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                              仏教の歴史




ブッダは 常々 弟子たちに、「 法 ( 真理 ) の相続者であれ。 財の相続者になるな。」

と 言われていたが、ブッダ亡きあと、 一部の弟子たちが 教団の支配を図った。


ブッダを 神として祀り上げ、信者たちの帰依と 供養とを、引き続き 得ようとしたのである。

教団は堕落したと言われている。  


ブッダは、個人崇拝を禁止した。 

「 わたしを拝んで どうしようというのか 。」、 と、事あるごとに 弟子達を いましめられている。 

ブッダ入滅後、一部の僧たちは、自らの 修行にのみ没頭して、教団の権威で人々の尊敬を求めた。

当然、 信者と 国王などの スポンサーは去っていった。 

ヒンズー教や イスラム教の迫害から 教団を守ずに インドから滅亡したのも、その為である。 


ブッダの入滅後 百年ほど経て、根本分裂という サンガの分裂が起きる。

上座部と 大衆部との決裂であった。 

さらに時代を経て 大乗の旗を掲げるグループが現れた。

彼らは ブッダの 元の教えに 立ち返って 人々を救おうとする 行動派であった。


この大乗仏教が 中国を経て アジア諸国に広がり、日本にも伝わった。

彼らは ブッダの思想に基づいて、大乗仏典を作りあげ、仏教をアジアに伝えた。

仏教には、無数にして無名の僧侶たちの 命がけの布教の歴史がある。 


上座部は、アーガマ ( 伝承 ) というブッダの言葉を記録した仏典を持っていたが、

近代になって イギリスの学者たちによって 発掘されたのであった。


サンガ分裂のきざしは、すでにブッダ在世時から始まっていた。

ブッダ亡きあとに 表面化したのである。 

テーラ ガーターには、それを嘆き、堕落を糾弾する 長老の言葉が 少なからず残されている。


原始仏典は、当時の弟子たちが、自分たちに重要と思われる言葉のみを、記憶して集めたものが多い。

ブッダの教説は、もっと はば広く、誰にも わかりやすいものであったと考えられている。

その一部が、形を変えて、大乗仏典の中に 取り入れられているのである。


サンガは 出家者と在家者で構成されている。 出家至上主義は ブッダ亡きあとの僧侶の主張であった。

パーリ中部経典には、ある在家信者が、「 出家者のみが アラハトの悟りを得られて、在家者には 無理

 なのですか。」、 と 問い、ブッダは、「 その事は、個々に 論じられるべきである。 出家者で

 あっても 悟れない者もいるし、在家者であっても 悟りを得る者もいる。」、 と 答えられている。

 
「 ―― 大乗 非仏論を 標榜 ( ひょうぼう ) する者は、仏教を 何も理解していない 。」

と、世界中の 宗教学者達から 言われていて、 これはすでに世界の常識になっている。


ブッダは、「 一切の権力に 近づくな 。」、 と 説かれているので、

日本の、ある政党を作っている 評判の悪い宗教団体 ( 創価学会 ) などは、仏教とは 全く縁が無い。


ブッダは 常々、「 修行者たちよ 。 お前たちは 皆 仲良くしなさい 。 同じ わたしの教えの中の

 水と 乳ではないか 。」、 と、語られていたので、大乗派も、小乗 ( 小さな乗り物 ) などと、

上座部派を 蔑称するべきではなかった。

とはいえ、当時は 上座部からの攻撃 ( 誹謗 ) があり、やむおえない事態であったのかもしれない。


しかし 今だに、北伝仏教 諸派は、「 大乗 」 という 看板をあげている。 

ブッダの教えには、「 全て 相対的なものには 意味が無い 。」、 と いう意味のものがある。


しかも 日本の仏教が、( 葬式仏教 )、( 観光仏教 ) と マスコミからまで 批判されて永い。

葬祭儀礼に関しては、キリスト教の方が、まだ 良心的だと言われている。


ある仏教宗派では、霊魂の存在を 否定しておきながら、死者の供養と称して葬式や 満中陰に

出て来て、読経をする僧がいる。   「 これでは 詐欺である。」、 と 評論家は 言うのである。


ある人が 京都の有名寺院 ( 金閣寺 ) に行った。  

三脚を使わずに 中型のカメラで写真を撮って 寺から出ると、その寺の坊さんが走って来て、

寺の写真を撮った 撮影代として、三十万円の請求書を出した。





「 法による 商人として 暮らすな 。」、 と いう、ブッダ ( 仏 ) の言葉がある。


                                      歎異抄終 ・・・