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                              雲を離れた 月




        宗教学者の 増谷文雄 氏 は こう語っている。 

      
      「 かつて、一人のギリシャ人が 語った言葉がある。 

      『 ―― わたしは 人間である。  ―― わたしは あやまちをした。』  と。   

      その不思議な言葉が、私には どうしても忘れられない。  

      なぜなら、かく言う私も又 人間であって、しょっちゅう過ちを しているからである。 

      だが、そこには もう一つ大事なことが 言外に語られている。 

      それは、人間は 誰でも 過ちをするものだという事である。 

      『 私は 人間である。 』、と、 『 私は 過ちをした。 』、との間に

      『 人間は誰でも 過ちをするものだ。 』、 という一句が入ってこそ、

      この言葉は 完結するのである。

      それについて、ブッダが ある弟子を励ました 印象深い韻文が 仏典には 残されている。」



    それは、 「 以前には 放逸であった人でも、のちに 放逸でなくなるなれば、

           その人は、雲を離れた月のように、この世を 照らすであろう。」


    
          「 人がもし 善業によって、以前になした 悪行をつぐなうなれば、

            その人は、この世を照らすこと、雲を離れし 月のごとくであろう。」



    という ブッダの言葉である。    この言葉を ブッダから語られ、励まされた弟子がいた。



 コーサラ国に アヒンサカ ( 不傷害 ) という名の 聡明で 一本気の 美しい青年が住んでいた。

彼は 幼少時から あるバラモンを 尊敬して そのバラモンのもとで 熱心に修行を続けていたという。 

ある日の事、バラモンの妻が アヒンサカを誘惑して言い寄ったが、彼は、「 師は 父親と同じです。

 裏切る事など できるはずがありません。」、 と答えて その誘いを斥けた。

その妻は 逆恨みをして、自分で 衣服を破り 帰って来た夫に、「 アヒンサカに 犯されました。」、 と

嘘をついて 泣いた。

バラモンは 怒り心頭に達し、アヒンサカを呼んで こういった。


 「 アヒンサカよ。  お前の 修行完成の時がきた。  お前は 生まれついての悪人である。 

  最後の修行の秘法を 伝授しよう。 

  よいか、お前が 真のバラモンになる道は 人を何人も 殺し続けて その指で 首輪を作る事である。

  そうすれば お前も 殺された者共も 天界に至るだろう。」、 と 嘘を語って 一本の剣を与えた。


アヒンサカは これを聞いて驚き、苦悩したが、師には逆らえず その嘘を真に受けて、

サーヴァッティの町で 一人の通行人を 殺害してしまった。

そのあと 彼は いつしか正気を失っていった。 そして 次から次へと 町の人々を殺し続けたという。

人々は アヒンサカを アングリマーラ ( 指で作った首輪 ) と呼んで恐れ、近くの村には 人も住まなく

なっていった。      人々は 国王に 殺人鬼の恐怖を訴え出たが、追討の兵士の手をのがれては、

アングリマーラは 殺害を続けたのだった。



その頃、サーヴァッティの 祇園精舎に滞在してい たブッダは、このうわさを聞き、ある日托鉢を終えて

一人で ニガーマ という 殺人鬼の出没するという地域に出掛けた。

ブッダを見た人々は 口々に、「 そちらに行っては 危険です。  アングリマーラという 殺人鬼がいる

 のです。」、 と言って 必死になって止めたが、ブッダは 黙って歩いて行ったという。



アングリマーラは、一人の沙門が来るのを見て 驚いた。  「 この道は 俺を恐れて 隊商の一団ですら

 護衛の兵士をつけて来るではないか。    それらの者も皆 この俺の手にかかって倒されたのだ。

 それなのに一人でやって来るとは、一体あれは 何者なのか。 」、 と 一抹の不安が 心をよぎったが

アングリマーラは いつものように 剣を手にして ブッダのあとを追った。

しかしその時、ゆっくりと歩いているかに見えるブッダに、なぜかいつまでも追いつけなかったという。

アングリマーラは、立ち止まって こう叫んだ。   

「 沙門 ( しゃもん ) 止まれ !! 」  ( パーリ語では 止まれ は STOP やめよ という意味もある。)


