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白 隠 ( はくいん ) 禅 師
京都にある南禅寺は、元は 当時の貴族が作った別邸であった。 そのせいか、今も敷地内に 池はない。
邸宅が完成し、一族と宮仕えの者たちが その別邸に移り住んだ時から、不思議な現象や、
恐ろしい出来事が 次々と起こり始めたいう。
風もないのに 扉が開く。 誰もいない部屋から 奇怪な声が聞こえる。
住んでいた人々は 原因不明の病気を患って 皆 寝込むという騒ぎになった。
さまざまな祈祷をしてもらったが、怪異現象はいっこうに 収まらなかった。
屋敷のあるじも恐れをなした。 そこで、禅宗の高僧に使いをやって、何とかしてほしいと頼んだ。
それを聞いた僧侶は、「 ニ、三 日 したら行くから、これを持って帰りなさい。」、 と言って、
手紙を 使者に渡した。
主人がもらった手紙には、「 徳にまさる 力 無し。」、 とだけ書いてあったが、何の事やら、
誰にも わからなかった。
―― しばらくして、その僧侶が 弟子を連れてやってきた。
人々は、いよいよ 妖怪と僧侶の すさまじい戦いが始まるのだ、どんなありがたい お経を読んでくれる
のだろう、などと、期待と 好奇心で見ていたという。
しかし 僧侶たちは、特別な事は 何もしないで、一日 二回の食事をとったり、座禅をしたりしていた。
ところが それからというもの、怪異現象は 火が消えたかのように 消滅したのだった。
そればかりか、病気にかかっていた人々も、やまいが治り 床をあげたという。
屋敷のあるじは 深く心に感銘を受けて、その屋敷を僧侶に寄進した。 これが 南禅寺の由来である。
南禅寺で修行していた 僧侶で、白隠 ( はくいん ) という 江戸時代の僧がいた。
座禅のやりすぎで、禅病という病気になってしまった。 自律神経失調症の重症のようなものだった。
どの医者にかかっても、どんな漢方薬を飲んでも 治らなかった。
ある時、何を思ったのか、白隠は 一人で 山の中に入って行った。
そこで 白幽子 ( はくゆうし ) という 仙人に出会ったという。
「 この人なら 何か知っているにちがいない。」、 と思った白隠は、この病気を治す方法は ないかと
たずねた。 初めは 断られたものの、白隠は 必死で懇願した。
そこで 白隠は、( 軟蘇 ー なんそ ) の法 という 治療法を教わる事になる。
頭の上に 卵くらいの大きさの バターのようなものを置いていると瞑想して、それが体温で溶けていき、
皮膚と 体内に流れこんでいく イメージを 繰り返しやるというものであった。
気功の 方松功 ( ほうしょうこう ) である。
本名ではないにしても、白幽子という名前からして 当時の中国から帰って来た僧が 山で修行をしていた
のかもしれない。
そして 白隠の病気は治ったという。 白隠は、「 気海丹田 ( へその下 ) に気を納めれば、
病気は治る。 治らなかったら、この私の首をやっても良い。」、 とまで言っている。
白隠は 臨済宗 中興の祖 と いわれる 江戸時代の高僧で、白隠の有名な 和讚 ( わさん ) がある。
( 白隠禅師 座禅和讃 )
衆生 ( しゅじょう ) 本来 仏なり 水と 氷のごとくにて
水をはなれて 氷なく 衆生のほかに 仏なし
衆生近きを 知らずして 遠く求むる はかなさよ
たとえば 水の中にいて 渇 ( かつ ) を叫ぶが ごとくなり
長者の家の 子となりて 貧里に迷うに 異 ( こと ) ならず
六趣輪廻 ( ろくしゅりんね ) の 因縁は 己が愚痴の 闇路なり
闇路に闇路を 踏みそえて いつか 生死 ( しょうじ ) を離るべき
それ摩訶 ( まか ) えんの 禅定は 称歎するに あまりあり
布施や持戒の 諸波羅蜜 ( しょはらみつ ) 念仏さんげ 修行等
その品多き 諸善行 皆このうちに 帰するなり
一座の功を なす人も 積みし無量の 罪ほろぶ
悪趣 ( あくしゅ ) いずくにありぬべき 浄土すなわち 遠からず
かたじけなくも この法 ( のり ) を ひとたび耳に ふるる時
賛嘆随喜 ( さんたんずいき ) する人は 福を得 ( う ) る事 かぎりなし
いわんや自ら回向 ( えこう ) して 直 ( じき ) に 自性を證 ( しょう ) すれば
自性すなわち 無性にて すでに 戯論 ( けろん ) を離れたり
因果一如の 門ひらけ 無二無三の 道なおし
無相の相を 相として ゆくも帰るも よそならず
無念の念を 念として 歌うも舞うも 法 ( のり ) の声
三昧無碍 ( ざんまいむげ ) の 空広く 四智円明 ( しちえんみょう ) の 月さえん
この時何をか 求むべき 寂滅 ( じゃくめつ ) 現前 するゆえに
当所すなわち 蓮華国 この身すなわち 仏なり
