・
仏教 サンユッタ ニカーヤ より - ( 3 )
( 神 ー 天使 いわく ) 「 わたしは、そなたに依存して 生きているのではない 。
又、そなたの為に仕事をしてくれる人々がいるのではない 。 修行者よ 。
人は 何によって ( 善き所 ) に行き得るのかという事を、そなた自身が知るべきである 。」
( 神 ー 天使 いわく ) 「 そなたは、根源から 正しく注意しない為に、思索に酔っているのです。
根源によるのではない、正しからざる思索を捨てよ 。
戒律を捨てて退く事なく、根源からしっかりと想いつづけよ 。
そうすれば、そなたは、喜びに達し、喜びを楽しみ、歓喜に富む者となり、
苦しみを 終滅するであろう事は、うたがいない 。」
( ヴァンギーサ ブッダの直弟子で、詩人 ) 「 偉大な聖者 アンギーラサ ( ブッダ ) よ 。
あたかも、雲のない空に、月が、汚れのない 太陽のように輝くのと同様に、
あなたは、名声によって 全世界を超えていく 。」
( 神 いわく ) 「 修行者よ 。 そなたの心は 外に向かって揺れ動く 。
そなたは 人として 人々に対する欲望を 制しなさい 。
そうすれば、そなたは 欲情を離れて、安楽となるでしょう 。
こころ善からぬ事を捨てて、気をつけていらっしゃい 。 立派な人々の 一人になりなさい 。
その事を われらは心がけています 。 地獄の塵は 取り除くのが難しい 。
そなたは、愛欲の塵に 運び去られないようにせよ 。
砂にまみれた鳥が、羽についた塵を 振るい落とすように、気をつけて修行につとめている修行者は、
身についた 塵汚れを 振るい落とす 。」
( 修行者 ) 「 昔は、私は 離欲を達成するまでは 真理の言葉を学びたい という願望がありました 。
今や 私は、離欲を達成したからには、見た事でも、聞いた事でも、考えた事でも、
全てを知った上では、捨て去らねばならぬ、という事を、立派な人々は説かれました 。」
( ブッダ ) 「 欲情と 憎悪とは、これを原因として起こる 。
不快と快楽と、身の毛もよだつ恐怖とは、ここから生ずる 。
子供たちが、その足を縛って鳥を放つように、心の思考は ここから起こるのであるが 。
―― それらは 愛執から生じ、自己に根ざして成立している 。
凡夫は愛欲に執著している 。 ―― 蔓草が 林にはびこるように 。
どこから生ずるかという事を 明らかに知る人は、その原因を除去する。
ヤッカよ、聞きなさい 。 未だ かつて渡った事のない、渡り難き この激流を、かれらは渡り、
再び 迷いの生存に戻る事がないであろう 。」
( ヤッカ ) 「 師ブッダは説かれた、―― ( ニルヴァーナとは、一切の束縛から解き放たれる事である )
と 。」
( ブッダ ) 「 信 ( まこと、誠実 ) は、この世において 人の最高の財である 。
徳をよく実行したならば、幸せをもたらす 。
真実は、実に諸々の飲料のうちでも、すぐれて甘美なるものである 。
明らかな智慧によって生きる事が、最上の生活である 。」
( ブッダ ) 「 尊敬されるべき 真人たちを信仰する人が、安らぎに至る為の 教えを聞こうと願って、
怠りなまける事のない 聡明な人は、明らかな智慧を得る 。
身に適した ふさわしい事を為し、重い荷に耐え、努力する人は、財を得る 。
真実を守る事によって、良い評判を得、ものを与えるならば 友交を結ぶ 。
このようにするならば、この世から かの世へと移って、死んだあとでも 悲しむ事がない 。
家を求めながらも 信仰あり、真実と 自制と、堅実と、捨離と、この四つの徳を そなえている人は、
死んでからあとでも 悲しむ事がない 。
この世から かの世に移って、死んだあとでも、このように悲しむ事がない 。
誠実、 自制 、施与、 忍耐 よりも、さらにすぐれたものが、この世にあるかどうか、
広く世の、道の人、バラモンたち、他の人々に たずねるがよい 。」
( 神 ー サッカ ) 「 勤める事もなく、努力する事もなくて、しかも 安楽に達し得る所があるならば、
