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アショーカ 王
紀元前 二百六十八年頃のインドに在位していた、「 アショーカ 王 」、という名前の大王がいました。
日本の聖徳太子が 仏教によって国を統治しよう、と 都を移した奈良の飛鳥 ( アスカ ) という地名は、
この ( アショーカ ) から 名付けられた、と言われています。
当時の日本には、インド人の高僧も来ていたのでした。
ちなみに、奈良の中心部には 今でも ( ヨガ神社 ) という名前の神社が残っています。
当時、アショーカ王は、アレキサンダー大王による インド侵略に対抗して戦い、無敵を誇っていた
アレキサンダーの軍勢を退けています。
しかし、アショーカ王は 全インドを統治した際、その戦いによって 多くの人々が犠牲になってしまった
事を悔い、仏教に帰依しましたが、仏教徒以外の 全ての宗教家をも保護していました。
そして 世界に向けて仏教を布教する為に 僧侶を派遣し、西欧にも 二十数回にわたって 高僧を送って
います。
『 一切の宗教の 存在意義を認める 』
アショーカ王みずからは、仏教を信仰していました。
しかし、この詔勅は 仏教そのものを広めようとしたのではありません。
それどころか、一切の宗教の存在意義を認めたのです。 「 すべての宗教の本質を増大するように。」
と 彼は言い、それをめざしました。 その言葉が ( 岩石詔勅の 第十二章 )、に説かれています。
( 中村元 氏 )
「 神々に愛された温容ある王 ( アショーカ王 ) は、出家者と在家者との 一切の宗教を
施与によって崇敬し、また 種種の崇敬をもって崇敬する。
しかし 神々に愛された王が思うに、すべての宗教の本質を増大させよう、とする事のように、
かくもすぐれた施与 または崇敬は 他に存在しない。
全ての宗教の本質の増大は、多種の方法によって起こるけれども、その根本となるものは、
言語をつつしむこと、すなわち 不適当な機会において もっぱら自己の宗教を賞揚し、または
他の宗教を非難してはならない事、あるいは それぞれの機会において 温和であるべき事である。
そうであるからこそ、各自は互いに それぞれのしかたによって 他の宗教を尊敬すべきである。
もしも互いに、このようになすならば、自らの宗教を増進させると共に、他の宗教をも助ける
のである。
このようにしない時は、自らの宗教を害い、同時に 他の宗教を害する。
なんとなれば、全く 自らの宗教に対する 熱烈な信仰により、「 願わくば 自分の宗教を輝かそう。」
と 念じて、自らの宗教をのみ賞揚し、あるいは 他の宗教を非難する者は、こうする為に、こうして
かえって いっそう強く、自らの宗教を害うのである。
ゆえに もっぱら互いに 法を聴き合い、又 それを敬信する為に 全て一致して 和合する事こそ
善である。
けだし、神々に愛された王の希望する事は、願わくは 全ての宗教が博学で、その教義の 善きものと
なれかし、という事だからである。
それぞれの宗教を信じている人々には、次のように告げなければならない。
神々に愛された王は思うのであるが、ひとえに 一切の宗教の本質を増進させるほどの、施与 あるいは
崇敬は 世に存在しない。
そうして このような目的の為に、多くの 教法大官、飼獣苑官 ( しじゅうえんかん ー 動物の世話を
する役人 )、ならびに 他の部局の人々が 事をつかさどっているのである。
こういうわけで、それの結果は、各自の宗教の栄える事、又、法 ( 真理 ) の 輝く事である。」
( 岩石詔勅 第十二章 )
つまり、アショーカ王は 仏教に基礎をおきつつも、万人に普遍・妥当する 絶対の真実、すなわち
人間の道を指し示そう、というものでした。
それを、「 法 」、すなわち ダルマ ( 真理 ) として表現したのです。
ちなみに 今インドの紋章は、サールナート ( 鹿野苑 ー らくやおん ) に建てられた
アショーカ王の 石柱上方の柱頭から とったものです。
台座には 法輪が刻まれ、その上には 背中合わせに座る 四頭のライオンの像が示されていますが、
この法輪は決して、「 仏教の法 」、を 示すものではありません。
宗派を超えた 普遍的な、「 法 ( 真理 ) 」、を 意味しており、これは 現代インドにいたるまで、
政治理念として 伝えられているのです。
「 一切の宗教の 存在意義を認める。」、 という、このアショーカ王の考えは、
今後の世界の 進みゆく方向づけとして、非常に重要な意義を持っているのではないでしょうか。
( 中村元 博士 )
