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仏教と 日本
―― ボーディ ダルマという インドの聖者が 漢の武帝に招かれた事がある。
禅宗の始祖と されている人で、日本では ( ダルマさん ) と呼ばれて
選挙事務所などに、その ハリボテが置かれている。 貯金箱にもなっていた。
武帝は、 「 経典は 何か持って来られたか 。」、 と聞くと、
ダルマは、 「 何も持っていない 。」、 と 答えた。
「 私は この国で 多くの寺院を建立して布施をしているが、この私には どんな功徳が有りますかな。」
「 何も無い 。 」
「 それでは 仏教の言う処の真理とは何か 。」 「 何も無い、という事である 。」 ( 一切皆空 )
「 それでは、一体そなたは 何者であるか 。」 「 何者でも無い 。」 ( 自我という実体は無い )
この説法が 武帝に理解されるはずはなかった。
―― と いう訳で、ダルマは 城を出たあと、武帝の命令を受けた 兵士に追われて 殺されかけたが、
あやうく逃げ延びて、嵩山 ( すうざん ) の 少林寺で、法 ( 仏教 ) と 武術を 指導した。
少林寺は、カンフー ( 功夫 ) 発祥の地であり、その武道は ダルマが教えている。
素手で戦う この武術を カラリパヤット といって、カンフー、拳法、空手 のルーツといわれている。
武器を持たずに 素手で戦うという武道は、戦争からは生まれない。
仏教では、武器としての 杖刀を持つ事は 禁止されていた。
しかし、ブッダ在世時から 他教の者に 弟子が暴行 殺害される事件が たびたび起こり、
その後の歴史においても、数世紀にわたって、イスラムの攻撃を受け、寺院は 掠奪 破壊され、
僧侶は 殺害され続けてきた。
そこで 護身術としての武道を 僧侶たちが作ったのであった。
「 人を 殺すな 。 又、人を殺すのを 容認してはならない 。」、 と いう ブッダの教えがあるから、
人を守る為にも、あえて 戦わなければならない場合が あったと思われる。
中国においても、その時の国王によって 仏教が弾圧された時代があったが、僧侶たちは 仏典を持って
山に逃げ込んだ。
中国には パンダしか いないような深山が多い。
野生の虎もいたから、山に逃げられたら 追って行けない。
今 パキスタンがある地域に、二千五百年前には、カンボージャという 広大な国土の国があったが、
後年仏教国となり、イスラム教の軍隊などの攻撃を受け続けて、人々は現在のカンボジァまで逃げのび、
新しい国を作った。
インドでは、山といっても ヒマラヤ山脈で、雪しかない。
その向こうは タクラマカン砂漠である。
当時インドでは 海のシルクロードといわれる 海洋交易が発達していたので、迫害を受けるたびに、
僧侶たちは 船団を組んで ガンジス河から 他国へ逃げたり 布教の旅に出たりしていた。
約千五百年前に、聖徳太子が 仏教国を興し 憲法を制定して インドからも 僧侶を招いていた。
そして 飛鳥という土地に 新しい首都を作ったが、アスカとは、インドで仏教を全土に広めた
アショーカ王の名前をとった。
奈良の中心部にも ヨガ神社という名の 神社が残っている。
この頃、インドから 日本を目指していた 船の一艘が、今の 韓国に流れ着いた。
その船に乗っていた インドの僧侶たちは、韓国の ある山寺に入って仏教を教えた。
その寺の韓国人僧侶たちは、千五百年前から 現在に至るまで、当時のインド仏教の、戒律や 教え、
しきたりを、ほぼ そのままの形で 現在に伝えている。
伝わっている修行法の一つで 特に目を引くのは、体を鍛え上げ、忍者のように 竹や木に登って
素早く身を隠す方法と、 素手で戦う 護身術 ( カラリパヤット ) である。
拳法や空手に近い。
日本にやって来た 僧侶たちだったが、イスラムの大軍が船団を組んで 日本まで追って来る危険は、
充分に 予想していた。
来るとすれば、瀬戸内海から 神戸に上陸するであろうと 考えられた。
そこで 神戸の 摩耶山頂上に 監視の為の寺院を作った。
摩耶 ( まや ) 山 という名は、ブッダの母である マーヤーからその名をとった。
摩耶山天上寺は、六百四十六年に 孝徳天皇の勅命を受けた インド人の高僧、法道仙人が 寺を建立し、
そこで一生を終えたという。
摩耶山天上寺には、インドからマーヤー婦人の立像が贈られている。
大阪には聖徳太子の勅命で、四天王寺が建立された。
四天王とは、仏教を守護するといわれる神々である。
幸い、イスラムの軍勢は 追って来なかったが、神戸、大阪、奈良には、当時にまつわる
地名や 神社名が 今に残されている所が多い。
大阪府にある 石切り ( イシキリ ) 神社なども、その名残りかも知れない。
パーリ語で、「 仙人 」 又は、「 仙人の住む所 」 を、イシギリ という。
法隆寺の塔には、ブッダの遺骨と伝えられる、米つぶ大の 骨が安置され、パーリ語で書かれた
世界最古の、般若心教の板が 保存されている。
源氏などが、( 南無八幡大菩薩 ) という旗を掲げた、京都にある 岩清水八幡宮という神社などの、
八幡 ( 八つの旗 ) とは、仏教の 聖なる八支といわれる 八正道であり、菩薩とは仏教の神である。
すでに 教えは忘れ去られていて、菩薩という神が 威力があると思ったらしく、源氏が戦争に悪用した。
どこの神社にも見られる 鳥居は、インドの ストゥーパの 儀礼門で、トリー ( トラナ ) と言う。
現代のインドには、鳥居と 同じ形の 石のトリーが 残っている。