スヴィーラよ、そこに行け 。 又、私を、そこに行かせてくれ 。」
( ブッダ ) 「 この 善く説かれた教説において、未だ 得られていないものを得る為に、
未だ 達していないものに達する為に、未だ 体得していないものを体得する為に、
はげみ、努め、身を制するならば、そなたらは ここに輝くであろう 。」
( サッカ ) 「 私は、こう思う 。 他人が怒っているのを知った時に、気を落ち着けて、
静かにしているならば、それが 愚人を静止する事である 。
ある人々が 力のある者であるのに、無力な人を耐え忍ぶならば、それを 最上の忍耐と呼ぶ 。
ある人が 愚者の力を 力としているならば、その力を 無力と呼ぶ 。
徳に護られている力には、言い逆らう人がない 。
そなたらは、耐え忍ぶ事と 柔和とを身につけて修めたならば、輝くであろう 。」
( 神 ー ヴェーパチッティ ) 「 嘘を語る者の 罪障、 聖者を誹謗する者の 罪障、
友を裏切る者の 罪障 。
―― そなたに害心をいだく者は、まさにその罪障にふれる 。 スジャー妃の夫よ 。」
( 神 ー ヴェーローチャナ ) 「 一切の 生きとし生ける者は、目的を目指して 生まれたものである 。
あちらでも、こちらでも、それぞれ 分に応じて 。
目的が達成されるまで、人は 努めなければならぬ 。
その目的は、達成されたならば、みごとに輝く 。」
( サッカ の、七つの 誓戒 )
「 ( 1 ) 自分が生きているかぎり、私は 母と父とを養おう 。
( 2 ) 生きているかぎり、私は 家の中の年長者を敬おう 。
( 3 ) 生きているかぎり、私は 柔和な言葉を語ろう 。
( 4 ) 生きているかぎり、私は そしる言葉を 語らない事にしよう 。
( 5 ) 生きているかぎり、私は垢や物惜しみ心のくっついていない心で、寛仁で、手を洗って清めて、
施し捨て去る事を喜び、他人の懇願に応じ、施して分配する事を楽しむ者として、
わが家に住みたい 。
( 6 ) 生きている限りは、真実を語る者でありたい 。 ( 嘘は 言わない 。)
( 7 ) 生きている限りは、怒る事のない者でありたい 。
もしも 私に怒りが起こったならば、速やかに それを除く事にしよう 。」
( ブッダ ) 「 母と父とを養う人 、家においては 年長者を敬う者、やさしい 心の通う会話をなす人、
そしる言葉を捨てた人、 物惜しみを除くのに 努めている人、 誠実なる人、 怒りに打ち克った人、
―― かれを、三十三天の神々は、( 立派な人 ) と呼ぶ 。」
( サッカ ) 「 聡明な人は、信仰と、 戒めと、 澄んだ 清らかな心と、 真理を見る事に 努めよ 。
諸々の ブッダの教えを 想いおこしながら 。」
( サッカ ) 「 善き 尊い言葉を語り、しっかりとしていて、沈黙して、ゆったりとしていよ 。
神々は 阿修羅たちと争い、人々は 互いに争う 。 マータリよ 。
敵意ある者どもの間にあって 敵意なく、暴力を用いる者どもの間にあって 安らいでいて、
執著している人々の間にあって 執著していない 人々、
―― かれらを、私は敬礼するのです 。 マータリよ 。」
( ブッダ ) 「 修行者たちよ 。 わたしから見ると、二人共に愚者である 。
罪を 罪として見ない人と、規定のとおりに罪を告白する人の謝罪を 受け付けない人と、
―― 二人共に愚者なのだ 。」
( サッカ ) 「 そなたらは、怒りに支配されるな 。 友人との友情を 朽ちさせないようになさい 。
そしってはならぬ事を そしるな 。 人を害う ( そこなう ) 事を語るな 。
怒りは 悪人を押しつぶす 。 ―― 岩が人を押しつぶすように 。
怒らぬ事と 不傷害とは、常に 気高い人々の内に住んでいる 。」
( ブッダ ) 「 人が、自分自身の事を知っているように、神々も又、かれの事を知っている 。」
( サンユッタ ニカーヤ ( 岩波文庫 「 ブッダ神々との対話 」「 ブッダ悪魔との対話 」)より 抜粋 )
