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老 子 ー ( 2 )
( 「 タオ ヒア・ナウ 」 加藤祥造 氏 訳 より )
( からっぽ だから 役に立つ )
土をこねて ひとつの器 ( うつわ ) を作る。 中が くり抜かれて うつろになっている。
うつろな部分があって はじめて、器は役に立つ。 中まで つまっていたとしたら、何の使い道もない。
家の 部屋というものは、当たり前の事だが、中に 空間があるから 有用なのであって、
空間が ぎっしり つまっていては、使い物にならない。
この 空間、この 空虚、それが 部屋の 有用性なのだ。
我々が 役立つと思っている ものの 内側に、つねに、空 ( から ) の スペースが、あるということ。
この何もない虚のスペースこそが、本当の有用さだ、と知ってほしい。
( 自我 なんか )
この 天地は、悠久 無変のように見えるが、それというのも、絶えず変化して、新しくなり、
さらに また 変化してゆくからなんだ。
自我なんかに、執着しないで この 悠久の変化に 応じてゆけば いいんだ。
天地の働きを 知っている人は、先を 争ったりしない。
いちばん後ろに ついていれば、そこが、いつしか 先頭になることを 知ってるんだ。
肉体は 自分のものじゃないと 知っているから、かえって 大切に扱うんだ。
そんなふうに、わがままな気持ちで 自分自身を 扱ったりしないから、
自分というものが 充分に生きるんだ。
( 大自然が だよ )
まわりが ガヤガヤ言ったって、あんたは 気にしなきゃいい。
台風が 上陸したって、半日で 過ぎ去る。 大雨だって 一晩降れば、翌日には 晴れる。
天地のすることでも、この程度だよ。 大自然がだよ。
大自然が作る 台風や 大雨が、たった これしか 続かないんだからね。
人間が あれこれ言う 声なんか、たかが 知れているのさ。
そういう 大きな タオの働きを知っていれば、タオは 君を助けてくれるよ。
タオのパワーを信頼すれば、パワーは黙って、君に 味方してくれるんだ。
だから、タオのパワーを、黙って 楽しめばいいんだ。 君が楽しむのを、タオは 黙って 喜ぶんだ。
だけど、こっちが信じないで おたおたすれば、タオも その通りに、応じるだけなのさ。
( ほかに どんな 道がある )
タオの 本当の姿は 水の底のように静かだ。
そこから いろいろな欲望や 活動が起こるけれども、それらを この静けさに還すのが、タオなんだ。
タオは 名づけようの ないものだと言ったが、だからこそ、王様や 社長に限らず、
私たち ひとりひとりが、身につけることが できるものなんだ。
さまざまな欲望が 私たちを駆りたてるけれども、あの、無為という タオの道に つながっていれば、
いつか心は、静かな 水底のようになる。
無為 とは、何もしないことじゃなくて、していることだけを 喜ぶこと。
結果を恐れず、先のことへの 思いを捨てて、今の 喜びの中にいることさ。
それが あのタオの 静かな喜びにつながるし、世界の平和につながる 唯一の道なんだ。
実際、ほかに どんな道があると思う ?
