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                               ヴィサーカー




「 ミガーラの母 ( 鹿子母 ー ろくしも ) 」、 と呼ばれた、( ヴィサーカー )、 という女性がいた。


アンガ国の都、バッディヤの長者の娘として生まれた ヴィサーカーという名前の娘が 七歳になった時、

ブッダが この地を訪れた。

彼女は侍女たちと共に、 ブッダの滞在している林に赴き、その教えを聞いて 幼心に感動し、その時から

ブッダへの厚い信仰を 心に秘めていた。


やがて年頃になったヴィサーカーは、 長者ミガーラの子 プンナヴァッダ と 結婚した。

結婚式の日に ミガーラは 息子夫婦を祝福してもらう為に、五百人の行者たちを招待した。

ヴィサーカーは義父から、「 聖者たちを招待した。」、 と聞いていたので、ブッダと その弟子たちが

来てくれるものと思って喜び、楽しみにして 待っていたのだった。

しかし ミガーラが信仰していたのは、( 裸形外道 ー らぎょうげどう ) と呼ばれる ジャイナ教の

行者たちであった。


義父 ミガーラから、「 さあ、聖者の方々を出迎えて ご挨拶し、接待しなさい。」、 と言われたので

ヴィサーカーが 宴会場で待っていると、 一糸まとわぬ 真っ裸の男たちが 五百人も結婚式の宴会場に

入って来たので、ヴィサーカーは 驚いてしまった。


彼らは、 ( 我ら 聖者には かくさなければならないものは、何もない。)、  というのが主義なので、

皆下着も身につけず、性器まで丸出しなのであった。

そして ジャイナ教の行者たちは 出された食事を 無作法に食べちらしていたので、 ヴィサーカーは

落胆し、「 このように無作法で品のない人たちは 聖者と呼ばれる資格はないわ。」、 と口ばしった。

ジャイナ教の行者たちは、主人のミガーラに、 「 ブッダの教えを信仰している 女なんて、この家から

 すぐに追い出してしまいなさい。」、 と 怒って勧めたが、息子の嫁を可愛がっていた ミガーラが

同意しなかったので、彼らは 腹を立てて帰ってしまった。


その後、ヴィサーカーは、義父ミガーラに、「 ぜひ ブッダを招待して下さい。」、と願い出て許され、

ある日 ブッダと弟子たちが ミガーラの邸宅へと、やって来た。

それを聞いた、ジャイナ教の行者たちは、ミガーラの家を 取り巻いて座り込んだ。

そして、「 汝が ブッダの説法を聞くと言うのなら、ブッダの前に カーテンを引いて聞くがよい。」、 

と、ミガーラに言って脅した。


ブッダたちの食事が終わったあと、ブッダは、 「 ミガーラよ。 どうか、カーテンを引いて下さい。 
 
 私は どこにいても、私の声を聞かせる事ができるのですから。」、 と言って 説法を始めた。

ブッダの説法を聞いた ミガーラは感動して、思わず カーテンの外から ブッダを臥し拝み、その時から

ブッダに帰依する事になった。


しかしブッダは、 「 ミガーラよ。 ジャイナ教の人々にとっては、あなたは いつも 泉 ( 布施主 )

 であった。  故に、彼らが来た時には、彼らにも布施をするものと 心得るのが良いでしょう。」、 

と語られたという。

このように舅 ( しゅうと ) の ミガーラが 宗教の面では 嫁ヴィサーカーを 自分の母にあたるとして、

尊敬していたので、世間の人々も ヴィサーカーを、 ミガーラ・マーター ( 鹿子母 ー ろくしも ) と

呼ぶようになったのだった。


彼女は 在家の 在俗信者として、サーヴァッティの郊外に、「 鹿子母講堂 」、と呼ばれる精舎 ( 寺 )

を作って寄進し、ヴィサーカーは、「 施与第一 」、 と 人々から呼ばれたという。

ヴィサーカーは、スダッタ長者と並んで、仏教教団の 二大外護者であった。

彼女の寄進によって建てられた 鹿子母講堂は、スダッタ長者による 祇園精舎と共に、 コーサラ国での

ブッダの布教活動の 二大根拠地となったのだった。


男性の家長が 一家を支配していた、当時のインド社会において、ただ 信仰によって、家長を始めとする

人々を 仏教に帰依させた、という点において、 ヴィサーカー・ミガーラ・マーター は、仏教 最初期の

教団史に 名の残る女性の一人である、として 称賛されている。






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