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スッタ ・ ニパータ より ー ( 6 )
世俗の ことがらに触れても、その人の心が動揺せず、憂いなく、けがれを離れ、安穏であること、
―― これが こよなき幸せである。
尊敬と 謙遜と 満足と 感謝と ( 適当な ) 時に教えを聞くこと、 ―― これが こよなき幸せである。
最も勝れた仏が 賛嘆したもうた 清らかな心の安定を、人々は、
「 悟りに向かって間をおかぬ 心の安定 」、 と呼ぶ。 この ( 心の安定 ) と 等しいものは、
ほかに存在しない。 この すぐれた宝は 理法 ( 教え ) のうちに存する。
この真理によって 幸せであれ。
内に 怒ることなく、世の 栄枯盛衰を超越した修行者は、この世と かの世とを ともに捨て去る。
―― 蛇が脱皮して 旧い皮を捨て去るようなものである。
林の中で、縛られていない鹿が 食物を求めて 欲するところに赴くように、
聡明な人は 独立自由をめざして、サイの ツノのように ただ独り歩め。
四方の どこにでも赴き、害心あることなく、何でも 得たもので満足し、諸々の苦難に堪えて、
恐れることなく、サイの ツノのように ただ独り歩め。
栄える人を識別することは易く、破滅を識別することも易い。
理法を愛する人は栄え、理法を嫌う人は敗れる。
おのが妻に満足せず、遊女に交わり、他人の妻に交わる、 ―― これは 破滅への門である。
立ちつつも、歩みつつも、坐しつつも、臥しつつも、眠らないでいる限りは、この ( 慈しみ ) の
心づかいを しっかりと保て。 この世では、この状態を 崇高な境地 と呼ぶ。
常に 戒めを身に保ち、智慧あり、よく心を統一し、内省し、よく気をつけている人こそが、
渡りがたい激流を 渡り得る。
信仰あり、在家の生活を営む人に、誠実、真理、堅固、施与 という これらの四種の徳があれば、
かれは 来世に至っても憂えることがない。
すでに生じた ( 煩悩の芽を ) 断ち切って、新たに植えることなく、現に生ずる ( 煩悩 ) を
長ぜしめることが ないならば、この独り歩む人を ( 聖者 ) と名づける。
かの大仙人は 平安の境地を見たのである。
あらゆる執著の場所を知りおわって、そのいずれをも欲することなく、貪りを離れ、欲のない聖者は、
作意によって求めることがない。 かれは 彼岸に達しているからである。
独り歩み、怠ることのない聖者、非難と 賞賛とに心を動かさず、音声に驚かない獅子のように、
網にとらえられない風のように、水に汚されない蓮のように、他人に導かれることなく、他人を導く人、
―― 諸々の賢者は、かれを ( 聖者 ) であると知る。
世間を よく理解して、最高の真理を見、激流を超え 海をわたった このような人、束縛を破って、
依存することなく、煩悩の穢れのない人、 ―― 諸々の賢者は、かれを ( 聖者 ) であると知る。
生きものを自ら殺してはならぬ。 また他人をして殺さしめてはならぬ。
また 他の人々が殺害するのを容認してはならぬ。
すべての生きものに対する暴力を抑えて、与えられていないものは、何ものであっても、
また どこにあっても、知って これを取ることを避けよ。
また 他人をして取らせることなく、他人が取り去るのを認めてはならない。
正しい法に従って得た財をもって、母と父とを養い、正しい商売を行なうように。
つとめ励んで このように怠ることなく暮らしている在家者は、死後に ( 自ら光りを放つ ) という名の
神々のもとに赴く。
悪魔 ナムチよ、これらは汝の軍勢である。 黒き 魔 ( Kanha ) の攻撃軍である。
勇者でなければ、かれに うち勝つことができない。 ( 勇者 ) は うち勝って 楽しみを得る。
真実は 実に不滅のことばである。 これは 永遠の理法である。
立派な人々は、真実の上に、ためになることの上に、また理法の上に 安立しているといわれる。
サビヤよ。 一切の悪を斥け、汚れなく、よく心を静め保って、みずから安立し、輪廻を超えて
完全な者となり、こだわることのない人、 ―― このような人は ( バラモン ) と呼ばれる。
内面的にも 外面的にも 二つながら 白く浄らかなものを弁別して、清らかな智慧あり、
黒と白 ( 善悪業 ) を超越した人、 ―― このような人は まさにその故に ( 賢者 ) と呼ばれる。
己が悲嘆と 愛執と 憂いとを除け。 己が楽しみを求める人は、己が煩悩 ( 苦しみ ) の矢を抜くべし。
煩悩の矢を抜き去って、こだわることなく、心の安らぎを得たならば、あらゆる悲しみを超越して、
悲しみなき者となり、安らぎに帰する。
身を受けた生きものの間では それぞれ区別があるが、人間のあいだでは この区別 ( 差別 ) は
存在しない。
人間のあいだで 区別表示が説かれるのは、ただ名称によるのみ。
