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ブッダ 入滅
ある西欧の宗教学者は、こう書いている。
「 ソクラテスは、自ら神界に旅立つ事を説き、その希望を信じて、処刑の毒杯を飲んで死んだ。
イエスは処刑される寸前に、 『 天なる父よ、この私を 見捨てられるのですか ? 』、 と語った。
しかし ブッダは、天界に生まれ変わる事を超越して、自ら完全なる安らぎ (ニルヴァーナ) に入った。
―― 何ものにも頼る事無く。
この点においては、宗教家としてのブッダは雄々しく、偉大であったと言わざるを得ない。」、 と。
ガヴァンパティ、という名の 不思議な仏弟子がいる。 彼の名前は 仏典にはあまり出て来ない。
彼は 深夜の大雨によるサラブー河の決壊を 神通力によって堰き止め、多くの人々の命を救ったという。
そしてその事を ブッダから称賛されている。
この史実は、テーラ ガーター に書かれているので、後世に 神話として創作された 作り話であるとは
考えにくい。
ブッダ入滅時、仏典には、 「 ガヴァンパティは その時、ある事情があって、ある神界にいた。」
と書かれている。
そして、一人の仏弟子が、彼のいる神界に ブッダの入滅を報告に行った。
ガヴァンパティは それを聞いて、 「 それでは私も ここにいる必要は なくなった。」、 と答えて、
自らその場で 入滅を果たしたという。
ブッダの晩年には、諸国の王から 庶民、奴隷 不可触民に至るまで、ブッダは 敬愛され、頼りにされて
いた。
ブッダが その地を立ち去る際には、多くの人々がブッダとの別れを悲しんで、ブッダ一行に どこまでも
付いて来るので、ブッダは 御自分の持ち物を手渡されて、彼らに帰るように告げられている。
祇園精舎、麓野園講堂、竹林精舎、温泉精舎、など、ブッダに寄進された 有名な精舎は多いが、
寄進された精舎は各地に多数あったらしい。
仏典には、「 王園精舎 」、という名も出て来る。 これは現在 発掘されていない。
各精舎の寄進に当たっては、( いつまでもブッダに この精舎に留まって欲しい ) という願望があったと
思われるが、ブッダは一生 布教の旅を続けられたのだった。
ブッダがその夜 入滅されると聞いたマッラ国の人々は、 「 苦悶し、憂え、心の苦しみに圧せられて、
或る人々は髪を乱して泣き、両腕を突き出して泣き、砕かれた岩のように倒れ、身をもだえさせた。」
又、ブッダの入滅を聞いた仏弟子たちは、 「 感情を自制する事のできない、修行者の 或る者どもは、
両腕を伸ばして泣き、打ち倒れ、ころび廻った。 或る者は気絶し、気が付いては 又泣いた。」
と 仏典に書かれている。
これらの記述は、史実の 詳細 正確で知られる、大パリニッバーナ経にあるので、大げさに表現された
とも思えない。
後世、日本では鎌倉時代の 華厳宗の僧侶、明恵 ( みょうえ ) が、兄弟子から 遺教経を読んでもらって
いて、ブッダの入滅の話の所で 泣き臥し、気絶したという。
ブッダ入滅の 直接の原因になったのは、鍛冶工の子、チュンダが ブッダと仏弟子を招き、特別にブッダ
だけに差し上げた食べ物だった。
これは、豚肉と キノコとの 二説がある。 いずれにしても、腐っていたか 毒キノコだった。
チュンダは それを知らなかったのである。
これを口にしたブッダは、 「 これは 如来にしか消化し得ない。 今すぐ土に埋めなさい。」、 と
告げられた。 チュンダに対する思いやりである。
その直後、激しい下血にブッダは襲われ、死ぬほどの苦しみに耐えられたという。
仏弟子たちも チュンダも、そのありさまを目にして動揺した。
ブッダは耐え忍ばれ、やがてそこからも旅立ったのだった。 ブッダ最後の旅である。
チュンダは 心配のあまり、ブッダとその弟子たちの一行に ついて来ていた。
その夜、ブッダは チュンダを思いやって、侍者アーナンダを通し チュンダに、 「 友、チュンダよ。
あなたがブッダに差し上げた 最後の供養の食べ物は、最高の功徳があり、最高の利益 ( りやく ) が
ある。 この言葉を 私は ブッダから 確かに承 ( うけたまわ ) った。」、 と 伝えさせのだった。
最後の沐浴の為にブッダが河に入った時、共に河に入ってブッダの世話をしたのは、チュンダであった。
