四 禅 - ( 2 )




 「 ブッダは、与えられた意識形式を、どのようにして超える事ができるか、という、その実践、

  その道を教える。」


 「 粗野な肉体と結び付いている自己が、最も低級な自己とされている。

  それぞれの段階は、すぐ上の段階 ( 境地 ) の中で克服され、そして 無として現れる。

  すなわち、あらゆる認識は、仏教の考え方によれば相対的であり、一定の意識段階に

  よってのみしか 存在しない。

  ある段階に存する矛盾は、すぐ上の段階において、消滅する。」


                                ―― ヘルマン ・ベック ――




                               四禅



初禅、―― 欲望を離れ、不善の事柄を離れ、粗なる思考あり、微細な思考があったが、

 遠離から生じた喜楽である、初禅を成就していた。


ニ禅、―― 次に、粗なる思考と 微細なる思考との止滅の故に、内心が静安となり、心が統一し、

 粗なる思考なく 微細な思考なく、定 ( じょう ―― 瞑想 ) から生じた喜楽ある、第ニ禅を成就して

 いた。


三禅、―― 次に、喜に染まらないが故に、平静、無関心であり、想い、正しい気づかいあり、身体で

 安楽を感受していた。

 すなわち 聖者が、 「 平静であり、想いあり、安楽に とどまっている。」、 と説くところの、

 第三禅を成就していた。


四禅、―― 次いで、楽を捨てて、苦を捨てるが故に、先に喜びと憂いを滅したので、不苦不楽であり、

 平静と想いとに良く清められている、第四禅を成就していた。


 かくの如く、心が統一され、清浄で、清らかで、汚れなく、柔らかで、巧みで、確立し、不動となった

 時に、過去の生涯を想いを起こす知に 心を向けた。

 すなわち、 一つの生涯、 二つの生涯、 三つの生涯、 四つの生涯、と、 ここに無明が滅びて、
 
 明知が生じたのである。


                                      ―― 聖求経 ――




                               四禅



思念は確立し、失念する事なく、身は安静で 躁暴でなく、心は一点に定められ、諸々の欲望からすでに

離れ、不善のことどもから離れ、思考を伴い、考察を伴い、離から生ずる、喜びと安らぎの、初禅。


思考と考察が静まって、内に清らかさを持ち、心が一点となり、思考が無く、考察が無い 禅定から

生ずる、喜びと安らぎの、第二禅。


喜びに染まらず、又、捨 ( 無関心 ) に住み、さらに 思考をそなえた正知者であり、又、身をもって

安らぎを感受した、聖者たちが説く、 「 捨心を持ち、思念をそなえて 安楽に住む。」、 という

第三禅。


安楽を捨てて、もう前もって、意 ( 心 ) の喜びと、憂いを滅して、苦が無く、捨心によって思念が

完全に清浄な、第四禅。


                                    ―― 布詫婆楼経 ――




( 仏教は、人の心の境地を最も大切にします。  科学は進歩しましたが、精神文明には、これといった

 進化は ありませんでした。

 人々は、現象世界 ( 現実 ) を拠り所にして 自分自身を考えていますが、一人一人にとって、この

 現象世界は 皆違います。  又、人は、死ぬと同時に、その人にとって この現象世界は消滅するか、

 あるいは他界し、この世界とは違う世界へと移行をします。  そのどちらかです。

 と、言う事は、この現象世界 ( 現実世界 ) よりも、各自の心の 有りかたの方が より重要であると

 いう事にもなります。 

 ブッダの言葉に、 「 全ての悪をなさず、善を成就し、自ら自分の心を清める事。 これが、全ての

  覚者 ( ブッダ ) の教えである。」、 という教えがありますが、その人生の業 ( 行為 ) によって

 赴 ( おもむ ) く 他界先が決まると説かれています。

 「 唯我独尊 」、 という思想の根拠も、ここにあります。


 
 初禅は、瞑想によって現実を離れ、邪悪のない世界への境地の、喜び、楽しみを感受します。

 そこから起 ( た ) って、ニ禅に入ります。

 
 二禅は、思考、感受のない、精神統一の安楽です。  現代、一般に行なわれている禅定です。


 三禅は、その境地を獲得したのちに、そこから起って、喜びに染まらず、平静であり、想いあり、

 無関心によって、身体で安楽を感受します。  全てを捨て去った仙人の境地です。


 四禅は、そこから起って、喜びも 憂いも、楽も 苦も捨て去って、捨心 ( 遠離、おんり ) によって

 最も平静で、心が清められた境地に到達します。



 このような瞑想を習慣にしていると、煩悩 ( 諸々の悩み ) 、欲望、苦しみ、怒り、現象世界に対する

 迷妄から、心が超越していき、涅槃 ( ニルヴァーナ、平安 ) へと、精神が移行していきます。

 
 
 
 ただ、 ブッダは、 「 ―― 善い人の いない所は、公会堂 ( 議事堂 ) では無い。 」、 又、

 「 善を追求して、この世の 幾多の危難に 打ち勝て。 」、 とも 説いておられます。 

 善を成就する事、つまり この世の悪徳、政治などの堕落に対し、ダンマ ( 正義、真理 )、を守って

 理想世界の実現に努力する事は、仏教史の為してきた栄光であり、今 私達が追求するべき

 未来への 希望でもあるだろうと思います。 )






 

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