・
祇園 精舎
「 祇園精舎の鐘の音、諸行無常のひびきあり 」、 という処の インドの祇園精舎には 日本の寺に見る
ような 大きな鐘はなかった。
木魚は あったという。 木魚と言っても 仏壇の前で叩く 丸い木魚ではなくて、魚の形に木を彫って
それを 木から吊るしていた、と書いている。
信者たちから 食べ物の寄進があると、ブッダの弟子が その人数分の食券を作って 木魚を叩く。
いつも必ず 最初に食券を取りに来るのは、 クンダダーナという弟子で、ブッダから、「 食券第一 」、
と 称えられて ( ? ) いる。
当時、コーサラ国に住んでいる貿易商人で、 スダッタ という名の長者がいた。
彼は 慈愛の心があつく、貧しい人々や 孤児や、身寄りのない人に 惜しみなく施しをしていたので、
アナータ ピンティカ ( 給孤独 ー ぎっこどく ー 孤独な人々に給食をしている人、 という意味の )
長者、と呼ばれていた。
ある時、彼は所用があって マガダ国にいる 親戚の家に行くと、いつも出迎えてくれるはずの主人が
なぜか出て来ないので、彼は一人で邸宅の裏にある庭園に行ってみた。
すると家中の者が いそがしく幕を張ったり 食事の用意をしていたので、その家の主人を見つけて、
「 明日は ここで何かあるのですか ? 結婚式か 祭りでも、それとも国王を呼ぶのですか ? 」、
と聞くと、
「 それどころではありません。 この世に ブッダが現れた。 明日、ブッダと そのサンガの人々を
招待する事になっているのです。」、 と家の主人が話した。
インドでは、いつか必ず ブッダ ( 正覚者という 救世主 ) が、この世に現れる という信仰があった。
スダッタは、 「 ブッダですって ? 本当に そのような方が おられるのなら、私も会ってみたい。」
と言うと、 「 今、この国の 国王が寄進した 竹林 ( ちくりん ) 精舎におられるが、 今日会うのは
無理だから 明日の朝に 行ってみるのが良いでしょう。」、
そこで スダッタは 夜が明けるのを待ちかねて ブッダの所へと向かった。
ブッダは スダッタが近づいて来るのを見て出迎え、 「 スダッタよ、 よく来ましたね。」、 と
声をかけられたという。
スダッタは、 「 ブッダは 私の名前を知っておいでになる。」、 と思って身がふるえ、ブッダから
布施の功徳などの教えを聞き、在家のままで ブッダの弟子になった。
ブッダに帰依したスダッタは、自分の住む コーサラ国にも 立派な精舎を作りたい、と考えて、
良い土地はないかと探し、ついに見つけたが、 それはコーサラ国の王子である ジェータの所有する
庭園だった。
スダッタは 王子に訳を話して、何とか庭園を売ってくれるようにと申し入れたが、頑固な ジェータは、
「 売らない 」、 と言い張った。
しかし スダッタも引き下がらず、 「 何としても 売ってもらう。」、 「 絶対 売らない。」、
という 押し問答が続いたのち ジェータは、
「 たとえ あの土地に 金貨を敷き詰めたとしても、私は 売らないよ。」、 と言ったので、スダッタは
大臣に裁定を依頼した。
大臣は、 「 王子が、『 金貨を敷き詰めて、』、 と言ったからには、土地に値段をつけた事になる。
金貨を敷いた分は、売るべきでしょう。」、 という意見だった。
これを聞いたスダッタは、すぐさま自分の家から金貨を運ばせて、ジェータの土地に敷き始めた。
( 金貨一枚で 何坪 ) と決めて金貨を置いていったのかもしれないが、それにしても 大金になった。
この様子を見ていた 王子ジェータは、
「 これは ただごとではない。 ブッダとは それほど偉大な方なのか。」、 と思い、
「 スダッタよ、もう金貨を敷くのは やめなさい。 私もまた ブッダに この土地を寄進したい。」、
と言い出して、二人は さっそく工事にかからせた。
このようにして、僧坊、勤行堂、厨房堂、そして井戸と池が作られて 精舎としての形が整えられて
