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                    仏教  サンユッタ ニカーヤ より - ( 1 )




いかなる世界においても、言葉によっても、心によっても、身体によっても、

いかなる悪をも してはならない。    諸々の欲望を捨てて、よく気をつけて、

しっかりと 念 ( おも ) い、為にならぬ 苦しみに 身をゆだねては ならない。



分かち難きものを 分かち与え、なし難き 行いをなす人々に、悪人は まねて行う事ができない。

善き人々の法は、従い行く事 難し。 

それ故に、善人と 悪人とは、死後には 異なった所におもむく。

悪人は 地獄におもむき、善人は 天上に生まれる。



乏しき中から 分かち与える人は、法を 実践する事になるであろう。 

千の供犠をなす人々の 百千の供犠も、そのような行いをなす人の 功徳の 百分の一にも価しない。



人間の間にある 諸々の欲望の対象で 常住なるものは存在しない。 

この世には 諸々の美麗なるものが 存在し、人は それに束縛されている。    

それらに耽って 怠けている人は、死の領域から脱して

もはや 輪廻の範囲に戻って来る事のない境地に 来る事がない。



怒りを捨てよ。   慢心を除き去れ。   いかなる束縛をも超越せよ。  

名称 ( 自我 ) と形態 ( 肉体 ) とに執著せず、無一物となった者は、苦悩に追われる事がない。



智慧乏しき 愚かな人々は 放逸にふける。   しかし 聡明なる人は、努め励むのを守る。   

―― 最上の宝を守るように。



炎の燃えさかる家から 器財を運び出したならば、その器財は その人にとって有用なものとなる。

しかし そこで焼かれたものは、もはや役に立たない。 

人の世は、このように 老と死との火によって 燃え立っている。     

人に与える事によって 運び出せ。    人に与えたものは、よく運び出されたものとなる。

人に与えたものは、楽しい果を結ぶ。    与えなければ、そのようにはならない。

盗賊が奪い、国王が奪う。     与えなかった財は 火に焼かれて、滅びてしまう。

遂には、財産ともども 身体を捨ててしまう。     

賢者よ。 この事をよく知って、財を受容し、かつ人に与えよ。  

能力に応じて、与え、かつ受容して、人から非難される事なく、天の境地に赴くのである。



老いに至るまで戒めを保つは、善い事である。    信仰を確立する事は善い事である。 

明らかな智慧は、人々の宝である。    福徳は、盗賊も奪い去り難い。



世間は 妄執によって導かれる。   世間は 妄執によって悩まされる。  

妄執という一つのものに、一切のものが従属した。



世の人々は 死によって制圧され、老いの矢に囲まれ、愛欲の矢に刺され、

常に欲望によって 燻 ( く ) べられている。



世の人々は 欲求によって縛られている。 しかし欲求を制する事によって解脱する。 ( 解放される )

欲求を断つ事によって、一切の束縛の絆を 断ち切るのである。



怒りを断ち切って、安らかに臥す。   怒りを断ち切って、悲しまない。   

その根は毒であり、その頂きは甘味である 怒りを滅ぼす事を、聖者たちは称賛する。 



言葉と 心を 正しくするように心がけ、身に悪事をなさないで、もしも富んでいるならば、

1、 信 ( まこと ) あり、 2 、柔和で、 3、 よく分かち与え、 4、 あたたかい心でいるなれば、

これらの 四つの事柄に安住している人は、来世を恐れる要がない。



人は 利益を求めて 自分を与えてはならない。    自分を捨て去ってはならない。

人は、善い、やさしい言葉を放つべきである。    悪い、粗暴な言葉を放ってはならない。



常に戒律を具現し、智慧あり、よく心を統一し、断乎として精励して努力する人は、

渡り難い 激流を渡る。    

欲の思いを離れ、みめ麗しさを想う事なく、欲情も消え失せた人は、深淵に沈む事がない。



聡明でない愚人どもは、自分に対して仇敵 ( かたき ) に対するようにふるまう。

かれらは 悪い行いをして、苦 ( にが ) い報いを受ける。



貪りという性質は、人の内部に生じて、その人の不利、苦しみ、不快適な暮らしとなる。

又、憎しみ、と、迷妄、以上これら三つの性質は、人の内部に生じて、

その人の 不利、苦しみ、不快適な暮らしとなるのである。



誰でも、身体によって悪行をなし、言葉によって悪行をなし、心によって悪行をなすならば、

その人の自己は 護られていないのである。 

外面的に護る事は、内面的に護る事では ないからである。

誰でも、身体によって 善行をなし、言葉によって善行をなし、心によって善行をなすならば、

その人の自己は護られている。



身について慎むのは 善い。   言葉について慎むのは 善い。   心について慎むのは 善い。

あらゆる事について 慎むのは 善い事である。 

あらゆる事について 慎んで恥る人は、護る人、と呼ばれる。



端麗な容貌によっても、いかなる人の心も知り得ない。 

この世では、よく身を慎んでいる人のように見せかけて、

その実は慎みのない人々が、この世を闊歩している。 

ある人々はつき従う仲間を連れて 歩き廻っているが、内心は不浄で、外側だけ立派なのである。



悪の報いが実らない間は、愚人は、それを当然の事だと考える。   

しかし悪の報いの実った時に、愚者は苦悩を受ける。



荒野に清涼な水があっても、それを飲まぬならば、涸れて、消え失せるように、

愚劣な人が富を得ると、自ら用いる事なく、他人にも与えない。    

健き人、智慧のある人は、富を得たならば、自ら用い、又、なすべき事をなす。   

雄牛のような人である彼は、親族の仲間を養って、人から非難される事なく、天の場所に赴く。



穀物も、財も、銀も金も、又 いかなる所有物があっても、奴僕も、雇い人も、走り使いの者も、

又、かれに従属して生活する 者どもでも、どれも すべて 連れて行く事はできない。

すべてを捨てて 行くのである。 

人が 身体でなし、又、言葉や 心でなすところのもの、 ( 業、行為 )

―― それこそ、かれ自信のものである。    人は それを受け取って、行くのである。    

それは 彼に従うものである。   ―― 影が 人に従って行くように。    

それ故に、善い事をして、来世の為の功徳を積め。    功徳は、あの世で人々の拠り所となる。





 サンユッタ ニカーヤ - ( 岩波文庫、「 ブッダ 神々との対話 」、「 ブッダ 悪魔との対話 」 )