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アショーカ 王
紀元前 二百六十八年頃のインドに在位していた、「 アショーカ 王 」、という名前の大王がいました。
日本の聖徳太子が 仏教によって国を統治しよう、と 都を移した奈良の飛鳥 ( アスカ ) という地名は、
この ( アショーカ ) から 名付けられた、と言われています。
当時の日本には、インド人の高僧も来ていたのでした。
ちなみに、奈良の中心部には 今でも ( ヨガ神社 ) という名前の神社が残っています。
当時、アショーカ王は、アレキサンダー大王による インド侵略に対抗して戦い、無敵を誇っていた
アレキサンダーの軍勢を退けています。
しかし、アショーカ王は 全インドを統治した際、その戦いによって 多くの人々が犠牲になってしまった
事を悔い、仏教に帰依しましたが、仏教徒以外の 全ての宗教家をも保護していました。
そして 世界に向けて仏教を布教する為に 僧侶を派遣し、西欧にも 二十数回にわたって 高僧を送って
います。
『 一切の宗教の 存在意義を認める 』
アショーカ王みずからは、仏教を信仰していました。
しかし、この詔勅は 仏教そのものを広めようとしたのではありません。
それどころか、一切の宗教の存在意義を認めたのです。 「 すべての宗教の本質を増大するように。」
と 彼は言い、それをめざしました。 その言葉が ( 岩石詔勅の 第十二章 )、に説かれています。
( 中村元 氏 )
「 神々に愛された温容ある王 ( アショーカ王 ) は、出家者と在家者との 一切の宗教を
施与によって崇敬し、また 種種の崇敬をもって崇敬する。
しかし 神々に愛された王が思うに、すべての宗教の本質を増大させよう、とする事のように、
かくもすぐれた施与 または崇敬は 他に存在しない。
全ての宗教の本質の増大は、多種の方法によって起こるけれども、その根本となるものは、
言語をつつしむこと、すなわち 不適当な機会において もっぱら自己の宗教を賞揚し、または
他の宗教を非難してはならない事、あるいは それぞれの機会において 温和であるべき事である。
そうであるからこそ、各自は互いに それぞれのしかたによって 他の宗教を尊敬すべきである。
もしも互いに、このようになすならば、自らの宗教を増進させると共に、他の宗教をも助ける
のである。
このようにしない時は、自らの宗教を害い、同時に 他の宗教を害する。
なんとなれば、全く 自らの宗教に対する 熱烈な信仰により、「 願わくば 自分の宗教を輝かそう。」
と 念じて、自らの宗教をのみ賞揚し、あるいは 他の宗教を非難する者は、こうする為に、こうして
かえって いっそう強く、自らの宗教を害うのである。
ゆえに もっぱら互いに 法を聴き合い、又 それを敬信する為に 全て一致して 和合する事こそ
善である。
けだし、神々に愛された王の希望する事は、願わくは 全ての宗教が博学で、その教義の 善きものと
なれかし、という事だからである。
それぞれの宗教を信じている人々には、次のように告げなければならない。
神々に愛された王は思うのであるが、ひとえに 一切の宗教の本質を増進させるほどの、施与 あるいは
崇敬は 世に存在しない。
そうして このような目的の為に、多くの 教法大官、飼獣苑官 ( しじゅうえんかん ー 動物の世話を
する役人 )、ならびに 他の部局の人々が 事をつかさどっているのである。
こういうわけで、それの結果は、各自の宗教の栄える事、又、法 ( 真理 ) の 輝く事である。」
( 岩石詔勅 第十二章 )
つまり、アショーカ王は 仏教に基礎をおきつつも、万人に普遍・妥当する 絶対の真実、すなわち
人間の道を指し示そう、というものでした。
それを、「 法 」、すなわち ダルマ ( 真理 ) として表現したのです。
ちなみに 今インドの紋章は、サールナート ( 鹿野苑 ー らくやおん ) に建てられた
アショーカ王の 石柱上方の柱頭から とったものです。
台座には 法輪が刻まれ、その上には 背中合わせに座る 四頭のライオンの像が示されていますが、
この法輪は決して、「 仏教の法 」、を 示すものではありません。
宗派を超えた 普遍的な、「 法 ( 真理 ) 」、を 意味しており、これは 現代インドにいたるまで、
政治理念として 伝えられているのです。
「 一切の宗教の 存在意義を認める。」、 という、このアショーカ王の考えは、
今後の世界の 進みゆく方向づけとして、非常に重要な意義を持っているのではないでしょうか。
( 中村元 博士 )
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