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                            心の 治癒力 ー ( 1 )


      ( 「 心の治癒力 」チベット仏教の叡智 トゥルク・トンドゥップ 氏 著 より抜粋-1 )



 シャンティ デーヴァは、こう語っている。 「 問題を解くことができるなら、心配する必要は

どこにあろうか。     解くことが できないなら、心配することに 何の意味があろうか。」


平和な心という ろうそくの明かりを、人生の 戦いの嵐から 守る。 そして、開かれた 肯定的な態度の

光を、ほかの人々に向けて 送る。 この二つが、困難なときに、それを乗り越えることを 可能にさせて

くれる。 


「 我 」 というのは、心の 本質的な 真実のありかたから 生まれてきたものではない。

この 我執こそ、精神的、感情的な 混乱の根源であり、苦しみの原因に ほかならない。


苦痛や 問題は、人生の 部分にすぎない。 心の治癒力から 生み出される 平和と 力 によって、より

たやすく 受容できるようになる。 それは ちょうど、夜の闇を 一日の めぐりの一部として 歓迎する

のと同じだ。 


自分の 欲求や 不安に、すべてのエネルギーを投入し、執着しても、ただ ストレスと 消耗を生み出す

だけだ。 我執をゆるめれば、自らの 真実の本質 ( 平和と悟り ) に向けて 自分を開くことができる。


幸福と 苦悩の 両方の体験を 生み出しているのは、心である。 だから、平和を見つけ出す能力も、

わたしたち 自身の中に あるのである。 自己の 内なる 真の本質にとどまっているとき、心は平和で、

悟った状態にある。   このことが 理解できれば、すでに 智恵の道を 歩みはじめているといえる。


すべての生きものは、真実の 本質において 完全であるという点において、まったく同じだ。

誰でも知っているとおり、意識や 感情の圧力や、苦しい状況から離れ、自然に リラックスしている時、

わたしたちは 平和を体験する。 これは、無垢の心の本質は 平和で苦しみがない、という証拠である。


我執をゆるめ、リラックスしたいと思うなら、あまり 一生懸命になりすぎるのは良くない。

簡単な方法をとるのがいい。 進歩したら、どれほど小さくてもその一歩を喜ぶことが、とても大事だ。

そうすれば、その一歩は 力強いものになる。     自分に できることを 評価しなさい。

できないことについて、思い悩むのは やめなさい。


ブッダは、「 ダンマパダ 」 ( 岩波文庫ワイド版 ブッダ 真理の言葉 感興の言葉 ) の中で 次の

ように説かれている。

「 心が 現象を導く。 心こそが、すべての行為の 中心にあるものであり、また、それに先んじる存在

 である。   残酷な心をもって 語り、また 行為するならば、惨めな境遇が やってくるだろう。 

 それは ちょうど、馬の後に 荷車が ついてくるようなものだ。 

 現象は 心によって導かれる。 純粋な心をもって 語り、また、行為するならば、幸福が それに続く

 だろう。    それは、影が 後から追いかけてくるようなものだ。」


ドドゥプチェンは 次のように書いている。

「 知者たちは、幸福も 苦しみも、すべて 心から生まれる、と知っている。  だから、心そのものの

 うちに 幸福を探し出そうとする。   幸福の原因は、自分の中に 完全に存在している、という事を

 理解しているから、外の源に たよろうとはしない。 こういう悟りを得ていれば、ほかの生きものや

 物によっ て引き起こされる問題に直面していても、それによって 傷つけられることはない。」


「 新しい エルサレムの 聖書 」 の中には、次のように説かれている。

「 悲しみに 身を投げ出してはならない。    くよくよと 自分を痛めつけるのは やめなさい。

 心の喜びは、誰にとっても 大切な生命。    喜びこそが、一日を 長くもたせてくれる。

 気がかりが 消えていくのにまかせ、じぶんの心を 慰めなさい。  悲しみを 遠くに追い払いなさい。

 なぜなら、悲しみによって、多くのものたちは 破滅させられるのだから。

 悲しみは 誰にとっても 無意味なものだから。    温かい心は 健啖家を生む。」


完全に マイナスであるように見える問題に対して、実際的な態度をとることは 可能だ。  

ストレスに 満ちた状況にあるとき、そのことを 認識し、そして 和解するのである。

「 確かに 状況は悪い。 でも、大丈夫。」 というわけだ。


わたしたちは、自身から 遠く離れているものに、関心を すべて集中してしまっている。

真実の自己から 遠ざかれば 遠ざかるほど、大事だ、と考えている。  財産や 身体のほうが 心よりも

大事だと考え、健康よりも 外見が、家庭生活よりも 職業的な成功が大事だと 考える。

自分の身体が 自分だと信じ、そして、精神は その道具にすぎないと見なす。   

そうやって、真実の幸福の源泉から、じぶんを 切り離しているのである。

これは、大変おかしな ものの見方だ。    しかし、物質的なものを 最初に考え、それから、身体、

そして 最後に心、と いうふうに考える人は、稀ではないのである。

それは、本来あるべき順番の、ちょうど逆である。


泳げない人が 水に落ちると、水につかまろうとして 岩のように沈んでしまう。 訓練したことのある、

泳ぎのじょうずな人は、どういうふうにしたら リラックスし、広大な海と 一体になることが

できるかを知っている。












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