これは 仏典の中においても、他に例がない。 普通 侍者 アーナンダが付き従う仕事である。
チュンダが ブッダの沐浴の世話を願い出て、ブッダとアーナンダが それを受け入れたのかも知れない。
そして ブッダの入滅の直前に、チュンダは 自ら命を断っている。
悲しみのあまりにか、ブッダと共に往こうとしたのか、それはわからない。
ブッダが入滅した まさにその時、大地震が起こったという。
いくつかの仏典には、 「 その時、身の毛が逆立った。 恐ろしい事が起こった。」、 などと 記録
されている。
ブッダの入滅の 直前と直後に、自ら命を断った 仏弟子と信者が 何人かいる。
ブッダの入滅後、五百人の仏弟子の長老を集め、ブッダの語られた言葉を一つ一つ全員で確認したという
七葉窟における第一結集を主催した マハー・カッサパも、その責務を終えたあと ただ一人で山に入って
結跏趺坐したままで入滅を果たしている。
「 ブッダとは、それほどまでに慕われていたのか。」、 と、思わざるを得ない。
ヘルマン・ベック は その著書、「 仏教 」、の中で、こう書いている。
「 ブッダ、という、これほど強い感化力が ひとりの人物から あらわれ出る事は めずらしい。」
「 ブッダの本性を一口で言うならば、気品をそなえた柔和と慈愛であり、このたぐいなき人物の
最も著しい特徴をなしている。 これを芸術的に表現して我々を感動させるのは、
日本の鎌倉大仏に見る表情である。」
「 ブッダは キリストに先立つ時代に生きていて、まさしく自分の教えのみを説いた。」
「 私たちの眼にうつる ブッダの説教の偉大さ、すなわち、歴史の展開のうちで ここに初めて
人類思想が現れ出た事、ただの民族宗教ではない宗教を ここに初めて迎えた事、この事態こそ、
なぜ仏教が インドに存続する事ができなかったか という訳を説明するものである。」
「 精神的な目標のある事を、ブッダは人々に教えたが、あらゆる俗世間を超越していた
ブッダの心情も、生きとし生けるものに対する、慈しみと 哀れみに満ちていたのである。」
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ブッダ 入滅
ある西欧の宗教学者は、こう書いている。
「 ソクラテスは、自ら神界に旅立つ事を説き、その希望を信じて、処刑の毒杯を飲んで死んだ。
イエスは処刑される寸前に、 『 天なる父よ、この私を 見捨てられるのですか ? 』、 と語った。
しかし ブッダは、天界に生まれ変わる事を超越して、自ら完全なる安らぎ (ニルヴァーナ) に入った。
―― 何ものにも頼る事無く。
この点においては、宗教家としてのブッダは雄々しく、偉大であったと言わざるを得ない。」、 と。
ガヴァンパティ、という名の 不思議な仏弟子がいる。 彼の名前は 仏典にはあまり出て来ない。
彼は 深夜の大雨によるサラブー河の決壊を 神通力によって堰き止め、多くの人々の命を救ったという。
そしてその事を ブッダから称賛されている。
この史実は、テーラ ガーター に書かれているので、後世に 神話として創作された 作り話であるとは
考えにくい。
ブッダ入滅時、仏典には、 「 ガヴァンパティは その時、ある事情があって、ある神界にいた。」
と書かれている。
そして、一人の仏弟子が、彼のいる神界に ブッダの入滅を報告に行った。
ガヴァンパティは それを聞いて、 「 それでは私も ここにいる必要は なくなった。」、 と答えて、
自らその場で 入滅を果たしたという。
ブッダの晩年には、諸国の王から 庶民、奴隷 不可触民に至るまで、ブッダは 敬愛され、頼りにされて
いた。
ブッダが その地を立ち去る際には、多くの人々がブッダとの別れを悲しんで、ブッダ一行に どこまでも
付いて来るので、ブッダは 御自分の持ち物を手渡されて、彼らに帰るように告げられている。
祇園精舎、麓野園講堂、竹林精舎、温泉精舎、など、ブッダに寄進された 有名な精舎は多いが、
寄進された精舎は各地に多数あったらしい。
仏典には、「 王園精舎 」、という名も出て来る。 これは現在 発掘されていない。
各精舎の寄進に当たっては、( いつまでもブッダに この精舎に留まって欲しい ) という願望があったと
思われるが、ブッダは一生 布教の旅を続けられたのだった。