仏教 サンユッタ ニカーヤ より - ( 3 )
( 神 ー 天使 いわく ) 「 わたしは、そなたに依存して 生きているのではない 。
又、そなたの為に仕事をしてくれる人々がいるのではない 。 修行者よ 。
人は 何によって ( 善き所 ) に行き得るのかという事を、そなた自身が知るべきである 。」
( 神 ー 天使 いわく ) 「 そなたは、根源から 正しく注意しない為に、思索に酔っているのです。
根源によるのではない、正しからざる思索を捨てよ 。
戒律を捨てて退く事なく、根源からしっかりと想いつづけよ 。
そうすれば、そなたは、喜びに達し、喜びを楽しみ、歓喜に富む者となり、
苦しみを 終滅するであろう事は、うたがいない 。」
( ヴァンギーサ ブッダの直弟子で、詩人 ) 「 偉大な聖者 アンギーラサ ( ブッダ ) よ 。
あたかも、雲のない空に、月が、汚れのない 太陽のように輝くのと同様に、
あなたは、名声によって 全世界を超えていく 。」
( 神 いわく ) 「 修行者よ 。 そなたの心は 外に向かって揺れ動く 。
そなたは 人として 人々に対する欲望を 制しなさい 。
そうすれば、そなたは 欲情を離れて、安楽となるでしょう 。
こころ善からぬ事を捨てて、気をつけていらっしゃい 。 立派な人々の 一人になりなさい 。
その事を われらは心がけています 。 地獄の塵は 取り除くのが難しい 。
そなたは、愛欲の塵に 運び去られないようにせよ 。
砂にまみれた鳥が、羽についた塵を 振るい落とすように、気をつけて修行につとめている修行者は、
身についた 塵汚れを 振るい落とす 。」
( 修行者 ) 「 昔は、私は 離欲を達成するまでは 真理の言葉を学びたい という願望がありました 。
今や 私は、離欲を達成したからには、見た事でも、聞いた事でも、考えた事でも、
全てを知った上では、捨て去らねばならぬ、という事を、立派な人々は説かれました 。」
( ブッダ ) 「 欲情と 憎悪とは、これを原因として起こる 。
不快と快楽と、身の毛もよだつ恐怖とは、ここから生ずる 。
子供たちが、その足を縛って鳥を放つように、心の思考は ここから起こるのであるが 。
―― それらは 愛執から生じ、自己に根ざして成立している 。
凡夫は愛欲に執著している 。 ―― 蔓草が 林にはびこるように 。
どこから生ずるかという事を 明らかに知る人は、その原因を除去する。
ヤッカよ、聞きなさい 。 未だ かつて渡った事のない、渡り難き この激流を、かれらは渡り、
再び 迷いの生存に戻る事がないであろう 。」
( ヤッカ ) 「 師ブッダは説かれた、―― ( ニルヴァーナとは、一切の束縛から解き放たれる事である )
と 。」
( ブッダ ) 「 信 ( まこと、誠実 ) は、この世において 人の最高の財である 。
徳をよく実行したならば、幸せをもたらす 。
真実は、実に諸々の飲料のうちでも、すぐれて甘美なるものである 。
明らかな智慧によって生きる事が、最上の生活である 。」
( ブッダ ) 「 尊敬されるべき 真人たちを信仰する人が、安らぎに至る為の 教えを聞こうと願って、
怠りなまける事のない 聡明な人は、明らかな智慧を得る 。
身に適した ふさわしい事を為し、重い荷に耐え、努力する人は、財を得る 。
真実を守る事によって、良い評判を得、ものを与えるならば 友交を結ぶ 。
このようにするならば、この世から かの世へと移って、死んだあとでも 悲しむ事がない 。
家を求めながらも 信仰あり、真実と 自制と、堅実と、捨離と、この四つの徳を そなえている人は、
死んでからあとでも 悲しむ事がない 。
この世から かの世に移って、死んだあとでも、このように悲しむ事がない 。
誠実、 自制 、施与、 忍耐 よりも、さらにすぐれたものが、この世にあるかどうか、
広く世の、道の人、バラモンたち、他の人々に たずねるがよい 。」
( 神 ー サッカ ) 「 勤める事もなく、努力する事もなくて、しかも 安楽に達し得る所があるならば、
