・
黒田三郎 詩集 より
―― あなたの美しさにふさわしく ――
失われたもののみが美しく
失われたもののみが あなたのものであったと
ひそかに あなたに告げるのは誰か
心に残されたものは
赤錆の鉄骨と
燃え残った石壁だけであると
ひそかに あなたに告げるのは誰か
美しい人よ
思い出が あなたを貪欲にする
かつて あなたを容れるためにあり
いまなお あなたを容れるためにある
空白のなかで
あなたの美しさにふさわしく
唇を洩れて出るひとことよ
たかがそれは
木と紙と ガラスにすぎなかったのだと
失われるものの 失われた無数の穴から
風は吹き入り
はるかに海が見える
かくされたものは かくれる影を失い
炎天の下
這い
うごめき
かくれる影を求めて
罵り騒ぎ
海のほとり
新しい旗の はためく町よ廃墟よ
新しい旗の影にかくれる
政治的動物の群れを見よ
飢えていま 風のなかに立つ美しい人よ
かつて あなたが持っていた多くの物の代りに
いま あなたの持っている多くのものを
あなたはいま ひそかにあなたに告げよ
失われた影のむこうに
あなたの眼が偽りなく捕らえた多くのものを
あなたはいま ひそかにあなたに告げよ
あなたの美しさにふさわしく
あなたの持っているものが
よし不信と憤怒と 絶望であろうとも
あなたはいま ひそかにあなたに告げよ
―― 友よ ――
善意のみを求めて
遂に すべてを失ってしまったのであろうか
帽子も
地位も
恋人も
おずおずと差出される白い暖い手を
ふり払うがいい
美しい言葉のささやきを
こなごなにしてしまうがいい
ほかに凭れかかるものが 何もないからといって
廃墟のなかで
不用意に凭れかかることを注意せよ
だれにも打ち明けられぬ秘密のように
近寄る者 悉くの命をとる青い湖水のように
沈黙のみがふさわしい
虚偽の弁舌を瓦礫のように踏み
雑草のように のびるものを押しわけて
ひとり 背を見せてゆく友よ
雲のみの美しい日に
ポケットの穴から
友よ
パンのかけらがこぼれ落ちる
―― 引き裂かれたもの ――
その 書きかけの手紙のひとことが
僕のこころを無残に引き裂く
一週間たったら誕生日を迎える
たったひとりの 幼いむすめに
胸を病む母の書いた ひとことが
「 ほしいものは きまりましたか
なんでも いってくるといいのよ 」 と
ひとりの貧しい母は書き
その書きかけの手紙を残して
死んだ
「 二千の結核患者、 炎熱の都議会に坐り込み
一人死亡 」 と
新聞は告げる
一人死亡 !
一人死亡とは
それは
どういうことだったのか
識者は言う 「 療養中の体で闘争は疑問 」 と
識者は言う 「 政治患者をつくる政治 」 と
識者は言う 「 やはり政治の貧困から 」 と
その ひとつひとつの言葉に
僕のなかの識者がうなずく
うなずきながら
ただうなずく自分に 激しい屈辱を
僕は感じる
一人死亡とは
それは
一人という
数のことなのかと
一人死亡とは
決して失われてはならないものが
そこで みすみす失われてしまったことを
僕は決して許すことができない
死んだひとの 永遠に届かない声
永遠に引き裂かれたもの !
無残にかつぎ上げられた担架の上で
何のために
その ひとりの貧しい母は
死んだのか
「 なんでも 言ってくるといいのよ 」 と
その言葉がまだ 幼いむすめの耳に入らぬ内に
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黒田三郎 詩集 より
―― あなたの美しさにふさわしく ――
失われたもののみが美しく
失われたもののみが あなたのものであったと
ひそかに あなたに告げるのは誰か
心に残されたものは
赤錆の鉄骨と
燃え残った石壁だけであると
ひそかに あなたに告げるのは誰か
美しい人よ
思い出が あなたを貪欲にする
かつて あなたを容れるためにあり
いまなお あなたを容れるためにある
空白のなかで
あなたの美しさにふさわしく
唇を洩れて出るひとことよ
たかがそれは
木と紙と ガラスにすぎなかったのだと
失われるものの 失われた無数の穴から
風は吹き入り
はるかに海が見える
かくされたものは かくれる影を失い
炎天の下
這い
うごめき
かくれる影を求めて
罵り騒ぎ
海のほとり
新しい旗の はためく町よ廃墟よ
新しい旗の影にかくれる
政治的動物の群れを見よ
飢えていま 風のなかに立つ美しい人よ
かつて あなたが持っていた多くの物の代りに
いま あなたの持っている多くのものを
あなたはいま ひそかにあなたに告げよ
失われた影のむこうに
あなたの眼が偽りなく捕らえた多くのものを
あなたはいま ひそかにあなたに告げよ
あなたの美しさにふさわしく
あなたの持っているものが
よし不信と憤怒と 絶望であろうとも
あなたはいま ひそかにあなたに告げよ
―― 友よ ――
善意のみを求めて
遂に すべてを失ってしまったのであろうか
帽子も
地位も
恋人も
おずおずと差出される白い暖い手を
ふり払うがいい
美しい言葉のささやきを
こなごなにしてしまうがいい
ほかに凭れかかるものが 何もないからといって
廃墟のなかで
不用意に凭れかかることを注意せよ
だれにも打ち明けられぬ秘密のように
近寄る者 悉くの命をとる青い湖水のように
沈黙のみがふさわしい
虚偽の弁舌を瓦礫のように踏み
雑草のように のびるものを押しわけて
ひとり 背を見せてゆく友よ
雲のみの美しい日に
ポケットの穴から
友よ
パンのかけらがこぼれ落ちる
―― 引き裂かれたもの ――
その 書きかけの手紙のひとことが
僕のこころを無残に引き裂く
一週間たったら誕生日を迎える
たったひとりの 幼いむすめに
胸を病む母の書いた ひとことが
「 ほしいものは きまりましたか
なんでも いってくるといいのよ 」 と
ひとりの貧しい母は書き
その書きかけの手紙を残して
死んだ
「 二千の結核患者、 炎熱の都議会に坐り込み
一人死亡 」 と
新聞は告げる
一人死亡 !
一人死亡とは
それは
どういうことだったのか
識者は言う 「 療養中の体で闘争は疑問 」 と
識者は言う 「 政治患者をつくる政治 」 と
識者は言う 「 やはり政治の貧困から 」 と
その ひとつひとつの言葉に
僕のなかの識者がうなずく
うなずきながら
ただうなずく自分に 激しい屈辱を
僕は感じる
一人死亡とは
それは
一人という
数のことなのかと
一人死亡とは
決して失われてはならないものが
そこで みすみす失われてしまったことを
僕は決して許すことができない
死んだひとの 永遠に届かない声
永遠に引き裂かれたもの !
無残にかつぎ上げられた担架の上で
何のために
その ひとりの貧しい母は
死んだのか
「 なんでも 言ってくるといいのよ 」 と
その言葉がまだ 幼いむすめの耳に入らぬ内に
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