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ソクラテス - ( 3 )
すでに、日暮れも近くなっていました。 やがて、十一人の刑務委員がやって来て、
あの方の かたわらに立ち、こう言いました。
「 ソクラテス、 私は あなたについては、他の連中の場合のように、非難することがありません。
他の連中ときたら、私が、刑務委員の命令によって、毒を飲むように告げると、
私に腹を立てて 呪いの言葉を吐きかけるのですから。
しかし、あなたは別だ。
あなたが ここにいた間に、私は、かつて ここに来た人々のうちで、あなたが もっとも高貴で
もっとも穏和な そして もっとも優れた人であることを知りましたが、
とりわけ今、あなたが 私に腹を立てていないことを、よく知っているのです。
さあ、私が なにを告げに ここへ来たかは、ご存じのはずです。
さようなら。 逃れられぬ運命を できるだけ心静かに耐えるように 努めてください。 」
こう言うと同時に かれは涙を流し、身をひるがえして 立ち去って行きました。
ソクラテスは かれの方を見上げて、言いました。
「 君もまた、 さようなら。 我々も 君の言ったようにするからね。 」
同時に、我々の方を向いて言いました。
「 なんて 上品な男なのだろう。 僕が ここにいた間、いつも僕のところへ やって来て、
時には 話合ったりもしたが、滅多にいない 素晴らしい男だった。
今もまた、なんと気高い涙を 僕のために流してくれたことか。
では、さあ、クリトン、 かれの言いつけに 従うことにしよう。
だれかに 毒薬をもって来させてくれ。 」
すると、クリトンが言いました。
「 しかし、ソクラテス、なにも 急ぐことはない。 まだ時間は あるのだから。 」
すると、ソクラテスが言いました。
「 クリトン、生きることに恋々として、もうなにも中にないのに 盃を舐めまわしたり、
僕は そういうことをする積りがない、というのも 当然なのだ。
さあ、僕の言うことを聞いて、その通りにしてくれたまえ。 」
そして、あの方は まったく上機嫌なご様子で、少しも震えずに、顔色や 顔つきも まったく害わずに
毒薬の入った盃を 受け取られたのです。
「 神々に祈ることは 許されているだろうし、また、しなければならないことだ。
この世から あの世への移住が 幸運なものであるように、とね。 これが 僕の祈りだ。 」
こう言うと同時に、あの方は 盃を口にもってゆき、平然と それを飲み干されたのです。
それまでは、我々の多くの者は なんとか涙を抑えることができていたのですが、
あの方が すっかり飲み干されたのを見たときには、 もう駄目でした。
我にもあらず、どっと涙があふれでて、私は顔を覆って わが身を嘆きました。
そうです、あの方の身を 嘆いたのではありません。 私自身の運命を 嘆いたのです。
私は なんという友を 奪われてしまうのか、と。
クリトン は、私より先に、涙を抑えることが できなくなっていたので、立って 外へ出て行きました。
アポロドロス はといえば、ずっと前から 涙を流しつづけていたのですが、 ついに そのとき、
嘆きと 怒りのあまり 大声をあげて泣きだし、 そこにいた すべての人の心を 引きちぎったのです。
「 なんということを しているのだ。 呆れた人たちだ。 」 と あの方は言われました。
「 僕は、きっと こんなことになりはしないかと、女たちを 家へ送り帰したのだよ。
こういう醜態を 演じないためにね。
というのは、人は 静寂のうちに死ななければならない、と 僕は聞いているからだ。
さあ、静かにしてくれたまえ。 我慢するのだ。 」
我々は それを聞いて恥じ入り、泣くのを抑えました。
あの方は 足が重くなってきたと言われ、仰向けに横たわりました。
すでに、ほとんど下腹部のあたりまで 冷たくなっていました。
そのとき、あの方は 顔の覆いを取って 言われました。
「 クリトン、アスクレピオスに雄鶏一羽の借りがある。 忘れずに、きっと返してくれるように。 」
「 うん、必ず そうするよ。 だが、他になにか 言うことはないかね。 」
クリトン がこう訊ねたとき、あの方は もうなにも 答えられませんでした。
あの方の 顔の覆いを取り除けると、あの方の目は じっと座っていました。
それを見て、クリトンは 口と眼を 閉じてあげたのです。
これが、エケクラテスよ、我々の友人の 最期でした。
我々の 知り得たかぎりでの 当代の人々のうちで、いわば、もっとも優れた人の、