ブッダがその夜 入滅されると聞いたマッラ国の人々は、 「 苦悶し、憂え、心の苦しみに圧せられて、
或る人々は髪を乱して泣き、両腕を突き出して泣き、砕かれた岩のように倒れ、身をもだえさせた。」
又、ブッダの入滅を聞いた仏弟子たちは、 「 感情を自制する事のできない、修行者の 或る者どもは、
両腕を伸ばして泣き、打ち倒れ、ころび廻った。 或る者は気絶し、気が付いては 又泣いた。」
と 仏典に書かれている。
これらの記述は、史実の 詳細 正確で知られる、大パリニッバーナ経にあるので、大げさに表現された
とも思えない。
後世、日本では鎌倉時代の 華厳宗の僧侶、明恵 ( みょうえ ) が、兄弟子から 遺教経を読んでもらって
いて、ブッダの入滅の話の所で 泣き臥し、気絶したという。
ブッダ入滅の 直接の原因になったのは、鍛冶工の子、チュンダが ブッダと仏弟子を招き、特別にブッダ
だけに差し上げた食べ物だった。
これは、豚肉と キノコとの 二説がある。 いずれにしても、腐っていたか 毒キノコだった。
チュンダは それを知らなかったのである。
これを口にしたブッダは、 「 これは 如来にしか消化し得ない。 今すぐ土に埋めなさい。」、 と
告げられた。 チュンダに対する思いやりである。
その直後、激しい下血にブッダは襲われ、死ぬほどの苦しみに耐えられたという。
仏弟子たちも チュンダも、そのありさまを目にして動揺した。
ブッダは耐え忍ばれ、やがてそこからも旅立ったのだった。 ブッダ最後の旅である。
チュンダは 心配のあまり、ブッダとその弟子たちの一行に ついて来ていた。
その夜、ブッダは チュンダを思いやって、侍者アーナンダを通し チュンダに、 「 友、チュンダよ。
あなたがブッダに差し上げた 最後の供養の食べ物は、最高の功徳があり、最高の利益 ( りやく ) が
ある。 この言葉を 私は ブッダから 確かに承 ( うけたまわ ) った。」、 と 伝えさせのだった。
最後の沐浴の為にブッダが河に入った時、共に河に入ってブッダの世話をしたのは、チュンダであった。
これは 仏典の中においても、他に例がない。 普通 侍者 アーナンダが付き従う仕事である。
チュンダが ブッダの沐浴の世話を願い出て、ブッダとアーナンダが それを受け入れたのかも知れない。
そして ブッダの入滅の直前に、チュンダは 自ら命を断っている。
悲しみのあまりにか、ブッダと共に往こうとしたのか、それはわからない。
ブッダが入滅した まさにその時、大地震が起こったという。
いくつかの仏典には、 「 その時、身の毛が逆立った。 恐ろしい事が起こった。」、 などと 記録
されている。
ブッダの入滅の 直前と直後に、自ら命を断った 仏弟子と信者が 何人かいる。
ブッダの入滅後、五百人の仏弟子の長老を集め、ブッダの語られた言葉を一つ一つ全員で確認したという
七葉窟における第一結集を主催した マハー・カッサパも、その責務を終えたあと ただ一人で山に入って
結跏趺坐したままで入滅を果たしている。
「 ブッダとは、それほどまでに慕われていたのか。」、 と、思わざるを得ない。
ヘルマン・ベック は その著書、「 仏教 」、の中で、こう書いている。
「 ブッダ、という、これほど強い感化力が ひとりの人物から あらわれ出る事は めずらしい。」
「 ブッダの本性を一口で言うならば、気品をそなえた柔和と慈愛であり、このたぐいなき人物の
最も著しい特徴をなしている。 これを芸術的に表現して我々を感動させるのは、
日本の鎌倉大仏に見る表情である。」
「 ブッダは キリストに先立つ時代に生きていて、まさしく自分の教えのみを説いた。」
「 私たちの眼にうつる ブッダの説教の偉大さ、すなわち、歴史の展開のうちで ここに初めて
人類思想が現れ出た事、ただの民族宗教ではない宗教を ここに初めて迎えた事、この事態こそ、
なぜ仏教が インドに存続する事ができなかったか という訳を説明するものである。」
「 精神的な目標のある事を、ブッダは人々に教えたが、あらゆる俗世間を超越していた
ブッダの心情も、生きとし生けるものに対する、慈しみと 哀れみに満ちていたのである。」
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