ニュー・アース ( エックハルト・トール 著 ) より
ブッダは あるとき、弟子たちを前に一本の花を掲げ、「 黙して語らなかった 」
という。 しばらくして弟子たちの一人、マハーカッサパ という僧が微笑んだ。
マハーカッサパだけが ブッダの沈黙の教えの意味を理解したのだ。
言い伝えによれば、この微笑 ( 悟り ) は その後二十八代の師に伝えられ、
やがて禅の始まりになった。
花に美を見出すことを通じて、人類は ほんのつかの間であれ、自分の最も
内なる存在の核心にある 美や本質に目覚めるのではないか。
( 過去にこだわる )
人間が いかに過去を手放せないか、あるいは 手放す気がないかを見事に
示した禅僧の逸話がある。 担山という禅僧が、友人の僧と一緒に豪雨のあと
で ひどくぬかるんだ田舎道を歩いていた。 村の近くまで来ると、道を渡ろうと
している若い娘に出会ったが水たまりが深くて着ている着物が汚れそうだった。
担山は すぐに娘を抱き上げて水たまりを渡してやった。
そのあと二人の僧は黙々と歩き続けた。 五時間ほどして、その夜の宿になる
寺が見えてきたとき、友人が とうとう黙っていられなくなって口を切った。
「 あなたはどうして あの娘を抱き上げて 道を渡してやったのか ? 」、彼はそう
言った。 「 僧というものは、ああゆうことをすべきではないと思うが。」
「 私は もう とうに娘を下したのに。」、と担山は答えた。
「 君はまだ、抱いていたのかね ? 」。
この友人のように暮らし、状況を手放せず、また手放す意思をもたずに、
心の中にどんどん溜め込み積み重ねていたら、どんな人生になるか想像して
いただきたい。 彼らがこだわって心の中に溜め込んでいる過去という荷物の
なんと重いことか。
( 何が起ころうと気にしない )
日本のある町に 白隠という禅の老師が住んでいた。 彼は人々の尊敬を集
めており、大勢の人が彼の教えを聞きに集まってきていた。 あるとき、寺の
隣の十代の娘が妊娠した。 怒り狂った両親に、子供の父親は誰だと問いつめ
られた娘は、とうとう白隠禅師だと答えた。 両親は激怒して白隠のもとに
怒鳴り込み、「 娘は白状したぞ、お前が父親だそうだな。」、となじった。
白隠は、「 ほう、そうか ? 」、と答えただけだった。
噂は町じゅうどころか近隣の地域にまで広がった。 禅師の評判は地に堕ちた。
だが禅師は意に介さなかった。 誰も説法を聞きに来なくなった。
だが禅師は落ち着き払っていた。 赤ん坊が生まれると、娘の両親は禅師の
もとへ連れてきた。 「 お前が父親なんだから、お前が面倒を見るがいい。」
禅師は赤ん坊を慈しみ、世話をした。 一年たち、慙愧に堪えられなくなった
娘が両親に、実は 赤ん坊の父親は近所で働く若者だと白状した。
両親は あわてて白隠禅師のもとへ駆けつけ、申し訳なかったと詫びた。
「 ほんとうにすまないことをしました。 赤ん坊を引き取らせてもらいます。
娘が、父親は あなたではないと白状しましたんで。」、 「 ほう、そうか ? 」。
禅師はそう言って、赤ん坊を返した。
禅師は偽りにも真実にも、悪い知らせにも良い知らせにも、「 ほう、そうか ? 」
と まったく同じ対応をした。 彼は良くても悪くても今という瞬間の形をそのまま
認めて、人間ドラマには加わらなかった。 彼にとってはあるがままのこの瞬間
だけがある。 起こる出来事を個人的なものとして捉えない。
彼は誰の被害者でもない。 彼は今この瞬間に起こっている出来事と完璧に
一体化し、それゆえに起こった出来事は彼に何の力も振るうことができない。
起こった出来事に抵抗しようとするから その出来事に翻弄されるし、幸福か
不幸かを よそから決められることになる。
赤ん坊は慈しまれ、世話をされた。 抵抗しないという力のおかげで、悪い
出来事が良い結果になった。 つねに今という瞬間に求められたことをする
禅師は、時が来たら赤ん坊を手放したのだ。
( 谷間のせせらぎが聞こえるか ? )
ある禅の老師が 弟子を連れて無言で山道を歩いていた。
杉の老樹が生えているところまで来ると、二人は腰を下ろし、握り飯と野菜の
簡素な食事をとった。 食後、まだ禅の謎を解く鍵を見出していなかった弟子の
若い僧が沈黙を破って老師に尋ねた。 「 師よ、禅に入るためにはどうすれば
よろしいのですか ? 」、もちろん弟子が尋ねたのは 禅という意識の状態に
入る方法のことだった。 老師はしばらく黙っていた。 沈黙は五分近く続き、
弟子は じりじりと答えを待った。 もう一度尋ねようかと思ったとき、老師が
ふいに口を切った。 「 お前には あの谷川のせせらぎが聞こえるか ? 」。
弟子はそれまで、せせらぎに気づいていなかった。 禅の意味について考える
のに一生懸命だったからだ。 ところがそう言われて耳を澄ますと、騒がしかった
心の雑音がやんだ。 最初は何も聞こえない。 そのうち思考が減退していって
意識が研ぎ澄まされ、ふいに遠いかすかな川の瀬音が聞こえてきた。
「 はい、いま聞こえました。」、弟子は答えた。
老師は指を立て、厳しいと同時に慈愛にあふれた目で弟子を見た。
「 そこから禅に入りなさい。」、弟子は はっとした。 彼にとっては最初の悟りの
一瞬だった。 彼はそれが禅であるとは知らずに禅を知った事に気づいたのだ。
二人はまた黙って旅を続けた。 弟子は自分の周囲に広がる生き生きとした
世界に驚いていた。 すべてを初めて経験するような気分だった。
やがて彼は再び考え出した。 研ぎ澄まされた静謐が精神的な雑音にかき
消された。 ほどなく弟子は又質問をした。 「 師よ。 私は考えておりました。
さっき、せせらぎが聞こえないと私が答えたら、師は何とおっしゃったのであり
ましょうか ? 」。
老師は立ち止まり、弟子を見て指を立てた。 「 そこから禅に入りなさい。」
( 注 ) エックハルト・トール氏は、常に 今 という瞬間に意識を置く事と、内面に意識を置く事に
よって、人は、思考、感情、エゴから解放されて、安らぎに至ると説いています。
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