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仏教と 日本
―― ボーディ ダルマという インドの聖者が 漢の武帝に招かれた事がある。
禅宗の始祖と されている人で、日本では ( ダルマさん ) と呼ばれて
選挙事務所などに、その ハリボテが置かれている。 貯金箱にもなっていた。
武帝は、 「 経典は 何か持って来られたか 。」、 と聞くと、
ダルマは、 「 何も持っていない 。」、 と 答えた。
「 私は この国で 多くの寺院を建立して布施をしているが、この私には どんな功徳が有りますかな。」
「 何も無い 。 」
「 それでは 仏教の言う処の真理とは何か 。」 「 何も無い、という事である 。」 ( 一切皆空 )
「 それでは、一体そなたは 何者であるか 。」 「 何者でも無い 。」 ( 自我という実体は無い )
この説法が 武帝に理解されるはずはなかった。
―― と いう訳で、ダルマは 城を出たあと、武帝の命令を受けた 兵士に追われて 殺されかけたが、
あやうく逃げ延びて、嵩山 ( すうざん ) の 少林寺で、法 ( 仏教 ) と 武術を 指導した。
少林寺は、カンフー ( 功夫 ) 発祥の地であり、その武道は ダルマが教えている。
素手で戦う この武術を カラリパヤット といって、カンフー、拳法、空手 のルーツといわれている。
武器を持たずに 素手で戦うという武道は、戦争からは生まれない。
仏教では、武器としての 杖刀を持つ事は 禁止されていた。
しかし、ブッダ在世時から 他教の者に 弟子が暴行 殺害される事件が たびたび起こり、
その後の歴史においても、数世紀にわたって、イスラムの攻撃を受け、寺院は 掠奪 破壊され、
僧侶は 殺害され続けてきた。
そこで 護身術としての武道を 僧侶たちが作ったのであった。
「 人を 殺すな 。 又、人を殺すのを 容認してはならない 。」、 と いう ブッダの教えがあるから、
人を守る為にも、あえて 戦わなければならない場合が あったと思われる。
中国においても、その時の国王によって 仏教が弾圧された時代があったが、僧侶たちは 仏典を持って
山に逃げ込んだ。
中国には パンダしか いないような深山が多い。
野生の虎もいたから、山に逃げられたら 追って行けない。
今 パキスタンがある地域に、二千五百年前には、カンボージャという 広大な国土の国があったが、
後年仏教国となり、イスラム教の軍隊などの攻撃を受け続けて、人々は現在のカンボジァまで逃げのび、
新しい国を作った。
インドでは、山といっても ヒマラヤ山脈で、雪しかない。
その向こうは タクラマカン砂漠である。
当時インドでは 海のシルクロードといわれる 海洋交易が発達していたので、迫害を受けるたびに、
僧侶たちは 船団を組んで ガンジス河から 他国へ逃げたり 布教の旅に出たりしていた。
約千五百年前に、聖徳太子が 仏教国を興し 憲法を制定して インドからも 僧侶を招いていた。
そして 飛鳥という土地に 新しい首都を作ったが、アスカとは、インドで仏教を全土に広めた
アショーカ王の名前をとった。
奈良の中心部にも ヨガ神社という名の 神社が残っている。
この頃、インドから 日本を目指していた 船の一艘が、今の 韓国に流れ着いた。
その船に乗っていた インドの僧侶たちは、韓国の ある山寺に入って仏教を教えた。
その寺の韓国人僧侶たちは、千五百年前から 現在に至るまで、当時のインド仏教の、戒律や 教え、
しきたりを、ほぼ そのままの形で 現在に伝えている。
伝わっている修行法の一つで 特に目を引くのは、体を鍛え上げ、忍者のように 竹や木に登って
素早く身を隠す方法と、 素手で戦う 護身術 ( カラリパヤット ) である。
拳法や空手に近い。
日本にやって来た 僧侶たちだったが、イスラムの大軍が船団を組んで 日本まで追って来る危険は、
充分に 予想していた。
来るとすれば、瀬戸内海から 神戸に上陸するであろうと 考えられた。
そこで 神戸の 摩耶山頂上に 監視の為の寺院を作った。
摩耶 ( まや ) 山 という名は、ブッダの母である マーヤーからその名をとった。
摩耶山天上寺は、六百四十六年に 孝徳天皇の勅命を受けた インド人の高僧、法道仙人が 寺を建立し、
そこで一生を終えたという。
摩耶山天上寺には、インドからマーヤー婦人の立像が贈られている。
大阪には聖徳太子の勅命で、四天王寺が建立された。
四天王とは、仏教を守護するといわれる神々である。
幸い、イスラムの軍勢は 追って来なかったが、神戸、大阪、奈良には、当時にまつわる
地名や 神社名が 今に残されている所が多い。
大阪府にある 石切り ( イシキリ ) 神社なども、その名残りかも知れない。
パーリ語で、「 仙人 」 又は、「 仙人の住む所 」 を、イシギリ という。
法隆寺の塔には、ブッダの遺骨と伝えられる、米つぶ大の 骨が安置され、パーリ語で書かれた
世界最古の、般若心教の板が 保存されている。
源氏などが、( 南無八幡大菩薩 ) という旗を掲げた、京都にある 岩清水八幡宮という神社などの、
八幡 ( 八つの旗 ) とは、仏教の 聖なる八支といわれる 八正道であり、菩薩とは仏教の神である。
すでに 教えは忘れ去られていて、菩薩という神が 威力があると思ったらしく、源氏が戦争に悪用した。
どこの神社にも見られる 鳥居は、インドの ストゥーパの 儀礼門で、トリー ( トラナ ) と言う。
現代のインドには、鳥居と 同じ形の 石のトリーが 残っている。
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