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                               臨死体験




 ( 臨死体験 )、  というものがある。 


事故か病気で 一時死ぬか 仮死状態になっている時、魂 ( 心 ) が 肉体から離脱して、離脱した魂が

その間に この世界の諸々の事象を 目撃するというものである。  臨死体験現象の報告は意外と多い。


この現象は、かなり以前から 世界の科学者の注目を集めていて、今でも各国で 調査研究され、

最近では その成果が 欧米ばかりでなく、日本でも 民放と NHKで 報道されている。

問題となる点は、 「 それが 夢か幻覚であるのか、それとも 実際に肉体から離れた 霊魂というものが

 見て体験した事が 現実の事実と一致しているか。」、 という事である。


それが事実と 一致しているならば、死後 人の魂は 存続するという事の証明になると思われる。

( 人間とは何か )、 という問いに 一つの答えを出す事にも なるはずである。


数年前にNHKが 二年間に渡って 世界中の臨死体験者を 取材調査した事がある。

その成果は、「 臨死体験 」、 という 二冊の本として出版され、NHKの番組でも放映された。

各国における 多数の 臨死体験者の実例を、体験者が臨死中に 見たり聞いたりした出来事と、

その実際の現実が 一致するかを 一つ一つ、執拗なまでに追跡調査して、それを確認しているのである。

その調査数は多い。     興味のある人は、読んでみると面白い。

結果から言えば 臨死中で見聞きした体験と 現実の事実とは 完全に一致していた。   

例外はない。



一つだけ 印象に残った事件を書いてみると・・・・・



ある時、ノルウェーの高速道路で 早朝、車同士の事故が起こった。 

救急車が来た時 事故を起こしたドライバーは 仮死状態になっていた。 

そのドライバー本人は その時、上空から 自分の体が 救急車に運ばれて行くのを見ていたという。

道路は渋滞していた。    

彼は 高速道路が 事故で渋滞しているのを 上空から見ていたのだった。     


不思議な事に、「 渋滞している道路の 車に乗っているドライバーの気持ちが、なぜか 皆わかった。」

と、 彼は 証言している。

ほとんどのドライバーは この事故による渋滞で イライラしていた。

しかし ある車の 女性ドライバーが、 「 どうか この事故で 誰も亡くなりませんように。」、 と、

一人 車の中で 祈っているのが わかったので、幽体離脱していた彼の魂は 何となく興味をおぼえて、

祈っている女性の車まで 降下して近づいた。

そして そのドライバーの 女性の顔と、車と、車のナンバーを見たのだった。


その後、事故で病院に運ばれたその男は 運良く病院の集中治療室で 意識を取り戻した。

しかし 幽体離脱した時の記憶が、あまり 鮮明に残っていた為、彼は退院後 陸運局でナンバーを調べて

彼が見た 車の持ち主の住所へと 出かけて行った。

そこで彼が見たものは、たしかに 臨死体験中に彼が見た車と その車のナンバーだった。 

そして その家を訪れると、 彼が見た通りの 女性が出て来たので、その男は 彼女に訳を話して、

「 あの事故の時に あなたは、『 この事故で 誰も亡くなる事がありませんように。』、 と

 祈っていたのではありませんか ? 」、 と問うと、

「 その通りです。」、 と、彼女は答えたのだった。


この事例も、NHKと科学者達が 当人達に会って 証言を詳細に調査し、事実を確認している。


        
 事実を否定できる科学者はいない。


それを思うと 人の本質は 誰でも 物質的肉体を持って生きている 魂 ( 心 ) である、という事が

わかるような気がする。     



それについては、 イエスの、 「 人は その人の心である。   たとえ全世界を得たとしても、

 その人が 自分の ( 善良な ) 心を失ったならば、その人は 一体 何を得たと言うのだろうか ? 」 

という言葉とか、


ブッダの、 「 全て 悪をなさず、善い事を行い、自ら 自分の心を清める事、これが 全ての仏の

 教えである。」


 「 ものごとは、心を主とし、心によってつくり出される。 もしも清らかな心で 話したり行なったり

   するならば、福楽は その人につき従う。   ―― 影がその体から 離れないように。」


 「 心を 汚してはならない。 汝らは 心を守れ。 城壁が 内からも外からも守られているように。」


 「 見る人 ( 賢者 ) は、常に姿を見る事がない。 ( 心のみを見る )、」 

 
 
  という言葉が リアリティをもって迫って来る。


「 人間は 死を恐れる必要が無い。」、という事を、ソクラテスも、「 パイドン 」、で論証している。

ブッダも それを説いている。

( この世界では 精一杯 生きる事を楽しんで徳を積み、いつの日か やがて旅立つその時が来たら

 笑って堂々と往けるような そんな生き方がしたい )、 という努力目標だけはあるが、

時々 くじけそうになるのだった ・・・








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