スッタ ・ ニパータ ( 4 )
人が、「 これは 我が ものである 」、と 考えるもの、 ―― それは その人の 死によって失われる。
わたしに従う人は、賢明に この理 ( ことわり ) を知って、我がものという 観念に屈してはならない。
「 何の 誰それ 」、 と言う 名で呼ばれ、かつては 見られ、また 聞かれた人でも、
死んでしまえば、ただ 名が残って 伝えられるだけである。
我がものとして執著したものを 貪り ( むさぼり ) 求める人々は、憂いと 悲しみと、
ものおしみとを、捨てる事がない。
それ故に諸々の聖者は、所有を捨てて、行って 安穏 ( あんのん ) を見たのである。
邪悪を 掃い ( はらい ) 除いた人は、見たり 学んだり、思索した どんな事でも、
特に 執著して考える事が ない。 かれは 他のものによって 清らかになろうとは 望まない。
かれは 貪らず、また 嫌う事もない。
これらの論争が 諸々の修行者の 間に起こると、これらの人々には 得意と 失意とがある。
人は これを見て 論争を やめるべきである。
称賛を得る事以外には 他に、何の 役にも 立たないからである。
心の高ぶり というものは、かれの 害 ( そこ ) なわれる場所である。
しかるに かれは 慢心、増上慢心の 言をなす。 この ことわりを見て、論争しては ならない。
諸々の 熟達せる人々は、「 それによって 清浄が達成される 」、 とは 説かないからである。
ヴェーダ の達人は、見解についても、思想についても、慢心に 至る事がない。
かれの本性は そのようなものでは ないからである。
かれは 宗教的行為によっても 導かれないし、また 伝統的な 学問によっても 導かれない。
かれは 執著の巣窟に 導き入れられる事がない。
未来を 願い求める事なく、過去を思い出して 憂える事もないように。
現在 感覚で触れる 諸々の対象について 遠ざかり 離れる事を観じ、
諸々の偏見に 誘われる事がないように。
依りかかる事の ない人は、理法を知って こだわる事が ないのである。
かれには、生存のための 妄執も、生存の断滅のための 妄執も 存在しない。
怒りと 虚言と 疑惑 、 ―― これらの ことがらも、快と 不快の 二つがある時に 現れる。
疑惑ある人は 知識の道に学べ。 道の人は、知って、諸々のことがらを 説いたのである。
真理は 一つであって、第二のものは 存在しない。 その真理を知った人は、争う事がない。
かれらは めいめい 異なった真理を 誉めたたえている。
それ故に 諸々の道の人は 同一の事を 語らないのである。
一方的に 決定した立場に立って 自ら考え 量りつつ、さらに かれは 世の中で 論争をなすに至る。
一切の 哲学的 断定を捨てたならば、人は 世の中で 確執を 起こす事がない。
過去の汚れ ( けがれ ) を捨てて、新しい汚れを作る事なく、欲におもむかず、
執著して論ずる事もない。
賢者は 諸々の 偏見を 離脱して、世の中に 汚される事なく、自分を 責める事もない。
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