「 今を どう生きるのか 」

         
 五木寛之 氏、松原泰道 氏 対談 「 今を どう生きるのか 」、 致知出版社 より ―― ( 1 )




五木 「 ブディストと いいますけれど、本来は 仏教という教えは ないといっていいと思うんです。

 ゴータマ・ブッダ という人が語ったことを信じて、教えてくれたことを 実践する人々を、ブディスト

 と呼ぶのだと。

 そして、それはブッダが唱える 新しい生き方に興味を覚え、支援する新しい階層が 出てきたことから

 はじまったと思うんです。

 ゴータマ・ブッダ という 新鮮で自由で、バラモンの思想に とらわれずに、『 人間は 仏の前では 皆

 平等だ。 』、と 唱える人が出てきた、ということではないでしょうか。」


松原 「 みんな 驚いたでしょうね。 バラモンから自由になる事を 堂々と説いている訳ですから。」



五木 「 ブッダは 生きることを 『 苦 』、と感じたわけですね。 同じように、バラモンの教えの中

 で 生きながら、老、病、死 といった人生の苦を 身近に感じていた人は たくさんいたと思います。

 その人たちは ゴータマ・ブッダ という 風変わりな人の思想、のびのびとした 明るさ、説得力のある

 語り口、人間的な教え といったものを目にして、『 自分たちの旗は これだ。 』、と思い、ブッダと

 いう 旗を立てた。 そこに ブッダを信奉する人や グループが集まった。」



五木 「 ブッダは 二十九歳で 家を捨てたといいますね。 そこだけをとれば 人として どうなのかと

 考えてしまいます。 ブッダも そういう非難は承知していたでしょう。

 では、なぜ家を捨てたのか。 それは 家住期という バラモンが強制した生き方、つまり男は結婚して

 妻をめとり、子供を産み育て、家を建てて、一生懸命働いて、働いたものを神に捧げるというあり方が

 人間の生きる目的である としたことに対して、『 ノー 』、と いったのだと思うんです。

 それを自らの実践によって 示したのではないかと。 それが 仏教の根本の出発点だったというふうに

 僕は思っています。

 そして、ブッダは苦行し、三十五歳で悟りを開いて ブッダになり、よりよく 生き、よりよく死ぬ為の

 道しるべを説くようになる。 従来のバラモン教などでは、自分の地位を保持するために、バラモンが

 知識を独占していましたからね。 

 バラモンが 一般の民衆に 真理を公開することなど、絶対に ありえないことでした。」


松原 「 おっしゃる通りですね。 釈尊が あの時代に あらゆる階層の人たちに、『 どう生きるか 』

 という 生き方を説いたということは、大変なことですね。

 少し話しは飛躍しますが、私は現代人に 釈尊の教えを わかり易く解説すると、次の三項目に帰着する

 と思うんです。 それは

 
 『 厳粛 ( げんしゅく ) 』

 『 敬虔 ( けいけん ) 』

 『 邂逅 ( かいこう ) 』

 です。」


五木 「 なるほど。 厳粛、敬虔、邂逅。」


松原 「 厳粛というのは、いわゆる 無常観で、いまは いましかない。 いまは 帰ってこない。

 いまを大切に 生きるということです。 それから 第二の 敬虔は、『 おかげさま 』、なんですね。

 自分一人の力で 生きているんじゃない、ということ。

 三番目の邂逅は 出会い、めぐりあわせ。 めぐりあわせによって 人生は変っていくということです。

 この三つに 仏教の教えは要約できると思うのですが、これを現代語で表すと

 
 『 ありがとう 』

 『 すみません 』

 『 はい 』

 の 挨拶語に置き換えられると思います。

 厳粛というのは、ここに在るということが 容易な事実ではない 稀有だということ。

 だから、『 有り難し 』、から、『 ありがとう 』。

 『 すみません 』、は、過ちをしたから 謝るというのではなくて、『 済んでいない 』、未済という

 こと、 何が未済かというと、『 おかげ 』、に対する ご恩返しが済んでいない。

 そういう意味での、『 す ( 済 ) みません 』。

 そして 天地が与えてくれた めぐりあいは 肯定するしかないので、『 はい 』、です。

 私は、釈尊の教えを 現代人が 日常生活に体得するには、この、『 ありがとう 』、『 すみません 』

 『 はい 』、という 挨拶言葉どおりに 実行することだと思うんです。

 そうすることで、人生は よい方向に回転していく ということを、釈尊は教えているのだと思います。






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