ブッダは、「 私は止まっている。 そなたこそ、止まったらどうか。」、 と告げられた。 


アングリマーラは、「 お前は歩いているのに 止まっていると言い、俺は立っているのに止まれという。 
  
  その意味は何か ! 」


「 アングリマーラよ。  私は 生きとし生ける者に 害心を起こす事なく 心は 常に静かに立っている。

  しかるに そなたの心は 命ある者に対して害心を持ち、立ち止まる事なく苦しんでいるではないか。

  だから、私は立っているが、そなたは立っていないと言うのだ。」



この言葉を聞いた瞬間、アングリマーラは 我に帰って剣を捨てたという。     

そして ブッダに諭されたアングリマーラが、「 私は今まで幾多の悪行を犯してきたが、大沙門の言葉に

 従って 今こそ これを捨てよう。」、 と言うと、ブッダは、「 修行者よ、さあ、来なさい。」

と 告げられて 彼を サンガに連れて帰った。

それを見ていた村人が、この事態を パセィーナディー王に告げた。  

そこで ブッダに帰依していた国王は、武装して 兵士を伴い サンガに来て ブッダに礼拝した。


ブッダは、「 王よ、そのような姿で どうしたというのですか。 戦争でも始めるつもりなのですか。」

「 いや、そうではありません。  まさかとは思いますが、ここに アングリマーラがいると言う訴えが

  あったものですから、一応 来てみただけです。」

「 王よ、あなたは アングリマーラが 私のもとで出家して ここで戒めを守り、修行して悟りを開いて

  いるとしたら、彼を どうなさいますか ? 」

「 それならば 捕らえるには及びませんが、しかし まさか あいつに限って そのような事は 絶対に

  ありますまい。」

「 では、御覧下さい。  そこに座っている者が アングリマーラです。」

王は驚愕したが、ブッダに 恐れる事はないと言われ、捕らえない と言った手前、驚いて帰っていった。



しかし アングリマーラは、托鉢に行った町で 当然のごとく 人々に襲われ、棒で打たれ 石を投げられて

毎日 血まみれになって サンガに帰りついた。

ブッダは、「 アングリマーラよ。 忍受せよ。  そなたが 来世において 受ける苦しみを、今 受けて

 いるのだから。」、 と語られて、「 雲を離れた月 」、 の言葉を 彼に与えて励ましたという。



ある時、信者の中に 難産で苦しんでいる婦人がいた。

ブッダは、アングリマーラを その家に連れて行き、 「 アングリマーラよ。 『 私は今まで、殺生を

 した事がない。  この言葉の真実なる事によって、子供は安らかに生まれ出でよ。』、 という言葉

 ( 真実語の誓い ) を告げなさい。」、 と言われたという。

アングリマーラは、 「 師よ、 わたくしには、とても そのような言葉は言えません。」、 と答えた。

するとブッダは、 「 では こう言いなさい、 『 私は出家してから 人を害った事がない。 この言葉の

 真実なる事によって、子供は安らかに生まれ出でよ。』、 と。」、 と語られ、アングリマーラの

告げた 真実語の誓いの言葉のあと、子供は無事に生まれたのだった。 



アングリマーラは 犯した罪を悔い、一生 ( アングリマーラ ) という悪名を 自ら名乗って、決死の修行

を続けながら、人々の心を救い出す事のみに その一生を捧げたと、仏典には書き記されている。






     「 仏弟子の 告白 」 に残る アングリマーラの言葉。



     「 私は 以前には アングリマーラ という悪名で知られていた。   

       大きな激流に流されていたが、すでに ブッダに帰依するに至った。」



     「 神々と世間との師である 大仙人、慈しみ深い ブッダは、この私に、

      『 修行者よ。 さあ、来なさい。』 と 告げられた。 

       まさに この事で、私は修行者たる資格を得たのである。」



     「 ああ、私の尊崇する 大仙人、道の人が、大きな林に入られてから 永い時が過ぎた。 

       ( ブッダの 入滅 )  私は、師、ブッダに仕え、ブッダの教えを成し遂げた。」


                     
                                      ( アングリマーラ )






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