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                                 武 士




          ( 王舎城の 悲劇 )


約 二千五百年前のインド地方にあった、マガダという国の ピンビサーラ王はブッダに帰依していたが、

その息子の アジャータサットゥ という 王子は、王位を奪う為に 大臣たちの反対を押し切って、

父王を 牢獄に閉じ込め、餓死させようとした。

しかし、いつまでたっても 死ぬようすがないので 部下に しらべさせてみると、自分の母親である

王妃が、夫に会いに 牢獄へ行くたびに、衣服の下に水をかくし、肌には 蜂蜜と 小麦粉とを塗って

王に食べさせていた事が わかった。


激怒した王子は、 「 あの王妃を殺せ ! 」、 と いう命令を出したが、その場にいた 将軍の一人が、

「 王位を奪う為に、父親を殺害した王子は 多いと聞いている 。  しかし、母親を殺したという話は

 聞いた事がない 。 そのような者を 王にしておく訳にはいかない ! 」、 と言って刀の柄 ( つか )

に 手をかけた。

アジャータサットゥ は、青くなって 思いとどまったという。


武士といえば、主人には、「 ハハ ー 」 と 頭を下げるだけの 御無理ごもっともの イエスマンという

印象があるが、昔には このような 骨のある武士が いたのだった。


しかし 幽閉された王は、牢獄の窓から 飛び降りて 命を絶ってしまう。 

これが 仏典で、王舎城の悲劇 と 言われている事件だった。




          ( 墨子 ) ー ぼくし


ほぼ 同じ時代、中国も 戦国時代であった。  そこに 墨子 ( ぼくし ) と呼ばれる 下級武士がいた。 

本名を、墨翟 ( ぼくてき ) と言う。   代々、発明、技術 を 職業にしていた とも言われている。


墨子は、孔子 ( こうし ) と対立し、思想家として 当時、その勢力を 孔子と二分していた。 

孔子は 立派な 教説を説いたが、腹の黒い人物であった。     

ある国王を そそのかして、戦争を しかけさせたという。 

荘子 ( そうじ ) も、その出来事を 非難しているので、歴史家たちも この事件は 事実であろうと

考えている。


又、孔子と 弟子の一行が、旅をしていた時、関所で 足止めをくってしまった事があった。 

長きにわたったので、食料が 無くなって 餓死する旅人も 多く出た。

孔子の弟子に 一人の悪人がいた。   死んだ人の もも肉を切り取って 焼き、孔子に 持って行った。

孔子は、これは 何の肉か とも聞かずに、おいしそうに食べた。

それを見ていた、この弟子は、( こんな事をしても 良いのか )、 と思い、次には 強盗をはたらいて、

酒を買って、孔子に 持って行った。

孔子は、( 金も無いのに これはどうしたのだ )、 とも聞かず、喜んで飲んだという。


しばらくして、孔子一行は 関所を通り、国王の城に招かれた。 

すると 孔子は、 「 席順が ちがうと。」、 とか、 「 料理のしかたが なってない。」、 とか

言って ごて始めた。 

それを見た 悪人の弟子は、 「 先生、あの時とはずいぶん ちがうではないですか 。」、 と言うと

孔子は、 「 お前、 ちょっと来い 。  教えてやろう。  あの時は あの時、今は 今じゃ 。  

 あの時は 食わねば死ぬから 食ったのだ 。     しかし こうして城に招かれたからには、

 正義とやら言うものを 説かねば ならんのじゃ 。」、 と 言ったので、

その弟子は 驚き あきれて、自分の事は タナに上げ、墨子の所へと行って、皆 しゃべってしまった。

墨子の弟子たちは喜んで、「 孔子という男は 何の肉かも知らないで食べる人間だ。 あのような者の

 説く言葉など、一切 信じてはならない ! 」、 という ビラを作って ばら撒いた



 ―― 墨子は、 「 侵略は 国家の犯罪。  天は 犯罪と 戦争を憎む。  人材は 国の宝。 

 自他を 等しく愛せ。  他人を犠牲に利益を得るな 。 資源の節約は 富の倍増 。」、 などと

主張して、始めの頃は 国王達に、 「 非攻 ( 他国を攻撃してはならない ) 、戦争の惨禍を見よ。」、 

と 説いてまわったが、 「 先生、あなたの言う事は 正しい 。   しかし 誰も あなたの言う事を

 聞かないだろう 。  なぜなら、あなたは 身分が低いからだ 。」、 と 言われてしまう。


