考えますか ? あなたが、『 感受は私の我である。』、と、この
ように言う時、その感受に対して それを自由自在にする力が働きますか ?
『 私の感受はこのようであれ。』、とか、『 私の感受はこのようであっては、
ならぬ。』、というように。」
「 君、ゴータマよ、それはありません。」
「 アッギヴェッサナよ、それと同じように、『 知覚、行、意識は 私の我で
ある。』、と、このように言う時、それらを自由自在にする力が、あなたに働き
ますか ? 」
「 君、ゴータマよ、それはありません。」
「 アッギヴェッサナよ、よく考えなさい。 よく考えてから答えなさい。
あなたはこの事をどう考えますか ? 色形あるもの、物質 肉体は 常住
ですか ? それとも無常ですか ? 」
「 君、ゴータマよ、無常です。」
「 では、無常なるものは苦しみですか ? それとも安楽ですか ? 」
「 君、ゴータマよ、苦しみです。」
「 では、無常であり、苦しみであり、変化する性質のある物を、『 これは 私の
ものである。 これは私である。 これは私の我である。』、とみなす事は適切
ですか ? 」
「 君、ゴータマよ、適切ではありません。」
「 アッギヴェッサナよ、感受、知覚、もろもろの行為、意識は 常住ですか ?
それとも無常ですか ? 」
「 君、ゴータマよ、無常です。」
「 では、無常なるものは 苦しみですか ? 安楽ですか ? 」
「 君、ゴータマよ、苦しみです。」
「 では、無常であり、苦しみであり、変化する性質のあるものを、『 これは私の
ものである。 これは私である。 これは私の我である。』、とみなす事は適切
ですか ? 」
「 君、ゴータマよ、適切ではありません。」
「 アッギヴェッサナよ、苦しみに執着し、苦しみに近づき、苦しみに固執して、
苦しみを、『 これは私のものである。 これは私である。 これは私の我で
ある。』、と見る者が、はたして自ら苦しみをよく知る事ができるでしょうか ?
あるいは、苦しみを滅尽して住む事ができるでしょうか ? 」
「 君、ゴータマよ、どうしてそのような事があり得ましょう。 そのような事はあり
得ません。 ・・・・ ところで、世尊ゴータマの弟子は、どれだけをもって
師の教えに住んでいますか ? 」
「 アンギヴェッサナよ、ここに、私の弟子は、過去、未来、現在の、物質、
感受、知覚、行、意識は何であろうと、それら一切を、『 これは我がものでは
ない。これは私ではない。 これは私の我ではない。』、と このように これを
如実に、正しい知恵によって見て、もはや再生する事なく解脱します。
アッギヴェッサナよ、これだけをもって、アラハトであり、煩悩を滅ぼし、清浄
行を行じ終えて、なすべき事をなしとげ、重荷をおろし、みずからの目的を
達し、迷いの生存の束縛を滅ぼしつくし、正しい知恵によって解脱します。
いいですか、アッギヴェッサナよ、このように心が解脱している修行僧は、
知恵上、行無上、解脱無上という 三無上を獲得する者となります。」
このように言われた時、アッギヴェッサナは 世尊にこう言った。
「 君、ゴータマよ、わたくしどもはまことに僭越でした。 わたくしどもは、世尊
ゴータマを、論には論をもって攻撃できると考えたのですから。
君、ゴータマよ、猛毒をもつ毒蛇を攻撃しても 人に安穏があるやもしれませ
んが、しかし、世尊ゴータマを攻撃して、人に安穏など あろうはずがありませ
ん。 君、ゴータマよ、どうぞ明日 修行僧たちとともに私の食事を お受けくだ
さい。」
世尊は、沈黙によって 承諾を示された。

・