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スッタ ・ ニパータ より ー ( 6 )
世俗の ことがらに触れても、その人の心が動揺せず、憂いなく、けがれを離れ、安穏であること、
―― これが こよなき幸せである。
尊敬と 謙遜と 満足と 感謝と ( 適当な ) 時に教えを聞くこと、 ―― これが こよなき幸せである。
最も勝れた仏が 賛嘆したもうた 清らかな心の安定を、人々は、
「 悟りに向かって間をおかぬ 心の安定 」、 と呼ぶ。 この ( 心の安定 ) と 等しいものは、
ほかに存在しない。 この すぐれた宝は 理法 ( 教え ) のうちに存する。
この真理によって 幸せであれ。
内に 怒ることなく、世の 栄枯盛衰を超越した修行者は、この世と かの世とを ともに捨て去る。
―― 蛇が脱皮して 旧い皮を捨て去るようなものである。
林の中で、縛られていない鹿が 食物を求めて 欲するところに赴くように、
聡明な人は 独立自由をめざして、サイの ツノのように ただ独り歩め。
四方の どこにでも赴き、害心あることなく、何でも 得たもので満足し、諸々の苦難に堪えて、
恐れることなく、サイの ツノのように ただ独り歩め。
栄える人を識別することは易く、破滅を識別することも易い。
理法を愛する人は栄え、理法を嫌う人は敗れる。
おのが妻に満足せず、遊女に交わり、他人の妻に交わる、 ―― これは 破滅への門である。
立ちつつも、歩みつつも、坐しつつも、臥しつつも、眠らないでいる限りは、この ( 慈しみ ) の
心づかいを しっかりと保て。 この世では、この状態を 崇高な境地 と呼ぶ。
常に 戒めを身に保ち、智慧あり、よく心を統一し、内省し、よく気をつけている人こそが、
渡りがたい激流を 渡り得る。
信仰あり、在家の生活を営む人に、誠実、真理、堅固、施与 という これらの四種の徳があれば、
かれは 来世に至っても憂えることがない。
すでに生じた ( 煩悩の芽を ) 断ち切って、新たに植えることなく、現に生ずる ( 煩悩 ) を
長ぜしめることが ないならば、この独り歩む人を ( 聖者 ) と名づける。
かの大仙人は 平安の境地を見たのである。
あらゆる執著の場所を知りおわって、そのいずれをも欲することなく、貪りを離れ、欲のない聖者は、
作意によって求めることがない。 かれは 彼岸に達しているからである。
独り歩み、怠ることのない聖者、非難と 賞賛とに心を動かさず、音声に驚かない獅子のように、
網にとらえられない風のように、水に汚されない蓮のように、他人に導かれることなく、他人を導く人、
―― 諸々の賢者は、かれを ( 聖者 ) であると知る。
世間を よく理解して、最高の真理を見、激流を超え 海をわたった このような人、束縛を破って、
依存することなく、煩悩の穢れのない人、 ―― 諸々の賢者は、かれを ( 聖者 ) であると知る。
生きものを自ら殺してはならぬ。 また他人をして殺さしめてはならぬ。
また 他の人々が殺害するのを容認してはならぬ。
すべての生きものに対する暴力を抑えて、与えられていないものは、何ものであっても、
また どこにあっても、知って これを取ることを避けよ。
また 他人をして取らせることなく、他人が取り去るのを認めてはならない。
正しい法に従って得た財をもって、母と父とを養い、正しい商売を行なうように。
つとめ励んで このように怠ることなく暮らしている在家者は、死後に ( 自ら光りを放つ ) という名の
神々のもとに赴く。
悪魔 ナムチよ、これらは汝の軍勢である。 黒き 魔 ( Kanha ) の攻撃軍である。
勇者でなければ、かれに うち勝つことができない。 ( 勇者 ) は うち勝って 楽しみを得る。
真実は 実に不滅のことばである。 これは 永遠の理法である。
立派な人々は、真実の上に、ためになることの上に、また理法の上に 安立しているといわれる。
サビヤよ。 一切の悪を斥け、汚れなく、よく心を静め保って、みずから安立し、輪廻を超えて
完全な者となり、こだわることのない人、 ―― このような人は ( バラモン ) と呼ばれる。
内面的にも 外面的にも 二つながら 白く浄らかなものを弁別して、清らかな智慧あり、
黒と白 ( 善悪業 ) を超越した人、 ―― このような人は まさにその故に ( 賢者 ) と呼ばれる。
己が悲嘆と 愛執と 憂いとを除け。 己が楽しみを求める人は、己が煩悩 ( 苦しみ ) の矢を抜くべし。
煩悩の矢を抜き去って、こだわることなく、心の安らぎを得たならば、あらゆる悲しみを超越して、
悲しみなき者となり、安らぎに帰する。
身を受けた生きものの間では それぞれ区別があるが、人間のあいだでは この区別 ( 差別 ) は
存在しない。
人間のあいだで 区別表示が説かれるのは、ただ名称によるのみ。
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