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テーラ ガーター ( 仏弟子たちの言葉 ) ー ( 2 )
人は、他人の言葉よって、( 他人が「 お前が盗んだ ! 」と言ったからとて )、盗人であるのではない。
人は、他人の言葉によっ て聖人であるのではない。
自分が その人 ( 自分 ) の事を知っているように、神々も又、かれの事を 知っている。
智慧 のある人は、たとい 財産を失っても、生きていける。
しかし 智慧を持っていなければ、たとい 財産のある人でも、実は 生きてはいないのである。
怒らず、 恨まず、 欺かず、 誹 ( そし ) る事なく、 戒めをよく保っている人々は、
このように、死んだのちに 来世で悲しむ事がない。
苦しみを もたらすものであり、広がる 妄執の群れ、
苦しみを もたらすものである 執著、妄執を 撃破して、よく気をつけて 瞑想に入る時、
かれは、それよりもすぐれた楽しみを 見出さない。
これは 今日だけの定めではない。 奇妙でもないし、不思議でもない。
―― 生まれたならば、死ぬのである。 そこに 何の不思議があろうか。
修行者が、清浄なる事を 欲して、このように暮らしているならば、
かれの汚れは 全て滅び、 安らぎの境地を 体得するであろう。
説き示された直き道を行け。 退いて返るなかれ。
自ら自分を督励せよ。 ( はげませ ) 安らぎを得るようにせよ。
欲求されるものも、欲求されないものも、そのような 立派な人を 動揺させる事はできない。
かれの心は 安住し、束縛されていない。 その 消滅するさまを、かれは 静観する。
我は 万人の友である。 万人の 仲間である。 一切の 生きとし生けるものの 同情者である。
慈しみの 心を修めて、常に 無傷害を楽しむ。
私は、心が動揺せず、不動であるのを 喜ぶ。
私は、悪人が 実践する事のない、清らかな 安住の境地を 修める。
辺境にある、城壁に囲まれた 都市が、内も 外も 守られているように、そのように 自己を守れ。
瞬時も 空しく 過すな。
水の 満ちている 海のように、智慧に 満ちている人々は、他人を 軽蔑しない。
これが、生ける 者どもの 尊い ことわり ( 道理 ) である。
実に、 利益にも、 損失にも、 名声にも、 名誉にも、 非難にも、 称賛にも、 苦しみにも、
楽しみにも、 かれらは、いかなる事にも 汚されない。
―― 蓮華の上の 水滴のように。
健き人達は、あらゆる事柄について 楽しく、あらゆる事柄について 敗れる事がない。
正しい方法による 損失もあり、 不正な方法による 利得もある。
不正な方法による 利得よりも、 正しい方法による 損失の方が すぐれている。
不正な事をして 生活する事もあり、 又、法を守って 死ぬ事もある。
不法な事をして 生活するよりは、 法を守って 死ぬ事の方が すぐれている。
気が高ぶらず、浮わついていない、慎み深く、感官を制御していて、
付き合う友人の善い、聡明な人は、やがて 苦しみを 消滅させるであろう。
かれは 瞑想に沈潜し、息を吸い込む事 を楽しみ、内的にも 心が統一されている。
ナーガ ( 竜 ー 修行完成者 ) は、歩んで行く時にも、心が 統一されている。
ナーガは、立っている時にも、心が統一されている。
ナーガは、どこにいても、自己を制している。
これが、ナーガ の 完全な姿である。
欲情を 離れ、 憎悪を 離れ、 迷妄を 離れ、 汚れなき者 となって、ナーガ は 身体を捨てて、
円かな 安らぎに入るであろう。
諸々の感官を 護り、又、諸々の感官を 防衛するならば、人は 自分のつとめを 果たし、
いかなる害をも なさないであろう。
世の中で 財産のある人々を見るに、かれらは 財産を得ても、迷妄の故に、与える事をしない。
かれらは 貪欲であって、財産を蓄積して、ますます快楽を追及する。
国王は 武力をもって 大地を征服し、海辺に至るまでの地域を占有し、海のこなたでは 満足せず、
海の彼方までも 求めるであろう。
王者も、他の 多くの人々も、愛欲を離れないのに 死に会い、
何か 不満な事が あるかのごとくに、身を捨てる。
けだし この世においては 諸々の欲望を満たすという事は 有り得ないからである。
相続人は かれの財産を 持ち去る。
人は、自ら業 ( 善悪の行為 ) を作って その業の赴く所に至る。
死んで行く者には 財宝も随い行かず、子も 妻も 財宝も 国土も 随い行かない。
いろ、かたち から生ずる かれの多様の感受は 増大する。
かれの 貪欲と 悩害心も 又、増大する。
そこで かれの心は害われる。
このように 苦しみを積みかさねる人は、安らぎから 遠く隔たっている、と言われる。
かれは思考の対象を識別して、感受作用を感じていても、業が尽きて、もはや積まれる事がないように、
気をつけて 暮らしている。
かれは このようにして 苦しみを除いて行くので、安らぎは かれの近くにある と言われる。
高価な 真鍮製の鉢と 百両もする 黄金製の鉢とを捨てて、私は 土製の鉢を取った。
これは 私の第二の灌頂である。
幾多の戒めに安住して、心の落ち着きと智慧とを修めて、私は順次に、あらゆる束縛の消滅を体得した。
