嫌々なら捨てちゃえば良かったのに
義務感だけなら離れちゃえば良かったのに

中途半端な良心の欠片と
中途半端な忠義心
思い込みの枷を外せず
かごの鳥に甘んじた

家族を捨てて
行方をくらました姉のように
私がしても良かったわけで

傷つけるのが嫌だとか
かわいそうだからとか
悪いからだとか
いろんな感情入り交じってた

でも捨ててもいいんだ
嫌われるような事を言ってもいい
傷つけてもかまわない
むしろそれで向こうから離れるならば
それはそれじゃないか

わざと嫌われるような事
離れてくれそうなことを
選ぶ必要はないけど
私はもっと思ったこと
感じたことを言ってもいいし
やってもいいのだ

捨てる覚悟はできてる
何度も約束を破ってごめんと貴方が言ったから
約束なんてしてたっけと笑って答えた

会えるかも
これは約束ではありません
会える可能性があるというだけ

期待させたり
夢を抱かせたり
それも約束ではありません

だから一度も約束は破られていないのです

来週は会えるよと言ってても
実際に会えなかったとして
これも予定が変更になっただけで
約束破りじゃございません

私は誰かと約束をしたとしても
誰かは私と約束はしていないのです
約束しているという認識を持たない
そうするようにしているからです

誰かを責めなくてすむように
誰かを悪者にしないように
私の中に悪意を生まないために

だから柔軟性と臨機応変力を
磨かねばならないのです
無作為にうる星やつらってアニメを見ていた
みじめ愛とさすらいの母
というタイトルの回だった

リアルタイムの時には
あまり印象がなく
多分よく分からないという印象と
いつものうる星ワールドではない
と感じただろうなと思う

なんとなく哲学っぽい匂いがして
映画のビューティフルドリーマーを思い出した
大好きな作品だ
なんとなく押井テイストかもと思ったら
やっぱりそうだったのね

解読の難しい
哲学っぽい作品は
ドラマのストーリーを追って
感情をなぞって
感情を乗せて楽しむんじゃなくて

ストーリーを読み解こうとしながら
自分を読み解く作業になるのかもしれず
そうしたことが楽しいのかもしれない

だから誰の説が正しいかより
自分が何を感じたか
何を思ったか
それが大事なのかなって

そこには
アイデンティティの確立と崩壊が
同時に存在してるような
そんな作品


正解は作った人の中にもあるし
見ている人の中にもある

正しい説が知りたい人は
作り手の意図や秘密を知りたいのかな

そんな風に思う私は
実は作り手に踊らされてるだけかもね😂
例えば
元気になって欲しいとか
笑顔になって欲しいとか
喜んで欲しいとか
結果を考えずに
ただただ
それだけの思いで
嘘をつかれたとしたら

嘘をつかれたのは悲しくても
嫌だったとしても
その気持ちに嘘はなくて
許してしまうのだろう


真実を言ったとしても
嘘をついたとしても
傷つくことを分かっていながら
見え透いた嘘をつくことは
よく分からないや

守りたかったのは自分なのかな
瞬間瞬間に
生きることは
さほど難しくはないのに

生き続けるって
難しいみたい

なんとなく
感覚


私今
生きてるのかな