・
原始 ( 根本 ) 仏典 より
( 筑摩書房 「 原始仏典 」 より )
世間には 世間の法がある。 修行者たちよ。 私は世間と争わず。 されど 世間が私と争う。
比丘たちよ。 このように 言ってはならない。
「 汝は 論をたてたが、負けてしまった 。 もし できるなら 反論してみろ 。 」、 と、
このような事を 言ってはならない。
これらの論争が、もろもろの修行者たちの 間で起こると、これらの人々には、得意と 失意とがある。
これを見て、論争を離れるべきである。 称賛を得る事意外に、他の利はないからである。
哲学的見解を 保持して論争し、「 これのみが真理である 。」、 と 言う人々があるならば、
汝は、かれらに言え。 ―― 「 論争が起こっても、汝と対論する者は、ここにはいない 。」、 と。
「 わたくしが この事を説く。」、 と いう事が、わたくしには無い。
もろもろの事象に対する執着を、執着である、と、確かに知って、
もろもろの 見解における 過誤を見て、執着する事なく、省察しつつ、内心の平安を、わたくしは見た。
この、文字というものは、つまらぬものである。
長老らよ、この つまらぬ事柄について、論争におちいるな。
自己の見解に対する執着を 超越する事 は容易ではない。
作られた悪行は、灰に覆 ( おお ) われた火のように、燃えつつ 愚者に従って行く。
来世を信ぜざる人は 悪を行う。
わたしは 二人に対しては、十分に 報恩をなす事ができない と説く。
その二人とは誰であるか。 母と父とである。
されば 正しい善人は、恩を感じて 恩を知り、昔の恩を思い起こして 母と父を扶養する。
生きものを 殺してはならぬ。 又、他人をして 殺さしめてはならぬ。
又、他の人々が 殺害するのを 容認してはならぬ。
人格を完成した人は、たとい 真実での事でも、相手の為にならない事であるなれば、語らない。
しかし、真実で、しかも相手の為になる事であるならば、
たとい 相手に不愉快な事であっても、それを語る事がある。
過去 を追うなかれ。 未来 を願わざれ。
およそ 過ぎ去ったものは、すでに 捨てられたのである。
又、未来は いまだ到達していない。
そうして 現在の事柄を、おのおのの所において よく観察し、揺るぐ事なく、又、動ずる事なく、
それを了知した人は その境地を増大せしめよ。
ただ今日 ( こんにち ) まさに 為すべき事を 熱心に為せ。
誰か明日の 死のある事を知ろう。
まことに かの死神の大軍と会戦せずという事は 有り得ない。
かくの如き境地にあって、熱心にして、昼夜に怠る事がない。
かくの如き人を、「 一夜の賢者、寂静者、沈黙せる人、」、と、人は呼ぶ。
身体と、ことばと、心とに、法 ( 真理、正義 ) にかなった 行いをなす人は、
この世にあっては 称賛せられ、死後には 天の世界で楽しむであろう。
法と 非法とを 混用して 富を求め、盗み 及び詐欺をはたらき、
そのいずれの場合にも 嘘を言い、 財宝を蓄積するにのみ 巧みであって、欲楽を享受する人、
かれは地獄におもむく。
ある人々は 乏しい中から与え、ある人々は 富んでいても 与える事をなさない。
荒野の旅の 道連れのように、乏しき中から 分かち与える人々は滅びない。
これは 永遠の法である。
助けてくれる友と、 苦しい時にも 楽しい時にも 友である友と、 ためを思って 話してくれる友と、
同情してくれる友と、
―― 実に これら四種が 友である、と、賢者は知って、真心をこめて かれらに尽くせよかし。
―― あたかも 母が己が子を いつくしむが如く。
戒 ( いまし ) めを身にそなえ、謙譲で ひかえめの人、 かくの如き人は名声を得る。
勇敢で 怠る事なく、逆境に陥っても たじろがず、行いを乱さず、聡明である人、
かくの如き人は 名声を得る。
人々を よくまとめ、友を作り、寛大で、物惜しみせず、導き手、順応して導く人、
かくの如き人は 名声を得る。
施与と、親愛の言葉を語る事と、この世で 人の為に つくす事と、あれこれの事柄について
適当に 協同する事、 これらが、世の中における 愛護である。
あたかも 回転する車の楔 ( くさび ) の如くである。