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テーラ ガーター ( 仏弟子たちの言葉 ) ー ( 2 )
人は、他人の言葉よって、( 他人が「 お前が盗んだ ! 」と言ったからとて )、盗人であるのではない。
人は、他人の言葉によっ て聖人であるのではない。
自分が その人 ( 自分 ) の事を知っているように、神々も又、かれの事を 知っている。
智慧 のある人は、たとい 財産を失っても、生きていける。
しかし 智慧を持っていなければ、たとい 財産のある人でも、実は 生きてはいないのである。
怒らず、 恨まず、 欺かず、 誹 ( そし ) る事なく、 戒めをよく保っている人々は、
このように、死んだのちに 来世で悲しむ事がない。
苦しみを もたらすものであり、広がる 妄執の群れ、
苦しみを もたらすものである 執著、妄執を 撃破して、よく気をつけて 瞑想に入る時、
かれは、それよりもすぐれた楽しみを 見出さない。
これは 今日だけの定めではない。 奇妙でもないし、不思議でもない。
―― 生まれたならば、死ぬのである。 そこに 何の不思議があろうか。
修行者が、清浄なる事を 欲して、このように暮らしているならば、
かれの汚れは 全て滅び、 安らぎの境地を 体得するであろう。
説き示された直き道を行け。 退いて返るなかれ。
自ら自分を督励せよ。 ( はげませ ) 安らぎを得るようにせよ。
欲求されるものも、欲求されないものも、そのような 立派な人を 動揺させる事はできない。
かれの心は 安住し、束縛されていない。 その 消滅するさまを、かれは 静観する。
我は 万人の友である。 万人の 仲間である。 一切の 生きとし生けるものの 同情者である。
慈しみの 心を修めて、常に 無傷害を楽しむ。
私は、心が動揺せず、不動であるのを 喜ぶ。
私は、悪人が 実践する事のない、清らかな 安住の境地を 修める。
辺境にある、城壁に囲まれた 都市が、内も 外も 守られているように、そのように 自己を守れ。
瞬時も 空しく 過すな。
水の 満ちている 海のように、智慧に 満ちている人々は、他人を 軽蔑しない。
これが、生ける 者どもの 尊い ことわり ( 道理 ) である。
実に、 利益にも、 損失にも、 名声にも、 名誉にも、 非難にも、 称賛にも、 苦しみにも、
楽しみにも、 かれらは、いかなる事にも 汚されない。
―― 蓮華の上の 水滴のように。
健き人達は、あらゆる事柄について 楽しく、あらゆる事柄について 敗れる事がない。
正しい方法による 損失もあり、 不正な方法による 利得もある。
不正な方法による 利得よりも、 正しい方法による 損失の方が すぐれている。
不正な事をして 生活する事もあり、 又、法を守って 死ぬ事もある。
不法な事をして 生活するよりは、 法を守って 死ぬ事の方が すぐれている。
気が高ぶらず、浮わついていない、慎み深く、感官を制御していて、
付き合う友人の善い、聡明な人は、やがて 苦しみを 消滅させるであろう。
かれは 瞑想に沈潜し、息を吸い込む事 を楽しみ、内的にも 心が統一されている。
ナーガ ( 竜 ー 修行完成者 ) は、歩んで行く時にも、心が 統一されている。
ナーガは、立っている時にも、心が統一されている。
ナーガは、どこにいても、自己を制している。
これが、ナーガ の 完全な姿である。
欲情を 離れ、 憎悪を 離れ、 迷妄を 離れ、 汚れなき者 となって、ナーガ は 身体を捨てて、
円かな 安らぎに入るであろう。
諸々の感官を 護り、又、諸々の感官を 防衛するならば、人は 自分のつとめを 果たし、
いかなる害をも なさないであろう。
世の中で 財産のある人々を見るに、かれらは 財産を得ても、迷妄の故に、与える事をしない。
かれらは 貪欲であって、財産を蓄積して、ますます快楽を追及する。
国王は 武力をもって 大地を征服し、海辺に至るまでの地域を占有し、海のこなたでは 満足せず、
海の彼方までも 求めるであろう。
王者も、他の 多くの人々も、愛欲を離れないのに 死に会い、
何か 不満な事が あるかのごとくに、身を捨てる。
けだし この世においては 諸々の欲望を満たすという事は 有り得ないからである。
相続人は かれの財産を 持ち去る。
人は、自ら業 ( 善悪の行為 ) を作って その業の赴く所に至る。
死んで行く者には 財宝も随い行かず、子も 妻も 財宝も 国土も 随い行かない。
いろ、かたち から生ずる かれの多様の感受は 増大する。
かれの 貪欲と 悩害心も 又、増大する。
そこで かれの心は害われる。
このように 苦しみを積みかさねる人は、安らぎから 遠く隔たっている、と言われる。
かれは思考の対象を識別して、感受作用を感じていても、業が尽きて、もはや積まれる事がないように、
気をつけて 暮らしている。
かれは このようにして 苦しみを除いて行くので、安らぎは かれの近くにある と言われる。
高価な 真鍮製の鉢と 百両もする 黄金製の鉢とを捨てて、私は 土製の鉢を取った。
これは 私の第二の灌頂である。
幾多の戒めに安住して、心の落ち着きと智慧とを修めて、私は順次に、あらゆる束縛の消滅を体得した。
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