この壕について、ネットではこんな紹介がされていました。
<昭和19年(1944年) 日本海軍設営隊 によって掘られた司令部壕で、当時は450mあったと言われて います。米軍の艦砲射撃に耐え、持久戦を続けるための地下陣地で、4000人の兵が収容されていました。戦後しばらく放置されていましたが、数回に渡る遺骨収集の後、司令官室を中心に300mが復元されました。>
明るい館内から地下に降りた途端に湿っぽく冷たい空気に包まれました。
私たちはそこにいるだけで重く、いたたまれないような気持ちになりました。
司令官室や医療室などを見ましたがなんだか足早になり逃げるように地下壕を出ました。
あの悲惨な沖縄戦の末期にこんなものを作ったのかという驚きと、兵隊はまだましだったのだろうという沈痛な思いを感じました。
「ネットより」地下壕の案内図です。