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白 隠 ( はくいん ) 禅 師
京都にある南禅寺は、元は 当時の貴族が作った別邸であった。 そのせいか、今も敷地内に 池はない。
邸宅が完成し、一族と宮仕えの者たちが その別邸に移り住んだ時から、不思議な現象や、
恐ろしい出来事が 次々と起こり始めたいう。
風もないのに 扉が開く。 誰もいない部屋から 奇怪な声が聞こえる。
住んでいた人々は 原因不明の病気を患って 皆 寝込むという騒ぎになった。
さまざまな祈祷をしてもらったが、怪異現象はいっこうに 収まらなかった。
屋敷のあるじも恐れをなした。 そこで、禅宗の高僧に使いをやって、何とかしてほしいと頼んだ。
それを聞いた僧侶は、「 ニ、三 日 したら行くから、これを持って帰りなさい。」、 と言って、
手紙を 使者に渡した。
主人がもらった手紙には、「 徳にまさる 力 無し。」、 とだけ書いてあったが、何の事やら、
誰にも わからなかった。
―― しばらくして、その僧侶が 弟子を連れてやってきた。
人々は、いよいよ 妖怪と僧侶の すさまじい戦いが始まるのだ、どんなありがたい お経を読んでくれる
のだろう、などと、期待と 好奇心で見ていたという。
しかし 僧侶たちは、特別な事は 何もしないで、一日 二回の食事をとったり、座禅をしたりしていた。
ところが それからというもの、怪異現象は 火が消えたかのように 消滅したのだった。
そればかりか、病気にかかっていた人々も、やまいが治り 床をあげたという。
屋敷のあるじは 深く心に感銘を受けて、その屋敷を僧侶に寄進した。 これが 南禅寺の由来である。
南禅寺で修行していた 僧侶で、白隠 ( はくいん ) という 江戸時代の僧がいた。
座禅のやりすぎで、禅病という病気になってしまった。 自律神経失調症の重症のようなものだった。
どの医者にかかっても、どんな漢方薬を飲んでも 治らなかった。
ある時、何を思ったのか、白隠は 一人で 山の中に入って行った。
そこで 白幽子 ( はくゆうし ) という 仙人に出会ったという。
「 この人なら 何か知っているにちがいない。」、 と思った白隠は、この病気を治す方法は ないかと
たずねた。 初めは 断られたものの、白隠は 必死で懇願した。
そこで 白隠は、( 軟蘇 ー なんそ ) の法 という 治療法を教わる事になる。
頭の上に 卵くらいの大きさの バターのようなものを置いていると瞑想して、それが体温で溶けていき、
皮膚と 体内に流れこんでいく イメージを 繰り返しやるというものであった。
気功の 方松功 ( ほうしょうこう ) である。
本名ではないにしても、白幽子という名前からして 当時の中国から帰って来た僧が 山で修行をしていた
のかもしれない。
そして 白隠の病気は治ったという。 白隠は、「 気海丹田 ( へその下 ) に気を納めれば、
病気は治る。 治らなかったら、この私の首をやっても良い。」、 とまで言っている。
白隠は 臨済宗 中興の祖 と いわれる 江戸時代の高僧で、白隠の有名な 和讚 ( わさん ) がある。
( 白隠禅師 座禅和讃 )
衆生 ( しゅじょう ) 本来 仏なり 水と 氷のごとくにて
水をはなれて 氷なく 衆生のほかに 仏なし
衆生近きを 知らずして 遠く求むる はかなさよ
たとえば 水の中にいて 渇 ( かつ ) を叫ぶが ごとくなり
長者の家の 子となりて 貧里に迷うに 異 ( こと ) ならず
六趣輪廻 ( ろくしゅりんね ) の 因縁は 己が愚痴の 闇路なり
闇路に闇路を 踏みそえて いつか 生死 ( しょうじ ) を離るべき
それ摩訶 ( まか ) えんの 禅定は 称歎するに あまりあり
布施や持戒の 諸波羅蜜 ( しょはらみつ ) 念仏さんげ 修行等
その品多き 諸善行 皆このうちに 帰するなり
一座の功を なす人も 積みし無量の 罪ほろぶ
悪趣 ( あくしゅ ) いずくにありぬべき 浄土すなわち 遠からず
かたじけなくも この法 ( のり ) を ひとたび耳に ふるる時
賛嘆随喜 ( さんたんずいき ) する人は 福を得 ( う ) る事 かぎりなし
いわんや自ら回向 ( えこう ) して 直 ( じき ) に 自性を證 ( しょう ) すれば
自性すなわち 無性にて すでに 戯論 ( けろん ) を離れたり
因果一如の 門ひらけ 無二無三の 道なおし
無相の相を 相として ゆくも帰るも よそならず
無念の念を 念として 歌うも舞うも 法 ( のり ) の声
三昧無碍 ( ざんまいむげ ) の 空広く 四智円明 ( しちえんみょう ) の 月さえん
この時何をか 求むべき 寂滅 ( じゃくめつ ) 現前 するゆえに
当所すなわち 蓮華国 この身すなわち 仏なり
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