スヴィーラよ、そこに行け 。 又、私を、そこに行かせてくれ 。」
( ブッダ ) 「 この 善く説かれた教説において、未だ 得られていないものを得る為に、
未だ 達していないものに達する為に、未だ 体得していないものを体得する為に、
はげみ、努め、身を制するならば、そなたらは ここに輝くであろう 。」
( サッカ ) 「 私は、こう思う 。 他人が怒っているのを知った時に、気を落ち着けて、
静かにしているならば、それが 愚人を静止する事である 。
ある人々が 力のある者であるのに、無力な人を耐え忍ぶならば、それを 最上の忍耐と呼ぶ 。
ある人が 愚者の力を 力としているならば、その力を 無力と呼ぶ 。
徳に護られている力には、言い逆らう人がない 。
そなたらは、耐え忍ぶ事と 柔和とを身につけて修めたならば、輝くであろう 。」
( 神 ー ヴェーパチッティ ) 「 嘘を語る者の 罪障、 聖者を誹謗する者の 罪障、
友を裏切る者の 罪障 。
―― そなたに害心をいだく者は、まさにその罪障にふれる 。 スジャー妃の夫よ 。」
( 神 ー ヴェーローチャナ ) 「 一切の 生きとし生ける者は、目的を目指して 生まれたものである 。
あちらでも、こちらでも、それぞれ 分に応じて 。
目的が達成されるまで、人は 努めなければならぬ 。
その目的は、達成されたならば、みごとに輝く 。」
( サッカ の、七つの 誓戒 )
「 ( 1 ) 自分が生きているかぎり、私は 母と父とを養おう 。
( 2 ) 生きているかぎり、私は 家の中の年長者を敬おう 。
( 3 ) 生きているかぎり、私は 柔和な言葉を語ろう 。
( 4 ) 生きているかぎり、私は そしる言葉を 語らない事にしよう 。
( 5 ) 生きているかぎり、私は垢や物惜しみ心のくっついていない心で、寛仁で、手を洗って清めて、
施し捨て去る事を喜び、他人の懇願に応じ、施して分配する事を楽しむ者として、
わが家に住みたい 。
( 6 ) 生きている限りは、真実を語る者でありたい 。 ( 嘘は 言わない 。)
( 7 ) 生きている限りは、怒る事のない者でありたい 。
もしも 私に怒りが起こったならば、速やかに それを除く事にしよう 。」
( ブッダ ) 「 母と父とを養う人 、家においては 年長者を敬う者、やさしい 心の通う会話をなす人、
そしる言葉を捨てた人、 物惜しみを除くのに 努めている人、 誠実なる人、 怒りに打ち克った人、
―― かれを、三十三天の神々は、( 立派な人 ) と呼ぶ 。」
( サッカ ) 「 聡明な人は、信仰と、 戒めと、 澄んだ 清らかな心と、 真理を見る事に 努めよ 。
諸々の ブッダの教えを 想いおこしながら 。」
( サッカ ) 「 善き 尊い言葉を語り、しっかりとしていて、沈黙して、ゆったりとしていよ 。
神々は 阿修羅たちと争い、人々は 互いに争う 。 マータリよ 。
敵意ある者どもの間にあって 敵意なく、暴力を用いる者どもの間にあって 安らいでいて、
執著している人々の間にあって 執著していない 人々、
―― かれらを、私は敬礼するのです 。 マータリよ 。」
( ブッダ ) 「 修行者たちよ 。 わたしから見ると、二人共に愚者である 。
罪を 罪として見ない人と、規定のとおりに罪を告白する人の謝罪を 受け付けない人と、
―― 二人共に愚者なのだ 。」
( サッカ ) 「 そなたらは、怒りに支配されるな 。 友人との友情を 朽ちさせないようになさい 。
そしってはならぬ事を そしるな 。 人を害う ( そこなう ) 事を語るな 。
怒りは 悪人を押しつぶす 。 ―― 岩が人を押しつぶすように 。
怒らぬ事と 不傷害とは、常に 気高い人々の内に住んでいる 。」
( ブッダ ) 「 人が、自分自身の事を知っているように、神々も又、かれの事を知っている 。」
( サンユッタ ニカーヤ ( 岩波文庫 「 ブッダ神々との対話 」「 ブッダ悪魔との対話 」)より 抜粋 )