ブッダの言葉 ( 原始仏典より )
身体によって 善い事をなし、言葉によっても、心によっても善い事をする
ならば、その人は この世でも、また かの世でも幸せを得るであろう。
マーガよ。 祀りを行え。 祀り実行者は あらゆる場合に心を清からしめよ。
祀り実行者の専心する事は祀りである。 彼はここに安立して 邪悪を捨てる。
ものごとは 心にもとづき、心を主とし、心によって作り出される。
もしも 清らかな心で 話したり行ったりするならば、福楽は その人につき従う。
ーー 影が その体から離れないように。
他人の過失を見るなかれ。 他の人のした事と しなかった事を見るなかれ。
ただ 自分がした事と しなかった事だけを見よ。
うず高い花を集めて 多くの花飾りを作るように、人として生まれ、
また死ぬべきであるならば、多くの善い事をなせ。
水道を作る人は 水をみちびき、矢を作る人は 矢を真直ぐにし、
大工は 材木を真直ぐにし、慎み深い人々は、自己をととのえる。
戦場において 百万人に勝つよりも、ただ一つの自己に克つ者こそ、
実に 不敗の勝利者である。
白鳥は太陽の道を行き、神通力による者は虚空を行き、心ある人々は、
悪魔と その軍勢に打ち勝って 世界から去っていく。
すべて悪しき事をなさず、善い事を行い、自ら自分の心を清めること、
これが 諸々の仏の教えである。
久しく旅に出ていた人が 遠方から無事に帰って来たならば、親戚、友人、
親族たちは かれが帰って来たのを祝う。 そのように善い事をして
この世から、あの世に行った人を 善行が迎え受ける。
ーー 親族が 愛する人が帰って来たのを、むかえ受けるように。
誠あり、徳あり、慈しみがあって、人を害わず、慎みあり、自らをととのえ、
汚れを除き、気をつけている人こそ、「 長老 」、と呼ばれる。
事が起こった時に、友達のあるのは楽しい。 どんな事にでも満足するのは
楽しい。 善い事をしておけば、命の終わる時に楽しい。
あらゆる苦しみを除くことは楽しい。
世に 母を敬う事は楽しい。 また 父を敬う事は楽しい。
世に 修行者を敬う事は楽しい。 世に バラモンを敬う事は楽しい。
修行者よ。 この船から水を汲み出せ。 汝が水を汲み出したならば、
船は軽やかに やすやすと進むであろう。 貪りと怒りとを断ったならば、
汝は ニルヴァーナ ( 平安 ) に おもむくであろう。
その行いが親切であれ。 何ものでも分かち合え。 善い事を実行せよ。
そうすれは゛、喜びに満ち、苦悩を滅するであろう。
みずから自分を励ませ。 みずから自分を反省せよ。 修行者よ。
自己を守り、正しい思いを たもてば、汝は 安楽に住するであろう。
人が もし善、または悪の行いをなすならば、かれは 自分がした一つ一つの
業の相続者となる。 実に 業は滅びないからである。
生きとし生ける者どもの間にあって、信仰と 智恵とを得た賢い人にとっては、
それが実に最上の宝である。 そのほかの宝は、つまらぬものである。
過去に さとりを開いた仏たち、また 未来にさとりを開く仏たち、また 多くの
人々の憂いを除く 現在の世の仏、 ーー 正しい教えの師である これら
すべての人々は、過去に住したし、現在住し、また 未来に住するであろう。
これが 諸仏のあいだの決まりである。
鹿の帰するところは 原野の奥であり、鳥の帰するところは虚空であり、
分別ある人々の帰するところは 正義であり、諸々の真人の帰するところは
安らぎである。
汚れの無い心で、一つの生きものをさえも慈しむならば、それによって
善が生ずるであろう。 生きとし生けるものを、すべて心で慈しむならば、
聖者は多くの功徳を積むことになる。
人は 信仰によって激流を渡り、精励によって海を渡る。
勤勉によって苦しみを超え、智恵によって全く清らかとなる。
心が沈んでしまってはいけない。 又やたらに多くの事を考えてはいけない。
なまぐさい臭気なく、こだわる事なく、清らかな行いを究極の理想とせよ。
過酷なる事なく、貪欲なる事なく、動揺して煩悩に悩まされる事なく、
万物に対して平等である。 ーー 動じない人について問う人があれば、
その美点を わたくしは、このように説くであろう。
水の満ちている海のように、智恵に満ちている人々は、他の人を軽蔑しない。
これが、生ける者どもの尊い道理である。
あたかも、母が己が一人子を、命をかけても守るように、そのように、
至る所で、一切の生きとし生けるものに対して、善き人であれかし。
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