・
ダンマ ・ パダ ( 法句経 ) - ( 7 )
ブッダの勝利は 敗れる事がない。 この世においては何人も、彼の勝利には達し得ない。
ブッダの境地は ひろく涯しがない。
足跡を もたないかれを、いかなる道によって誘 ( いざな ) い得るであろうか ?
正しい さとりを開き、念いに耽り、瞑想に専中している心ある人々は 世間から離れた静けさを楽しむ。
神々でさえも かれらを羨 ( うらや ) む。
人間の身を受けることは 難しい。 死すべき人々に寿命があるのも 難しい。 ( 難儀 )
正しい教えを聞くのも 難しい。 もろもろの仏の出現したもうことも 難しい。
忍耐 ・ 堪忍は 最上の苦行である。
ニルヴァーナ ( 平安 ) は 最高のものであると、諸々のブッダは説きたまう。
他人を害する人は 出家者ではない。 他人を悩ます人は ( 道の人 ) ではない。
たとえ 貨幣の雨を降らすとも、欲望の満足することはない。
「 快楽の味は 短くて 苦痛である。」、 と知るのが賢者である。
悩める人々のあいだにあって、悩み無く、大いに楽しく生きよう。
悩める人々のあいだにあって、悩み無く暮らそう。
われらは 一物も所有していない。 大いに 楽しく生きて行こう。
光り輝く神々のように、喜びを 食 ( は ) む者となろう。
健康は 最高の利得であり、満足は 最高の宝であり、信頼は 最高の知己であり、
ニルヴァーナは 最高の楽しみである。
孤独 ( ひとりい ) の味、心の安らいの味を あじわったならば、恐れも無く、
罪過 ( つみとが ) も無くなる、 ―― 真理の味を あじわいながら。
もろもろの聖者に会うのは 善いことである。 かれらと共に住むのは 常に楽しい。
愚かなる者どもに会わないならば、心は常に楽しいであろう。
道に違 ( たご ) うた事になじみ、道に従がった事に いそしまず、目的を捨てて
快い事だけを取る人は、みずからの道に沿って進む者を 羨 ( うらや ) むに至るであろう。
欲情と妄想から 憂いが生じ、欲情と妄執から 恐れが生じる。
欲情と妄執から離れたならば、憂いは存在しない。 どうして恐れることがあろうか。
言葉で説き得ないもの ( ニルヴァーナ ) に達しようとする 志を起こし、意 ( おもい ) は みたされ、
諸々の愛欲に 心の妨げられる事のない人は、( 流れを上る者 ) とよばれる。
久しく旅に出ていた人が 遠方から無事に帰って来たならば、親戚 ・ 友人 ・ 親友たちは
彼が帰って来たのを祝う。
そのように 善い事をして この世から あの世に行った人を 善行が迎え受ける。
―― 親族が 愛する人が帰って来たのを 迎え受けるように。
落ち着いて 思慮ある人は 身をつつしみ、言葉をつつしみ、心をつつしむ。
このように 彼らは実によく 己れを守っている。
不品行は 婦女の汚 ( けが ) れである。 物惜しみは 恵み与える人の汚れである。
悪事は、この世においても かの世においても ( つねに ) 汚れである。
この汚れりも さらに甚だしい汚れがある。 無明 ( 無智の暗黒 ) こそ 最大の汚れである。
修行僧らよ。 この汚れを捨てて、汚れ無き者となれ。
生きものを殺し、虚言 ( いつわり ) を語り、世間において 与えられていないものを取り、
他人の妻を犯し、穀酒 ・ 果実酒に耽り溺れる人は、この世において自分の根本を堀りくずす人である。
虚空には足跡が無く、外面的なことを気にかけるならば、( 道の人 ) ではない。
造り出された現象が 常住であることは有り得ない。
真理を悟った人 ( ブッダ ) は 動揺する事がない。
頭髪が 白くなったからとて ( 長老 ) なのではない。
ただ年をとっただけならば、 「 空しく 老いぼれた人 」、 と言われる。
誠あり、徳あり、慈しみがあって、傷 ( そこな ) わず、つつしみあり、汚れを除き、
気をつけている人こそ、 「 長老 」、 と呼ばれる。
バラモンよ、 ( この事を説く ) ということが、わたくしには無い。
全ての過誤を 過誤として省察しつつ、内心の平安を わたくしは見た。
わたくしは、出離 ( 遠離 ー おんり ) の楽しみを得た。 それは 凡夫の味わい得ないものである。
それは、戒律や 誓いだけによっても、また 博学によっても、また 瞑想を体現しても、
また ひとり離れて臥すことによっても、得られないものである。
修行僧よ。 汚 ( けが ) れが 消え失せない限りは、油断するな。
・
ダンマ ・ パダ ( 法句経 ) - ( 7 )
ブッダの勝利は 敗れる事がない。 この世においては何人も、彼の勝利には達し得ない。
ブッダの境地は ひろく涯しがない。
足跡を もたないかれを、いかなる道によって誘 ( いざな ) い得るであろうか ?