( 世界に 平和と 調和が )
国を治めるのなら、法律や 規則が、まあ、必要かもしれん。
国と 国が 戦うなら、いろんな奇襲戦法や 武器がいるだろう。
だがね、この天下、全世界が、鎮まり 治まるには、もう、そんなこっちゃ だめなんだ。
そんなものに 夢中になっていたら、全世界は 治まりゃしないんだ。
どうして そんなことが言えるって ? だって、よく見てごらんよ。
いま、各国で いろんな規則やら 何やらを作りあうから、
金持ちの国ができ、貧乏の国が できてるじゃないか。
いろんな機械が作られ、頭の良い いろんな人間が あれこれやるから、
金持ちの国は ますます 忙しくなって、ただ 働くだけじゃないか。
新しい知識が 生まれれば 生まれるほど、人が 忙しくなるなんて、皮肉じゃないか。
それに、さまざまな法律や 税法が 細かくなれば なるほど、
その網をくぐり抜ける 悪党たちの数は 増えるばかりなんだよ。
だから、この大きな世界が鎮まるには、ひとびとが、できるだけ 相手の自由を 尊重するしかないんだ。
静かさを 愛するようになれば、自然に、そこから 豊かさが、繁栄が、生まれてくるんだ。
欲望を 必要以上に 持たないでいたら、人は、実に 悠々とした存在でいられる。
こういう人々が 全世界にあふれてごらん。 そうしたら、世界に 平和と調和が 成り立つじゃないか。
( 自足 と いうこと )
命を 大切にする人は、地位が 低くたって、収入が 多くなくたって、あまり気にやまないのさ。
自分の生きる楽しさを 犠牲にして、名誉や 地位を追う者は、実は、
いちばん 「 何か 」 を 取りそこねている人だ。
ひたすら 金銭や ものを ためこむ者は、実は、大損をしているのさ。
今、自分の 持つものだけで、満足すれば、平気な顔でいられる。
他に なにかを求めず 期待しなければ、デカい顔でいられる。
まあ、こんなところで 充分だと思っている人は、ゆったりと この世を眺めて、
いま 持つもので 結構エンジョイできる。
そして、世界は 自分のものだ と いう気になるのさ。
だって、その人は 世界より デカいものと つながっているんだからね。
( 外の光で 内側を 照らす )
タオの 大きな 無から、すべてが 生まれてくる。 それゆえに、タオを 天下の母と呼んでいいんだ。
この母を知った人は、その子供である 万物の あり様を知るわけだ。
万物の姿を 奥へたどれば、母を尊び 守ることになる。
有から 無への道に つながっていれば、つまらない恐れや 悩みからは 自由であるだろう。
この道につながるには、あまり 欲望の道を開かず、五感の いろいろな快楽に ふけらないことだ。
そうすれば、いつも、いのちは 充実しているんだよ。
あらゆる欲望の 起こるままに、いそがしく 追いかけ、疲れはてるような、そんな生涯は、
やがて 取り返しのつかぬものになるのさ。
外に向いた 欲望の目を、時には、自分の 内側に向けてごらん。
すると、自分を知る という 認識に至る。 自分の中に 軟らかさ 優しさを見い出す。
―― そして、それこそが 自分の強さなのだ、と 知るだろう。
それには 外の光を使って、自分の 内側を 照らせばよいのだ。
そうすれば、さまざまな悩みや 苦しみは、軽くなるはずだよ。
なぜなら、内側の柔らかな強さは、タオへの、あの道に 通じているからだ。
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老 子 ー ( 2 )
( 「 タオ ヒア・ナウ 」 加藤祥造 氏 訳 より )
( からっぽ だから 役に立つ )
土をこねて ひとつの器 ( うつわ ) を作る。 中が くり抜かれて うつろになっている。
うつろな部分があって はじめて、器は役に立つ。 中まで つまっていたとしたら、何の使い道もない。
家の 部屋というものは、当たり前の事だが、中に 空間があるから 有用なのであって、
空間が ぎっしり つまっていては、使い物にならない。
この 空間、この 空虚、それが 部屋の 有用性なのだ。
我々が 役立つと思っている ものの 内側に、つねに、空 ( から ) の スペースが、あるということ。
この何もない虚のスペースこそが、本当の有用さだ、と知ってほしい。
( 自我 なんか )
この 天地は、悠久 無変のように見えるが、それというのも、絶えず変化して、新しくなり、
さらに また 変化してゆくからなんだ。
自我なんかに、執着しないで この 悠久の変化に 応じてゆけば いいんだ。
天地の働きを 知っている人は、先を 争ったりしない。
いちばん後ろに ついていれば、そこが、いつしか 先頭になることを 知ってるんだ。
肉体は 自分のものじゃないと 知っているから、かえって 大切に扱うんだ。
そんなふうに、わがままな気持ちで 自分自身を 扱ったりしないから、
自分というものが 充分に生きるんだ。
( 大自然が だよ )
まわりが ガヤガヤ言ったって、あんたは 気にしなきゃいい。
台風が 上陸したって、半日で 過ぎ去る。 大雨だって 一晩降れば、翌日には 晴れる。
天地のすることでも、この程度だよ。 大自然がだよ。
大自然が作る 台風や 大雨が、たった これしか 続かないんだからね。
人間が あれこれ言う 声なんか、たかが 知れているのさ。
そういう 大きな タオの働きを知っていれば、タオは 君を助けてくれるよ。
タオのパワーを信頼すれば、パワーは黙って、君に 味方してくれるんだ。
だから、タオのパワーを、黙って 楽しめばいいんだ。 君が楽しむのを、タオは 黙って 喜ぶんだ。
だけど、こっちが信じないで おたおたすれば、タオも その通りに、応じるだけなのさ。
( ほかに どんな 道がある )
タオの 本当の姿は 水の底のように静かだ。
そこから いろいろな欲望や 活動が起こるけれども、それらを この静けさに還すのが、タオなんだ。
タオは 名づけようの ないものだと言ったが、だからこそ、王様や 社長に限らず、
私たち ひとりひとりが、身につけることが できるものなんだ。
さまざまな欲望が 私たちを駆りたてるけれども、あの、無為という タオの道に つながっていれば、
いつか心は、静かな 水底のようになる。
無為 とは、何もしないことじゃなくて、していることだけを 喜ぶこと。
結果を恐れず、先のことへの 思いを捨てて、今の 喜びの中にいることさ。
それが あのタオの 静かな喜びにつながるし、世界の平和につながる 唯一の道なんだ。
実際、ほかに どんな道があると思う ?