人間は必ず、恩を知らない者であってはならない。 必ず、捨ててはならない。
又、更に、妻の他に 別の婦人を置いてはならない。
親切に 動機はなく、愛情に 理由もない。 徳の為に 徳を積む、徳の結果を 考える事はない。
泥沼に落ちている人が、同じく 泥沼に落ちている人を 救うという 道理はない。 ( できない )
しかし、自ら泥沼から出た人が、泥沼に落ちている人を救うという 道理はある。
愚かな牛飼いは、牛の群れを 河に渡す時、河を よく観察しないで いちどきに牛を渡し、
牛の群れは 河に流されてしまう。
しかし、賢明な牛飼いは、河をよく観察し、渡れそうな所から、まず 一番強い牛を 渡させる。
その牛が 渡り終わったのを観察して、次に 勇敢な牛を 何頭か渡らせる。
その牛たちが 渡り終わったのを見て、残りの牛たちを 渡らせるのである。
愚かな者を 見るな。 又、その言葉を 聞くな。
下卑な話題から 自ら遠ざかり離れるべきである。
比丘よ、この舟の水を 汲み出せ。
あなたにとって、水を汲み出された舟は、軽やかに行くであろう。
貪りと、怒りとを 完全に断ち切って、それ故に、あなたは 涅槃 ( 安らぎ ) へと行くであろう。
友愛の生活ある者として存し、正しい行いに 智ある者として存するなら、
それ故に、歓喜多き者となり、苦しみの終極をなすであろう。
自己によって 自己を叱咤し、 自己によって 自己を反省せよ。
それ故に、自己が守られ、気付きある者として、 比丘よ、あなたは、安楽に住するであろう。
至福の門は 彼等の為に 開かれるであろう。
聞く耳を持つ者は 信ずるがよい 。 ( 初転法輪 )
人々が、よく一致団結し、清らかな 教えを守り、自分たちの長老を 敬い、
そして いつも 昔からの 習慣を守って、法律や 礼儀を 重んずる間は、隆盛に向かい、
没落するような事は、ないであろう。
瞑想が、正しい行為に ささえられれば、功徳が多く、果報が大きい。
認識が、正しい瞑想に もとづいていれば、功徳が多く、果報が大きい。
そして、このような認識に 満たされれば、心は 欲望や 迷いなどの、あらゆる妄想から 自由になる。
・
原始 ( 根本 ) 仏典 より
( 筑摩書房 「 原始仏典 」 より )
世間には 世間の法がある。 修行者たちよ。 私は世間と争わず。 されど 世間が私と争う。
比丘たちよ。 このように 言ってはならない。
「 汝は 論をたてたが、負けてしまった 。 もし できるなら 反論してみろ 。 」、 と、
このような事を 言ってはならない。
これらの論争が、もろもろの修行者たちの 間で起こると、これらの人々には、得意と 失意とがある。
これを見て、論争を離れるべきである。 称賛を得る事意外に、他の利はないからである。
哲学的見解を 保持して論争し、「 これのみが真理である 。」、 と 言う人々があるならば、
汝は、かれらに言え。 ―― 「 論争が起こっても、汝と対論する者は、ここにはいない 。」、 と。
「 わたくしが この事を説く。」、 と いう事が、わたくしには無い。
もろもろの事象に対する執着を、執着である、と、確かに知って、
もろもろの 見解における 過誤を見て、執着する事なく、省察しつつ、内心の平安を、わたくしは見た。
この、文字というものは、つまらぬものである。
長老らよ、この つまらぬ事柄について、論争におちいるな。
自己の見解に対する執着を 超越する事 は容易ではない。
作られた悪行は、灰に覆 ( おお ) われた火のように、燃えつつ 愚者に従って行く。
来世を信ぜざる人は 悪を行う。
わたしは 二人に対しては、十分に 報恩をなす事ができない と説く。
その二人とは誰であるか。 母と父とである。
されば 正しい善人は、恩を感じて 恩を知り、昔の恩を思い起こして 母と父を扶養する。
生きものを 殺してはならぬ。 又、他人をして 殺さしめてはならぬ。
又、他の人々が 殺害するのを 容認してはならぬ。
人格を完成した人は、たとい 真実での事でも、相手の為にならない事であるなれば、語らない。
しかし、真実で、しかも相手の為になる事であるならば、
たとい 相手に不愉快な事であっても、それを語る事がある。
過去 を追うなかれ。 未来 を願わざれ。