いった。
この精舎は スダッタ ( 給孤独 ) 長者と、 ジェータ ( 祇陀 ) 王子が建てた という意味で、
「 祇陀 給孤独園 精舎 」、 略して、 「 祇園精舎 」、 と 呼ばれるようになった。
ブッダは、 「 長者よ、この祇園精舎は 私に という事ではなく、広く僧団に施し、修行者ならば
誰にでも使えるように してほしいのです。」、 と語られ、スダッタはブッダの言葉に従って、
祇園精舎を 全ての修行者の為に 献じたという。
祇園精舎は、考古学者の実測によると、約 一万九千百七十坪ほどあるという。
インドとネパールの国境に近い オウドの北、約 九十三キロの土地に当たる事が 証明されている。
京都の 祇園の地名は この祇園精舎からきている。
当時の諸市で 有力な富豪たちが、ブッダの信者となった事は 重要な出来事だったと言われる。
スダッタが教団の維持にとって 重要な働きをしたという事は、歴史的な事実であると見られている。
スダッタ長者は、一生を通じて サンガを支え、身寄りのない人々に布施し続けて その人生を閉じた。
仏典 ( 中部経典 ) には、このあと 興味ある出来事が書き残されている。
スダッタ亡きあとの事、温泉精舎にいた ブッダの弟子の前に、天界から スダッタが姿を現したという。
そして 感興の言葉 ( 詩句 ) を語って その姿を消した。
この弟子は すぐにブッダの所に走って、今 自分が見聞きした出来事を 報告している。
ブッダは、 「 それは スダッタに 間違いないだろう。 修行者たちよ。 皆、今聞いた
スダッタ長者の言葉を よく記憶するように。」、 と告げられた。
このように、昔の長者には 徳の高い人々が多くいて、信仰を守り、布施によって 世間の人々に奉仕して
いたのだった。
「 諸行 無常 」、 の言葉のように、 祇園精舎は 今では遺跡として、昔の姿を偲ばせている ・・・
・
祇園 精舎
「 祇園精舎の鐘の音、諸行無常のひびきあり 」、 という処の インドの祇園精舎には 日本の寺に見る
ような 大きな鐘はなかった。
木魚は あったという。 木魚と言っても 仏壇の前で叩く 丸い木魚ではなくて、魚の形に木を彫って
それを 木から吊るしていた、と書いている。
信者たちから 食べ物の寄進があると、ブッダの弟子が その人数分の食券を作って 木魚を叩く。
いつも必ず 最初に食券を取りに来るのは、 クンダダーナという弟子で、ブッダから、「 食券第一 」、
と 称えられて ( ? ) いる。
当時、コーサラ国に住んでいる貿易商人で、 スダッタ という名の長者がいた。
彼は 慈愛の心があつく、貧しい人々や 孤児や、身寄りのない人に 惜しみなく施しをしていたので、
アナータ ピンティカ ( 給孤独 ー ぎっこどく ー 孤独な人々に給食をしている人、 という意味の )
長者、と呼ばれていた。
ある時、彼は所用があって マガダ国にいる 親戚の家に行くと、いつも出迎えてくれるはずの主人が
なぜか出て来ないので、彼は一人で邸宅の裏にある庭園に行ってみた。
すると家中の者が いそがしく幕を張ったり 食事の用意をしていたので、その家の主人を見つけて、
「 明日は ここで何かあるのですか ? 結婚式か 祭りでも、それとも国王を呼ぶのですか ? 」、
と聞くと、
「 それどころではありません。 この世に ブッダが現れた。 明日、ブッダと そのサンガの人々を
招待する事になっているのです。」、 と家の主人が話した。
インドでは、いつか必ず ブッダ ( 正覚者という 救世主 ) が、この世に現れる という信仰があった。
スダッタは、 「 ブッダですって ? 本当に そのような方が おられるのなら、私も会ってみたい。」
と言うと、 「 今、この国の 国王が寄進した 竹林 ( ちくりん ) 精舎におられるが、 今日会うのは