( 世界に 平和と 調和が )
国を治めるのなら、法律や 規則が、まあ、必要かもしれん。
国と 国が 戦うなら、いろんな奇襲戦法や 武器がいるだろう。
だがね、この天下、全世界が、鎮まり 治まるには、もう、そんなこっちゃ だめなんだ。
そんなものに 夢中になっていたら、全世界は 治まりゃしないんだ。
どうして そんなことが言えるって ? だって、よく見てごらんよ。
いま、各国で いろんな規則やら 何やらを作りあうから、
金持ちの国ができ、貧乏の国が できてるじゃないか。
いろんな機械が作られ、頭の良い いろんな人間が あれこれやるから、
金持ちの国は ますます 忙しくなって、ただ 働くだけじゃないか。
新しい知識が 生まれれば 生まれるほど、人が 忙しくなるなんて、皮肉じゃないか。
それに、さまざまな法律や 税法が 細かくなれば なるほど、
その網をくぐり抜ける 悪党たちの数は 増えるばかりなんだよ。
だから、この大きな世界が鎮まるには、ひとびとが、できるだけ 相手の自由を 尊重するしかないんだ。
静かさを 愛するようになれば、自然に、そこから 豊かさが、繁栄が、生まれてくるんだ。
欲望を 必要以上に 持たないでいたら、人は、実に 悠々とした存在でいられる。
こういう人々が 全世界にあふれてごらん。 そうしたら、世界に 平和と調和が 成り立つじゃないか。
( 自足 と いうこと )
命を 大切にする人は、地位が 低くたって、収入が 多くなくたって、あまり気にやまないのさ。
自分の生きる楽しさを 犠牲にして、名誉や 地位を追う者は、実は、
いちばん 「 何か 」 を 取りそこねている人だ。
ひたすら 金銭や ものを ためこむ者は、実は、大損をしているのさ。
今、自分の 持つものだけで、満足すれば、平気な顔でいられる。
他に なにかを求めず 期待しなければ、デカい顔でいられる。
まあ、こんなところで 充分だと思っている人は、ゆったりと この世を眺めて、
いま 持つもので 結構エンジョイできる。
そして、世界は 自分のものだ と いう気になるのさ。
だって、その人は 世界より デカいものと つながっているんだからね。
( 外の光で 内側を 照らす )
タオの 大きな 無から、すべてが 生まれてくる。 それゆえに、タオを 天下の母と呼んでいいんだ。
この母を知った人は、その子供である 万物の あり様を知るわけだ。
万物の姿を 奥へたどれば、母を尊び 守ることになる。
有から 無への道に つながっていれば、つまらない恐れや 悩みからは 自由であるだろう。
この道につながるには、あまり 欲望の道を開かず、五感の いろいろな快楽に ふけらないことだ。
そうすれば、いつも、いのちは 充実しているんだよ。
あらゆる欲望の 起こるままに、いそがしく 追いかけ、疲れはてるような、そんな生涯は、
やがて 取り返しのつかぬものになるのさ。
外に向いた 欲望の目を、時には、自分の 内側に向けてごらん。
すると、自分を知る という 認識に至る。 自分の中に 軟らかさ 優しさを見い出す。
―― そして、それこそが 自分の強さなのだ、と 知るだろう。
それには 外の光を使って、自分の 内側を 照らせばよいのだ。
そうすれば、さまざまな悩みや 苦しみは、軽くなるはずだよ。
なぜなら、内側の柔らかな強さは、タオへの、あの道に 通じているからだ。
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