そして、特に 智恵と 正義において もっとも卓越した人の、最期でした。
ソクラテス - ( 3 )
すでに、日暮れも近くなっていました。 やがて、十一人の刑務委員がやって来て、
あの方の かたわらに立ち、こう言いました。
「 ソクラテス、 私は あなたについては、他の連中の場合のように、非難することがありません。
他の連中ときたら、私が、刑務委員の命令によって、毒を飲むように告げると、
私に腹を立てて 呪いの言葉を吐きかけるのですから。
しかし、あなたは別だ。
あなたが ここにいた間に、私は、かつて ここに来た人々のうちで、あなたが もっとも高貴で
もっとも穏和な そして もっとも優れた人であることを知りましたが、
とりわけ今、あなたが 私に腹を立てていないことを、よく知っているのです。
さあ、私が なにを告げに ここへ来たかは、ご存じのはずです。
さようなら。 逃れられぬ運命を できるだけ心静かに耐えるように 努めてください。 」
こう言うと同時に かれは涙を流し、身をひるがえして 立ち去って行きました。
ソクラテスは かれの方を見上げて、言いました。
「 君もまた、 さようなら。 我々も 君の言ったようにするからね。 」
同時に、我々の方を向いて言いました。
「 なんて 上品な男なのだろう。 僕が ここにいた間、いつも僕のところへ やって来て、
時には 話合ったりもしたが、滅多にいない 素晴らしい男だった。
今もまた、なんと気高い涙を 僕のために流してくれたことか。
では、さあ、クリトン、 かれの言いつけに 従うことにしよう。
だれかに 毒薬をもって来させてくれ。 」
すると、クリトンが言いました。
「 しかし、ソクラテス、なにも 急ぐことはない。 まだ時間は あるのだから。 」
すると、ソクラテスが言いました。
「 クリトン、生きることに恋々として、もうなにも中にないのに 盃を舐めまわしたり、
僕は そういうことをする積りがない、というのも 当然なのだ。
さあ、僕の言うことを聞いて、その通りにしてくれたまえ。 」
そして、あの方は まったく上機嫌なご様子で、少しも震えずに、顔色や 顔つきも まったく害わずに
毒薬の入った盃を 受け取られたのです。
「 神々に祈ることは 許されているだろうし、また、しなければならないことだ。
この世から あの世への移住が 幸運なものであるように、とね。 これが 僕の祈りだ。 」
こう言うと同時に、あの方は 盃を口にもってゆき、平然と それを飲み干されたのです。
それまでは、我々の多くの者は なんとか涙を抑えることができていたのですが、
あの方が すっかり飲み干されたのを見たときには、 もう駄目でした。
我にもあらず、どっと涙があふれでて、私は顔を覆って わが身を嘆きました。
そうです、あの方の身を 嘆いたのではありません。 私自身の運命を 嘆いたのです。
私は なんという友を 奪われてしまうのか、と。
クリトン は、私より先に、涙を抑えることが できなくなっていたので、立って 外へ出て行きました。
アポロドロス はといえば、ずっと前から 涙を流しつづけていたのですが、 ついに そのとき、
嘆きと 怒りのあまり 大声をあげて泣きだし、 そこにいた すべての人の心を 引きちぎったのです。
「 なんということを しているのだ。 呆れた人たちだ。 」 と あの方は言われました。
「 僕は、きっと こんなことになりはしないかと、女たちを 家へ送り帰したのだよ。
こういう醜態を 演じないためにね。
というのは、人は 静寂のうちに死ななければならない、と 僕は聞いているからだ。
さあ、静かにしてくれたまえ。 我慢するのだ。 」
我々は それを聞いて恥じ入り、泣くのを抑えました。
あの方は 足が重くなってきたと言われ、仰向けに横たわりました。
すでに、ほとんど下腹部のあたりまで 冷たくなっていました。
そのとき、あの方は 顔の覆いを取って 言われました。
「 クリトン、アスクレピオスに雄鶏一羽の借りがある。 忘れずに、きっと返してくれるように。 」
「 うん、必ず そうするよ。 だが、他になにか 言うことはないかね。 」
クリトン がこう訊ねたとき、あの方は もうなにも 答えられませんでした。
あの方の 顔の覆いを取り除けると、あの方の目は じっと座っていました。
それを見て、クリトンは 口と眼を 閉じてあげたのです。
これが、エケクラテスよ、我々の友人の 最期でした。
我々の 知り得たかぎりでの 当代の人々のうちで、いわば、もっとも優れた人の、
そして、特に 智恵と 正義において もっとも卓越した人の、最期でした。