無理だから 明日の朝に 行ってみるのが良いでしょう。」、
そこで スダッタは 夜が明けるのを待ちかねて ブッダの所へと向かった。
ブッダは スダッタが近づいて来るのを見て出迎え、 「 スダッタよ、 よく来ましたね。」、 と
声をかけられたという。
スダッタは、 「 ブッダは 私の名前を知っておいでになる。」、 と思って身がふるえ、ブッダから
布施の功徳などの教えを聞き、在家のままで ブッダの弟子になった。
ブッダに帰依したスダッタは、自分の住む コーサラ国にも 立派な精舎を作りたい、と考えて、
良い土地はないかと探し、ついに見つけたが、 それはコーサラ国の王子である ジェータの所有する
庭園だった。
スダッタは 王子に訳を話して、何とか庭園を売ってくれるようにと申し入れたが、頑固な ジェータは、
「 売らない 」、 と言い張った。
しかし スダッタも引き下がらず、 「 何としても 売ってもらう。」、 「 絶対 売らない。」、
という 押し問答が続いたのち ジェータは、
「 たとえ あの土地に 金貨を敷き詰めたとしても、私は 売らないよ。」、 と言ったので、スダッタは
大臣に裁定を依頼した。
大臣は、 「 王子が、『 金貨を敷き詰めて、』、 と言ったからには、土地に値段をつけた事になる。
金貨を敷いた分は、売るべきでしょう。」、 という意見だった。
これを聞いたスダッタは、すぐさま自分の家から金貨を運ばせて、ジェータの土地に敷き始めた。
( 金貨一枚で 何坪 ) と決めて金貨を置いていったのかもしれないが、それにしても 大金になった。
この様子を見ていた 王子ジェータは、
「 これは ただごとではない。 ブッダとは それほど偉大な方なのか。」、 と思い、
「 スダッタよ、もう金貨を敷くのは やめなさい。 私もまた ブッダに この土地を寄進したい。」、
と言い出して、二人は さっそく工事にかからせた。
このようにして、僧坊、勤行堂、厨房堂、そして井戸と池が作られて 精舎としての形が整えられて
いった。
この精舎は スダッタ ( 給孤独 ) 長者と、 ジェータ ( 祇陀 ) 王子が建てた という意味で、
「 祇陀 給孤独園 精舎 」、 略して、 「 祇園精舎 」、 と 呼ばれるようになった。
ブッダは、 「 長者よ、この祇園精舎は 私に という事ではなく、広く僧団に施し、修行者ならば
誰にでも使えるように してほしいのです。」、 と語られ、スダッタはブッダの言葉に従って、
祇園精舎を 全ての修行者の為に 献じたという。
祇園精舎は、考古学者の実測によると、約 一万九千百七十坪ほどあるという。
インドとネパールの国境に近い オウドの北、約 九十三キロの土地に当たる事が 証明されている。
京都の 祇園の地名は この祇園精舎からきている。
当時の諸市で 有力な富豪たちが、ブッダの信者となった事は 重要な出来事だったと言われる。
スダッタが教団の維持にとって 重要な働きをしたという事は、歴史的な事実であると見られている。
スダッタ長者は、一生を通じて サンガを支え、身寄りのない人々に布施し続けて その人生を閉じた。
仏典 ( 中部経典 ) には、このあと 興味ある出来事が書き残されている。
スダッタ亡きあとの事、温泉精舎にいた ブッダの弟子の前に、天界から スダッタが姿を現したという。
そして 感興の言葉 ( 詩句 ) を語って その姿を消した。
この弟子は すぐにブッダの所に走って、今 自分が見聞きした出来事を 報告している。
ブッダは、 「 それは スダッタに 間違いないだろう。 修行者たちよ。 皆、今聞いた
スダッタ長者の言葉を よく記憶するように。」、 と告げられた。
このように、昔の長者には 徳の高い人々が多くいて、信仰を守り、布施によって 世間の人々に奉仕して
いたのだった。
「 諸行 無常 」、 の言葉のように、 祇園精舎は 今では遺跡として、昔の姿を偲ばせている ・・・
・