正しい さとりを開き、念いに耽り、瞑想に専中している心ある人々は 世間から離れた静けさを楽しむ。
神々でさえも かれらを羨 ( うらや ) む。
人間の身を受けることは 難しい。 死すべき人々に寿命があるのも 難しい。 ( 難儀 )
正しい教えを聞くのも 難しい。 もろもろの仏の出現したもうことも 難しい。
忍耐 ・ 堪忍は 最上の苦行である。
ニルヴァーナ ( 平安 ) は 最高のものであると、諸々のブッダは説きたまう。
他人を害する人は 出家者ではない。 他人を悩ます人は ( 道の人 ) ではない。
たとえ 貨幣の雨を降らすとも、欲望の満足することはない。
「 快楽の味は 短くて 苦痛である。」、 と知るのが賢者である。
悩める人々のあいだにあって、悩み無く、大いに楽しく生きよう。
悩める人々のあいだにあって、悩み無く暮らそう。
われらは 一物も所有していない。 大いに 楽しく生きて行こう。
光り輝く神々のように、喜びを 食 ( は ) む者となろう。
健康は 最高の利得であり、満足は 最高の宝であり、信頼は 最高の知己であり、
ニルヴァーナは 最高の楽しみである。
孤独 ( ひとりい ) の味、心の安らいの味を あじわったならば、恐れも無く、
罪過 ( つみとが ) も無くなる、 ―― 真理の味を あじわいながら。
もろもろの聖者に会うのは 善いことである。 かれらと共に住むのは 常に楽しい。
愚かなる者どもに会わないならば、心は常に楽しいであろう。
道に違 ( たご ) うた事になじみ、道に従がった事に いそしまず、目的を捨てて
快い事だけを取る人は、みずからの道に沿って進む者を 羨 ( うらや ) むに至るであろう。
欲情と妄想から 憂いが生じ、欲情と妄執から 恐れが生じる。
欲情と妄執から離れたならば、憂いは存在しない。 どうして恐れることがあろうか。
言葉で説き得ないもの ( ニルヴァーナ ) に達しようとする 志を起こし、意 ( おもい ) は みたされ、
諸々の愛欲に 心の妨げられる事のない人は、( 流れを上る者 ) とよばれる。
久しく旅に出ていた人が 遠方から無事に帰って来たならば、親戚 ・ 友人 ・ 親友たちは
彼が帰って来たのを祝う。
そのように 善い事をして この世から あの世に行った人を 善行が迎え受ける。
―― 親族が 愛する人が帰って来たのを 迎え受けるように。
落ち着いて 思慮ある人は 身をつつしみ、言葉をつつしみ、心をつつしむ。
このように 彼らは実によく 己れを守っている。
不品行は 婦女の汚 ( けが ) れである。 物惜しみは 恵み与える人の汚れである。
悪事は、この世においても かの世においても ( つねに ) 汚れである。
この汚れりも さらに甚だしい汚れがある。 無明 ( 無智の暗黒 ) こそ 最大の汚れである。
修行僧らよ。 この汚れを捨てて、汚れ無き者となれ。
生きものを殺し、虚言 ( いつわり ) を語り、世間において 与えられていないものを取り、
他人の妻を犯し、穀酒 ・ 果実酒に耽り溺れる人は、この世において自分の根本を堀りくずす人である。
虚空には足跡が無く、外面的なことを気にかけるならば、( 道の人 ) ではない。
造り出された現象が 常住であることは有り得ない。
真理を悟った人 ( ブッダ ) は 動揺する事がない。
頭髪が 白くなったからとて ( 長老 ) なのではない。
ただ年をとっただけならば、 「 空しく 老いぼれた人 」、 と言われる。
誠あり、徳あり、慈しみがあって、傷 ( そこな ) わず、つつしみあり、汚れを除き、
気をつけている人こそ、 「 長老 」、 と呼ばれる。
バラモンよ、 ( この事を説く ) ということが、わたくしには無い。
全ての過誤を 過誤として省察しつつ、内心の平安を わたくしは見た。
わたくしは、出離 ( 遠離 ー おんり ) の楽しみを得た。 それは 凡夫の味わい得ないものである。
それは、戒律や 誓いだけによっても、また 博学によっても、また 瞑想を体現しても、
また ひとり離れて臥すことによっても、得られないものである。
修行僧よ。 汚 ( けが ) れが 消え失せない限りは、油断するな。
・