およそ 過ぎ去ったものは、すでに 捨てられたのである。
又、未来は いまだ到達していない。
そうして 現在の事柄を、おのおのの所において よく観察し、揺るぐ事なく、又、動ずる事なく、
それを了知した人は その境地を増大せしめよ。
ただ今日 ( こんにち ) まさに 為すべき事を 熱心に為せ。
誰か明日の 死のある事を知ろう。
まことに かの死神の大軍と会戦せずという事は 有り得ない。
かくの如き境地にあって、熱心にして、昼夜に怠る事がない。
かくの如き人を、「 一夜の賢者、寂静者、沈黙せる人、」、と、人は呼ぶ。
身体と、ことばと、心とに、法 ( 真理、正義 ) にかなった 行いをなす人は、
この世にあっては 称賛せられ、死後には 天の世界で楽しむであろう。
法と 非法とを 混用して 富を求め、盗み 及び詐欺をはたらき、
そのいずれの場合にも 嘘を言い、 財宝を蓄積するにのみ 巧みであって、欲楽を享受する人、
かれは地獄におもむく。
ある人々は 乏しい中から与え、ある人々は 富んでいても 与える事をなさない。
荒野の旅の 道連れのように、乏しき中から 分かち与える人々は滅びない。
これは 永遠の法である。
助けてくれる友と、 苦しい時にも 楽しい時にも 友である友と、 ためを思って 話してくれる友と、
同情してくれる友と、
―― 実に これら四種が 友である、と、賢者は知って、真心をこめて かれらに尽くせよかし。
―― あたかも 母が己が子を いつくしむが如く。
戒 ( いまし ) めを身にそなえ、謙譲で ひかえめの人、 かくの如き人は名声を得る。
勇敢で 怠る事なく、逆境に陥っても たじろがず、行いを乱さず、聡明である人、
かくの如き人は 名声を得る。
人々を よくまとめ、友を作り、寛大で、物惜しみせず、導き手、順応して導く人、
かくの如き人は 名声を得る。
施与と、親愛の言葉を語る事と、この世で 人の為に つくす事と、あれこれの事柄について
適当に 協同する事、 これらが、世の中における 愛護である。
あたかも 回転する車の楔 ( くさび ) の如くである。
人間は必ず、恩を知らない者であってはならない。 必ず、捨ててはならない。
又、更に、妻の他に 別の婦人を置いてはならない。
親切に 動機はなく、愛情に 理由もない。 徳の為に 徳を積む、徳の結果を 考える事はない。
泥沼に落ちている人が、同じく 泥沼に落ちている人を 救うという 道理はない。 ( できない )
しかし、自ら泥沼から出た人が、泥沼に落ちている人を救うという 道理はある。
愚かな牛飼いは、牛の群れを 河に渡す時、河を よく観察しないで いちどきに牛を渡し、
牛の群れは 河に流されてしまう。
しかし、賢明な牛飼いは、河をよく観察し、渡れそうな所から、まず 一番強い牛を 渡させる。
その牛が 渡り終わったのを観察して、次に 勇敢な牛を 何頭か渡らせる。
その牛たちが 渡り終わったのを見て、残りの牛たちを 渡らせるのである。
愚かな者を 見るな。 又、その言葉を 聞くな。
下卑な話題から 自ら遠ざかり離れるべきである。
比丘よ、この舟の水を 汲み出せ。
あなたにとって、水を汲み出された舟は、軽やかに行くであろう。
貪りと、怒りとを 完全に断ち切って、それ故に、あなたは 涅槃 ( 安らぎ ) へと行くであろう。
友愛の生活ある者として存し、正しい行いに 智ある者として存するなら、
それ故に、歓喜多き者となり、苦しみの終極をなすであろう。
自己によって 自己を叱咤し、 自己によって 自己を反省せよ。
それ故に、自己が守られ、気付きある者として、 比丘よ、あなたは、安楽に住するであろう。
至福の門は 彼等の為に 開かれるであろう。
聞く耳を持つ者は 信ずるがよい 。 ( 初転法輪 )
人々が、よく一致団結し、清らかな 教えを守り、自分たちの長老を 敬い、
そして いつも 昔からの 習慣を守って、法律や 礼儀を 重んずる間は、隆盛に向かい、
没落するような事は、ないであろう。
瞑想が、正しい行為に ささえられれば、功徳が多く、果報が大きい。
認識が、正しい瞑想に もとづいていれば、功徳が多く、果報が大きい。
そして、このような認識に 満たされれば、心は 欲望や 迷いなどの、あらゆる妄想から 自由になる。
・