 ―― そこで、ついに墨子は 実力行使に出た。   

墨子一門の弟子を集めて 強力な軍隊に仕立て上げ、最新の兵器を作って 守城だけを専門とする軍隊、

ボランティアの 軍事集団を作ったのだった。

強国が、他の国を侵略するという 情報が入ると、攻められる側の国の城に 立てこもって 守城の闘いに

出た。     城というのは、都市を とり囲む壁である。

その卓抜な 戦術により、あらゆる戦闘において、圧倒的多数の攻撃軍を撃退し、常に沈黙させたという

世界史にも異例の史実が 今に 残されている。


ある時、強国 楚 ( そ ) にいる 公 という技術者が、雲梯 ( うんてい ) という戦闘用のクレーン車を

発明した。      

城壁を攻め登る、移動式の はしご車であった。

それを使って、隣国の 宋 ( そう ) の国を 攻めようとしている、 という 情報が、墨子に入った。

それを聞いた墨子は、書記の弟子と共に、馬を走らせ、十日かけて 楚の国の 公の家に着いた。

公 が出てきて、 「 先生におかれては、一体 何の用事で わざわざ お越しになりましたか ? 」、 と

とぼけて言ったという。


その時、墨子は、 「 ―― 人を 殺してくれ ! 」、 と 切り出す。

「 私を侮辱する奴がいる。 どうか 暗殺してもらいたい。」

公は、( 自分は 殺人を請け負う 汚い人物ではない ) と 思って 腹を立てて だまっていた。

すると墨子は、 「 ここに十六金ある 。 これでやってもらいたい 。」、 公がなおも 黙っていると

「 では この倍出そう 。  それで やってもらいたい 。」 

たまりかねた 公は、 「 私は 正義を信条としており、そもそも 殺人など 働く人間ではない 。」、 

という 大見得を切ってしまった。 

墨子は ここぞとばかり、 「 では聞くが、あなたは 雲梯を作って 隣国の宋に 侵攻しようとしている

 ではないか 。   宋は 貧しい国で 何の非もない 。   これが 正義と言えるか、 どうか 。」

公は、 「 正義ではない・・・」   「 では、やめてもらおう 。」  「 もう遅い 。 雲梯の事は

 すでに 国王に 話してしまった 。」、 と、国王に 責任を 転嫁しようとした。

墨子は、 「 それでは 国王に会わせてもらいたい 。」、 と 言って、墨子と書記は 入城し 楚の

国王と 将軍たちのいる所へと 入って行った。 


墨子は国王に、 「 貧しい 宋を襲うのは、泥棒と同じではありませんか。」、 と 説得に かかったが

その国王は、 「 わしは、せっかくの 公のこころざしを 無駄にするのに 忍びないのじゃ 。」、 

と、公に 責任を 預けようとした。 

すると墨子は 公に向き直り、机上に自分のベルトを置いて 城壁に見立て、かねて用意の 木片を使い、

公と 戦闘の シュミレーションを 始めた。   その結果は、墨子の勝利に終わる。

これが 有名な ( 机上の 攻防 ) である。 


公は、 「 なるほど 勝てないが、しかし、私には勝つ手がある 。  しかし まあ それは 言わないで

 おきましょう 。」

墨子は、 「 その事なら、私も知っている 。  しかし まあ それは 言わないでおきましょう 。」 

国王、 「 ―― どういう事か 。」

墨子、 「 この 公は、私がこの城から出たあと、私を殺せば、この私の戦略は なくなると思っている

 のです 。  だが もう遅い 。  私の部下 三百人が、この戦略と 武器とを持って、とっくの昔に

 宋の 城に入って 陣をしき、今や遅しと 楚の軍勢を 待ち構えている ! 」

国王は、 「 よくわかった 。 宋への攻撃は、取りやめにしたい 。」、 と、墨子に 約束をした。


そこで墨子は 楚の城から帰りの途についたが、 帰り道で宋の国に入った時、大雨に降られてしまった。     

そこで宋の国のひさしで 雨宿りをしようとしたが、宋の門番は、 城内で布陣していた墨子の弟子から、

「 あやしい者は 中に入れるな。」、 と言われていたので、 「 私は 墨子だ。」、 という 言葉を

疑い、楚からのスパイと思って 墨子と弟子を 追い払った。


墨子は、木の下で 雨に濡れながら、 「 派手に戦えば、人々に その功績を讃えられるが、神妙に

 争いをやめさせた場合には、人々は これを知る事がない 。」、 という意味の詩を 唱えたという。




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