テーリー ガーター ( 尼僧の告白 ) ー ( 1 ) 女性修行者達の 言葉
( 岩波文庫 「 尼僧の 告白 」 より )
( 名の不詳である 女性の言葉 )
若き尼よ。 幸せに眠れ。 ―― そなたの作った衣 ( ころも ) を身にまとったまま。
そなたの欲情 ( 悩み苦しみ ) は静まっている。
―― 瓶 ( びん ) の中の 枯れ葉のように。
( ブッダから言われた言葉を語った )
プンナー
ブンナーよ。 十五夜 の月のように、諸々の徳を 完成せよ。
智慧を完成して、無知 暗黒の かたまりを 打ち砕け。
ティッサー
ティッサーよ。 学ぶべき事を学べ。 適当な時期が 汝のそばを 通り過す事のないように。
一切の軛 ( くびき、束縛 ) から解き放たれて、汚れ無き者として、この世で日を送れ。
ディーラー
ディーラーよ。 諸々の想いの 静止である 楽しき 静寂を体得せよ。
無上の、安穏 ( あんのん ) である 安らぎを得よ。
ダンマディンナー
人は 熱心であり、断乎とした決心をなし、心が 満たされてあれ。
諸々の愛欲に心の礙 ( さまたげ ) られる事のない人は、「 流れを上 ( のぼ ) る者 」、と呼ばれる。
ウッタラー
私は、身体と 言葉と 心とに関して よく修 ( おさ ) めています。
私は、妄執 ( 怒り、高慢、迷い、不安、悩み、欲望、など ) を根こそぎに 引き抜いて、
清涼となり、安らぎを得ています。
スマナー
老いたる 尊敬されるべき尼よ。
布切れで衣 ( ころも ) を作って、身にまとったまま、心良く眠りなさい。
実に、そなたの欲情 ( 悲嘆 ) は静まっている。 そなたは清涼となり、安らぎを得ている。
見習い女性修行者 ナンダー
ナンダーよ。 無相の想いを 修めよ。
心にひそむ 傲慢 を捨てよ。
そうすれば、そなたは、傲慢 ( ごうまん ) を 充分に さとった事により、
心 静まった者として 日を送るであろう。
サーマー
四度も 五度も、私は 精舎から抜け出しました。
―― 心の平静を得ず、心を制する事が できなかったので。
その私が、第八夜に、私の妄執を 根絶やしにする事ができました。
妄執を滅ぼし尽くす境地を 体得しました。
ブッダの教えをなしとげました。
ダンティカー
鷲 の峰なる 山において、私が 日中の休息から 立ち上がった時、
象が河岸で 水流に飛び込んでは、又、出て来るのを見ました。
ある男は、鉤を手にして 「 足を出せ 」、と求めた。 象は足を伸ばした。
その男は 象の背に乗った。
かつて 調練されなかったもの ( 象 ) もが 調練され、人間の意のままに なったのを見て、
そこで、私は 心を安定させました。
そのために私は、林の中に 行ったのです。 ( 瞑想に入った )
( ある王族の幼い娘が死んで、林で荼毘 ( だび ) に付された。
その母親 ( ウッビリー ) は夜になっても、悲しみのあまり、その場を 去ろうとしなかった。
親族が ブッダを呼んで、その時に ブッダが 母親を なぐさめ 語った言葉 )
母よ、そなたは 「 ジーヴァーよ ! 」、 と言って、林の中で 泣き叫ぶ。
ウッビリーよ、 そなた自身を知れ。
すべて同じ ジーヴァーという名の 八万四千人の ( 多くの ) 娘が
この火葬場で 荼毘 (だび) に付されたが それらの内の 誰をそなたは悼 ( いた ) むのか ?
その子が 来た、 又 去っていった道を そなたは知らず、
又、その子が どこから来たのかも知らないのに、 「 わが子 ! 」、 と言って そなたは 泣き悲しむ。
しかし その子が来た、 又 去っていった道を そなたが知っているならば、
そなたは かれの為に悲しまない。
請われないのに かれは そこからやって来た。
又 許しを得ないのに かれは ここから 去っていった。
―― どこかから やって来て、数日間 住んだあとで。
かれは そこから 一つの道を通ってやって来た。
かれは ここから、他の一つの道を通って行くであろう。
人間の かたちをとって 死んで、 輪廻しつつ 過ぎ去るであろう。
来た時のような 姿で去っていった。 そこに 何の悲嘆をする要があろうか。
これは 今日だけの定めではない。 奇妙でもないし 不思議でもない。
―― 生まれたならば 死ぬのである。
常に 生きとし生けるものは そのような 定めをもっているのである。
すでに自分が 自分自身のものではない。 まして 子供が自分のものであろうか。
嘆き悲しんだとて 体がやつれるばかりである。
だから 「 かれは もう 私の力の 及ばぬものなのだ 」、 と悟って 悲しみの 矢を抜きなさい。
たとえば 家に 火がついているのを 水で消し止めるように、そのように、悲しみが起こったのを
速 ( すみ ) やかに滅ぼしてしまいなさい。 ( ブッダ )
ウッビリー
あなたは 悲しみに打ちひしがれている私の為に、我が胸に刺さっている 矢を抜いてくださいました。
今や、その私は矢を抜きとられて 餓え ( 悲嘆 ) の無い者となり 円 (まどか) な安らぎを得ました。
私は 聖者ブッダと、真理の教えと、修行者の集 ( つど ) いに帰依 ( きえ ) します。
ソーマー
心が 良く安定し、智慧が 現に生じている時、正しく真理を観察する者にとって、
女人である事が、どうして 妨 ( さまた ) げとなると言うのでしょうか。
( ソーマーが、ある男性に 「 理解し難くて 仙人達のみが 体得し得る境地は、二本の指ほどの
わずかな智慧しかない女人がそれを体得する事はできない。」と言われた時に、それに答えた言葉 )
( 2500年前のインド地方では 世間一般に 女は 二本の指くらいの智慧しかない、と考えられ、
女性の地位は 低かった。
ブッダが 初めて女性の修行者を 受け入れたと言われている。
当時のインドの宗教は、バラモン教が 勢力を持っていたが 司祭は 男性であった。
他に、アージーヴァカ教と、ジャイナ教 があったが 彼等は、無所有 (何一つ持たない) 主義と、
「 聖者には 何も おおいかくすべき物は 存在しない 」、 という理由から、性器もかくさず、
一年中、真っ裸で暮らしていた。
しかし 信者も多く、尊敬されていたようである。
暑い インドだから できる事である。
さすがに 女性にとっては 裸は無理なので ほとんど 男だけなのであった。
のちには、ジャイナ教には 白衣派 ( びゃくえは ) ができ、女性の出家者も 多く出た。
しかし今でも、裸形派 ( らぎょうは ) のジャイナ教徒は 南インドに2000人ほどいて、
どこでも、 真っ裸で 歩きまわっている。
ブッダ のサンガ では、糞ぞう衣 ( ふんぞうえ ) という 粗末な衣 ( 三衣 ) を まとっていた。
当時は 世界のどこでも 女性は 頭が悪い と 考えられていたようで、ギリシャから
インドに来ていた ギリシャ人が、ブッダ のサンガの 女性修行者、( 尼さん ) を見て、
「 インドでは 驚くべき事がある。 女性の 哲学者たちがいて、男性の知識人たちに向かって
堂々と、むずかしい議論を 戦わせている ! 」
と、当時のようすを書いている。 )
岩波文庫 「 尼僧の告白 」 より 抜粋