メナンドロス




ブッダ入滅後、紀元前二世紀後半に、今のアフガニスタン、インド北部に侵攻した メナンドロスという

ギリシャ人の国王がいた。


メナンドロスは、勇猛ではあったが、学問好きの王であり、部下や市民注視の中で 僧侶たちに議論を

しかけては、いつも仏弟子たちを困らせていた。 

仏教は平和の宗教であり 仏教では 無意味な議論は推奨されないので 僧侶たちは議論を嫌がった。

しかし、メナンドロスは 仏教には 強い興味と関心を持っていた。


そして ある時、ついに、当時の仏教界の長老、ナーガセーナの所へと、王 メナンドロスは赴いた。

この メナンドロスと ナーガセーナとの対論は、その詳細が記録され、この迫力ある議論は、歴史にも

稀有な文献として、「 ミリンダ ( メナンドロス ) 王の問い 」、 として 現在でも出版されている。

ギリシャ哲学と、東洋仏教思想との、世界で最初の対決 という意味でも 重要な内容であると言われる。



長老 ナーガセーナは、「 王よ、賢者の議論ならしても良いが、王者の議論はしません。」、 と言う。

王が、「 尊者よ、それはどう違うのですか。」、 と聞くと、「 賢者の議論は、お互いに高め合うが、 
 
 王の議論は、王が負ければ相手を処罰する議論です。」、 「 では、賢者の議論をしましょう。」 

という事で、二人の対論が始まり、人々はそれを見守った。


王が、「 ブッダという聖者が 存在したという証拠と、ブッダが偉大であったという根拠は 何かあるの

 ですか。」、 と聞くと、「 伝えられている ブッダの言葉と、今修行している 長老たちの偉大さを

 見れば、それは誰にでもわかるはずです。」、 


「 では、ブッダは今 どこに存在しているのですか。  天界に存在しているのですか。」


「 ブッダは完全な涅槃に入られました。 全ての世界から解脱されていて、どこにも存在しません。」


「 では、あなた方が 毎日 ブッダを供養する事に、何の意味があるというのですか。」


「 王よ、炎が消えたからといって、この世から火が無くなりますか。」


「 なくなる事はない。」


「 その通りです。  王よ、炎は消えた。  しかし我等は 自らの力で火を起こさなければならない。

 その為にブッダを供養するという事は、空しくないのです。」 


「 尊者ナーガセーナよ、では問いますが、あなた方は 人を一人でも殺したら 地獄に堕ちると言う。   

 しかし仏教に帰依すれば 救われると言う。   この矛盾を どう説明できるというのですか。」


「 王よ、石を池に投げると沈む。   しかし大きな船を作れば、多くの岩でも渡す事ができる。

 この船という、真理と修行と道とが 仏教の真髄です。  人は、善行によって なした罪を

 つぐなうのです。」


この対論は延々と続く。     西欧人は論理で説明しなければ 納得しないのだった。

時には、メナンドロスが、「 尊者よ。 あなたはすでに、私によって 問われているのです。」 

と言うと、ナーガセーナが、 「 大王よ、あなたは、すでに 私によって 答えられているのです。」 

と返答するという 禅問答のような対話もある。


メナンドロスは、過去 幾多の戦争で、多くの敵兵や捕虜を殺害していたので 彼の問いも真剣であった。

メナンドロスは、 「 実は、私どもの目的は 生存に執着する事のない、完全な涅槃と安らぎなのです。

 死んでからのちに、次の世に生存を結ばない方法は 何かあるのですか。」、 と問い、メナンドロス

王は やがて仏教に帰依して、仏教を保護するようになったのだった。




     ( スブーティ )


日本の仏教界でも有名な、( ブッダの十大弟子の一人 ) とされる、スブーティ という名の弟子がいた。

彼は、解空 ( げくう ) 第一 、と称えられ、空 ( くう ) の思想を 誰よりも理解して、誰とも争わず、

多くの信者の 尊敬と信頼を集めていた。

ある時、スブーティの説法を聞いて 感激したビンビサーラ王は、 「 尊者、 スブーティの為の 草庵

 ( 小屋 ) を作りましょう。」、 と約束したが、王は 忙しさのために 彼の小屋の、屋根を作るのを

忘れてしまった。


ものごとに とらわれる事なく、( 供養されたものは ただ感謝の心で受け取る ) 、という 仏教の教えを

忠実に守っていたスブーティは、屋根のない小屋をもらって そこに喜んで住んでいた。

( 解空 ) の達人なので、屋根があろうが無かろうが、どうでも良いのだった。

しかし それからというもの、三ヶ月の間 この国には雨が降らなかったという。

仏典には、「 スブーティの解空の心に感銘を受けた神々が 雨を降らせなかった。」、 と書いている。 

人々は、農作物が枯れ始めたので 国王に何とかして欲しいと訴えた。 

王が調べさせてみると、スブーティの小屋に屋根がないという事がわかったので、すぐに作らせたところ

それから 雨が降り続いたという。

スブーティは 自分の庵に屋根ができたのを素直に喜んで、テーラ ガーターに、その時の詩句を残した。


   「 私の庵 ( いおり ) は完成し、風も通さず、心地よい。  天よ、思うがままに雨を降らせよ。

     私の心はよく安定していて、悟りに達している。  私は道を求めている。

     天の神よ。  雨を降らすがよい。」

                                        ( スブーティ )


