初期仏教の世界 ( 慈悲の冥想 ) より
( 前文、 仏教を実践する上で 土台となる心を育てる )
―― 人間 というものは、自分を 個別の 「 存在 」、だと思っています。
「 私は、私です。」、と思っているのです。 「 私は ・・・ 」、と思った時から、私たちは
この世界との 全体的な、生のエネルギーから、自分は 別なものだと、ある個別的な
存在だと思ってしまい、自分を他と区別します。
区別する事によって、自分が とても小さな存在になってしまい、色々な問題が生じて
きます。 人間が人生で出会う様々な苦悩は この 「 私という個体があるんだ ・・・ 」
と思ったところから 生じてくるのです。
簡単に言えば、この 「 私 」、という実感さえ無ければ 問題は何もないのです。
しかし、これは なかなか消えるものではありません。
しかしそのことは大問題で、「 私 」 がいるから他の人間との競争をしたり、いろんな
才能を身につけなくては ならなくなります。
そこで、なぜ 「 慈しみの心 」 が必要かというと、いくら 「 私が 私が ・・・ 」、と言って
いても 実際には、ここに 私が生きていられるのには 他の 全ての生命体の存在が
あるからなのです。
ですから、「 私 」 を発見する以前に、全ての生命に対する やさしい心を持つ事と
いうのは 大変必要な条件になります。
どんな宗教でも共通して説いているのは、この 「 やさしさ 」 ということで、生命は
お互いに助け合って生きている ・・・ 。 ということは 重要なポイントなのです。
「 慈悲の心 」 を育て上げられれば、自分は諸々の宗教に共通している真髄を
実践しているのだと理解しても 過言ではありません。
次に実践ですが、仏教では 「 全ての行動は 心に基づく 」、という法則を用いて
います。 人間が行動する前には、必ず先立って 「 こう行動しよう。」 という
心の働きがあるのです。 「 慈しみ 」 を実践するのに 最も簡単で 早い方法は、
心 そのものを 「 慈しみ 」 の心にしてしまう事です。
ですから、幸福になるためには、人生で成功するためには、又、平和で、無事で、
争いがなく、堂々と 美しく生きてゆくためには、ただ 「 やさしい心 」 さえ作れば良い
ので、自他を区別せずに 相手の立場に自己を投影してみる事が大切なのです。
まず最初に、自分自身に対しての 慈悲の心を作ります。
そこのところは 正直な心で、「 私は 幸せでありますように。」、と念じます。
「 幸せとはなんですか ? 」、と考える必要はありません。 「 幸せとは 少なくとも
良いことでしょう。」、というふうに、大雑把に理解しておけばいいのです。
次に、「 私の悩み苦しみが なくなりますように。」、そして、「 私の願いが
叶えられますように。」、 「 私に 悟りの光が現れますように。」、と念じます。
「 悟り 」 の代わりに、「 知恵が現れますように。」、でも かまいません。
―― そして、「 生きとし 生けるもの 」、の幸福を念じます。
( 慈悲の冥想の言葉 )
私は 幸せでありますように
私の 悩み苦しみが無くなりますように
私の 願い事が叶いますように
私に 悟りの光りが現れますように
私は 幸せでありますように
私の親しい人々が 幸せでありますように
私の親しい人々の 悩み苦しみが無くなりますように
私の親しい人々の 願い事が叶いますように
私の親しい人々に 悟りの光りが現れますように
私の親しい人々が 幸せでありますように
生きとし生けるものが 幸せでありますように
生きとし生けるものの 悩み苦しみが無くなりますように
生きとし生けるものの 願い事が叶いますように
生きとし生けるものに 悟りの光が現れますように
生きとし生けるものは 幸せでありますように
―― さらに 次には、――
私の嫌いな人も 幸せでありますように
私の嫌いな人の 悩み苦しみが無くなりますように
私の嫌いな人の 願い事が叶いますように
私の嫌いな人に 悟りの光が現れますように
私を嫌っている人々も 幸せでありますように
私を嫌っている人々の 悩み苦しみが無くなりますように
私を嫌っている人々の 願い事が叶いますように
私を嫌っている人々に 悟りの光りが現れますように
―― そして、最後に もう一度 ――
生きとし生けるものが 幸せでありますように ( 三回 ) と 思います。
( 回向 ( えこう ) の文 )
仏 法 僧 の 三宝に礼拝、帰依し、戒めを守り、慈悲の冥想によって積まれた
この功徳を、 神々、先祖、祖父母、両親、親族、恩師をはじめとし、一切の
生きとし生けるものに、回向(えこう)いたします。
この功徳によって、すべての 生きとし生けるものが 幸福に暮らせますように。
そして 解脱が得られますように。
( 注 ) 「 解脱 」、 迷いや 苦しみから解放され、幸福で 自由自在である事。
「 戒め 」、 生きものを殺さない。 ものを盗まない。 嘘をつかない。 性愛において不義を働か
ない。
「 回向 」、 自分の修めた功徳を、他にも差し向け、自他共に 悟りを得るための助けとすること。
( 慈しみ 「 メッター 」 について。 )
愛情 は相対的なものであって、たとえば愛国心は 悪人が持つと危険があります。
愛情の対語は ( 憎しみ ) 又は ( 無関心 ) ですが、「 慈しみ 」 という言葉の対語はありません。
( 無慈悲 ) くらいでしょうか。 その意味では 愛を超越した 絶対的な概念です。
―― ちなみに牧師様から教わったことですが、キリストが説いた ( アガペー ) というギリシャ語も、
( 愛情 LOVE ) ではなく、( 友愛 フィリア ) でも ( 家族愛 エロス ) でもなく ( 慈しみ 自己と同じ
ように 人々を大切に思う事 ) でした。 初めてキリスト教が日本に伝来した時、アガペー という
ギリシャ語を日本語に翻訳して、「 お大切さま。」、と 信者たちは言葉にしていました。
―― この 慈悲の瞑想法は、現在でも 南伝仏教 文化圏の 国々の人々によって 実践されて
います。 信者たちや 人々が集まってやる場合には、口に唱えて 声を出しながら行います。
( 四無量心 )
慈 ( メッター ) 自他を区別しない 友情のような優しさ
悲 ( カルナー ) 他者の苦しみを なくしてあげたいという優しさ
喜 ( ムディター ) 他者の幸福を 共に喜ぶ優しさ
捨 ( ウぺッカー ) 差別のない 広々とした 平等な心でいる優しさ
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