ある学者は こう書いている。 

「 ( 一切皆空 )、 という立場に立ち、その中での  誠実さ、 思いやり、 優しさを、

 何よりも大切にしよう という、 スブーティの態度は、仏教の基本的な立場を示している。」



     


     ( バークラ )


二千五百年前のインド地方では、ヒマラヤ山脈から流れ出てくる諸々の川の水量が、現在の何倍もあり、

現在 小川である川でも 昔には大河であったという。    

昔の大河には 今は絶滅した生物や、当時は存在していた巨大魚もいたという事が 仏典に記されている。


ちなみに、昔のインドには ライオンもたくさん住みついていたが、いつの間にか インド地方から

ライオンたちは その姿を消してしまった。 

虎は 単独で行動するし、一頭で山奥に住み、根性も凄いので 虎は今でも元気にインドに住んでいる。


ある時 ヴァンサ国の都、コーンサンビーにある川の、 川上の長者の家に、待望の男の子が生まれた。 

その幼児を侍女が抱いている時、幼児が暴れたのか、子供は川に落ち、大魚が川で幼児を飲んで逃げた。  

それを見た妻と侍女たちは驚き、皆で泣き叫んで 必死になって大魚のあとを追ったが 無駄であった。

その後、川下で漁をしていた漁師の網に、 一匹の巨大魚が かかった。 

その魚は 川下の長者の家に買われたあと、長者の妻が料理をしようとして腹を裂くと幼児が出てきた。

幼児は まだ生きていたので、介抱し、子供の無かった川下の長者夫婦は 喜んで その男の子を育てた。


やがて その噂が広がり、川上の長者夫婦が 川下の長者の家に行ってみると、自分達の子供だったので、

返してくれるように頼んだが、川下の長者は、 「 この子は 私が育てたのだから 私の子供です。」、 

と答えて子供を手渡さず、自分たちの子供だと主張して 両家共にゆずらなかった。

そして 両家夫妻は 共に国王に訴え出た。 

王は どうしたものか わからなかったらしく、「 この子は 今後 両家の子とする。」、 という裁定を

下した。   そして その時から 子供は、バークラ ( 両家 ) という 名前にされてしまった。



バークラは 両家の期待を集めて成長したのち、出家を志ざし、両家に許されて ブッダの弟子になった。

そして 修行に励み、ただちに悟りを得て 阿羅漢という 聖者の位に達したという。

しかし バークラは ブッダの教えの一つであった、( 沈黙の教え ) 、を守り抜き、一生 誰に対しても

教えを説かなかったのだった。

その事を 他の弟子たちから非難されたが、「 説法の上手な弟子の方々は多い。 説法はそれらの方々に

 おまかせして、私は沈黙の教えを守っているのだ。」、 と答え、ブッダからも それを承認された。


ブッダは弟子の個性を尊重し、寛容でもあった。    修行法も多く、各自の自由であり 多様だった。

バークラは 生まれつき 生命力が強かったらしく、生涯 一度も病気にかからず、健康に 百二十歳まで

長生きをして、仏弟子の中では、( 長寿第一 )、 と称された。

彼が死期を悟った時、亡くなる際には、精舎の弟子たちに、 「 おのおのがた。 私は今日、 結跏趺坐

 ( けっかふざ ) して 涅槃に入ろう。」、 と告げて、その通りの姿で 涅槃に入ったという。


バークラは、 「 自分は 人々の供養を受けたり、人々に教えを説けるような人間なのか。」、 と、

常に自分に問いかけ、自分を厳しく律していたのだった。

ただ独りで修行し、沈黙に生きる、という事では、 ( インドの行者の 一つの典型を示す 仏弟子 )、 

である、とも言われている。


バークラは 多くの仏弟子や 多くの信者たちに敬愛され、彼の入滅後には バークラを供養する信者達に

よって、バークラの ストゥーパ ( 記念塔 ) が、作られた。 

そして長年にわたり、バークラのストゥーパは 信者達に守られて 供養を受けていたと記録されている。


バークラは、言葉による説法によってではなく、謙虚な人柄と 無欲の生き方と 慈悲の心を 人々に示し

その姿を見ていた 多くの信者たちに感銘を与えて供養され、尊敬され さらに 愛されていたという。

仏教の教えを、 自らの姿によって 常に人々に見せていたのだった。


沈黙の聖者を、 ( 牟尼 ー むに ) と言う。 釈迦牟尼世尊 ( しゃかむにせそん ) 、と言われる言葉も

ブッダ自身が 沈黙を高尚なものとして尊重していた、という意味がある。



後年、全インドを統治して 仏教を インドから世界に広めた アショーカ王が、聖地巡礼の旅に出た

時の事 ・・・ 

他の聖者のストゥーパには、王は多くの金貨を布施したが、バークラのストゥーパの前では、王は、

「 この聖者は、人々に何も説かなかったのか。」、 と思って 少しのものしか布施しなかった。

ところが、バークラのストゥーパを守っていた 神々と信者たちとが、王が布施したわずかなものをも

即刻 王に返したという。   

アショーカ王は震撼して、感銘を受けたと、仏典には書き残されている。