丹後一宮 元伊勢 籠神社(このじんじゃ)、真名井神社 | 散歩道

散歩道

散歩しながら、見たこと・・・聞いたこと・・・あれこれ

8月3日、滋賀県へ地中探査レーダーの引き取りに行くのですが、せっかくの機会なので 一人で往復するのも もったいないので 2日に家内と天橋立観光することにしました。

 

ケーブルカーによる絶景の鑑賞・観光船乗船(カモメへ餌やり)などが 家内の楽しみですが、私は「籠神社・真名井神社」を初めて参拝するのが楽しみです。

 

1.丹後一宮 元伊勢 籠神社

(1)伊勢神宮外宮の豊受大御神の原点

<概要>

https://ameblo.jp/314416tg/theme-10102304711.html

昔は宮中に天照大神と倭大国魂神の二柱が祀られていたのですが、天照大神・荒魂・瀬織津姫の一連の託宣の内容が、皇室にとって耳が痛い状態を通り越して、あまりにも辛辣すぎて、権威の維持を困難にしかねないものだったため、宮中から追い出される事態を招いています。天皇に向かって死の宣告を行ったり、祖先を正しく祀らないから先の天皇は早死にした、などと指摘されれば、皇室の権威は失墜して政権の維持が困難になりますからね。天照大神と一対を成す力を持っていた倭大国魂神が、現在ほとんど痕跡を残していないのではないかと、戸惑う人もいると思います。じつは、「ホトを箸で突く」神事の豊穣神のことです。奈良にあった都から追い払われて、倭大国の神の地位を失った後、各地をたらい回しにされていくうちに、豊受大神と名を変えられて、今は伊勢神宮の外宮に祀られています。以上の流れから、大規模な宗教改革があったことが伺えますね。

 

(各地をたらい回しにされた軌跡)

http://www.motoise.jp/about/#06

 

(2)息長斎皇家の足跡

伊勢神宮の元になった海部氏の神社です。息長系の天皇(天武天皇に代表される)海人族であり、2千年前から丹後や越を栄えさせた勢力の足跡を辿れる重要拠点です。

https://www.google.com/maps/d/viewer?mid=1SYvVsxeYb5OF-GOzw3P2PRhv4Eg&hl=en_US&ll=35.65922760743693%2C135.3008374915039&z=11

 

(3)海部氏

http://www.motoise.jp/amabe/#01

当社の宮司家は古来「海部直(あまべのあたえ)」と呼ばれ、古代より世襲制で「丹波国造」の伝統を持ち、現当主は八十二代目に当たり、神社の始まり(創祀)から連綿として御祭神の血脈一系で奉仕しています。「海部(あまべ)」とは、応神天皇の五年に定められた部民の一つで、漁労を行う「部」と云う意味ではなく、大和朝廷の臣下となり、朝廷に海産物の貢納と航海技術を以て奉仕した「部」を云います。また、「直(あたえ)」とは、大王より地方豪族に与えられた政治的地位の姓(かばね)のことを云いますので、「海部直」を賜ったことは大和朝廷と密接な関係にあったことを意味します。

 

当社海部家は弥生時代においては若狭湾の航海権を統率する海人族の首長であったと云われています。真名井神社と天橋立の付け根の間にある平地には丹後最大級の弥生墳墓(紀元前一世紀頃)が営まれ、海人族の王墓であったと考えられています。若狭湾沿岸の鳥浜貝塚では、今から六千年前の長さ六メートルある日本最古の丸木舟が出土しています。同じく若狭湾沿岸にある舞鶴市(宮津市の隣)の浦入遺跡でも同時代の丸木船が出土しています。こちらの丸木船は長さ八メートルあり、同時代の丸木舟と比べると特別に大きいため外洋航海用と考えられています。つまり、若狭湾一帯は縄文時代から航海技術をもった海人族の拠点であり、漁労のみならず広域的な海上交易の要衝港であったと考えられます。漁労・航海・交易には危険が伴います。天橋立北側の真名井原に住んでいた海人族は食物獲得・航海安全などを祈り、磐座や水辺で太陽神・月神・火の神・水の神・雷神・海神・風神などの御魂を鎮める祭祀を行い、更に近海遠海の航海交渉や防衛を担いながら、大陸からの文化や技術を導入していたのかもしれません。

 

※海部氏の系図は、「国宝」。

 

2.真名井神社

(1)カゴメ紋

「日ユ(ユダヤ)同祖論」関連の本・ブログなどには、必ず取り上げられている「カゴメ紋」です。

あまりにも外野が「ウルサイ」ので、カゴメ紋を巴紋に変えてしまったようです。

 

     左が古いもの           右が新しいもの

 

 

        上が古いもの   下が新しいもの

◇上の絵馬の右に カゴメ紋の中に日・月のデザインが入っていますね。

このデザインの由来は、下記の内容ではないかと推測しています。

https://matome.naver.jp/odai/2147954026671502501

「太陽と月のプロビデンス(自然の摂理)の目」を表す形

https://matome.naver.jp/odai/2147868273296430301/2148007407616182803

◆息長大姫大目命= プロビデンス(自然の摂理)の目

◆プロビデンス(自然の摂理)の目=生得真理の目=息長大姫大目命とは
太陽神と月神の二つを合わせたもの

陰陽和合
=太一思想の意味を含む摂理の目=大目命を表している。
http://bit.ly/2fVy7GM

 

「籠目日の丸紋」

「耀姫 生得知識 研究所」
◆この図形は
当家で門外不出とされていた 日の出を拝む 日拝の神事で用いられてきたものです。

◆「日足紋」は、本当は「日照紋」なのですね。
http://bit.ly/2fCNuT1
http://bit.ly/2fUvpRm

 

このシンボルには、使い方があります。(ココ重要!)

このシンボルには、使い方があります。

出典籠目日章紋 - 耀姫 生得知識 研究所

赤い太陽と、
上昇する三角形のイメージ、
下降する三角形のイメージを 

重ねて思い描きながら、

吸って吐いてを繰り返すことで、
陰陽和合の心身が調和した状態を得ます。

神道の日拝の神事では、
日の出の太陽を拝みながら 
陽気を感じ取り、
目を閉じて 
腹式呼吸で 口から太陽の息吹を吸い込んで 
腹部の太陽神経叢に貯めることを[イメージ]します

 

(2)耀姫Yahoo知恵袋

https://ameblo.jp/314416tg/entry-12274038083.html

(Q)

ikzoyoshiさん

2012/10/1916:29:16

日ユ同祖論

信憑性はどの程度なのでしょうか。
言語が似ている、歌をヘブライ語にすると意味が通る(君が代、かごめかごめ、 ソーラン節など)という具体的な共通点から、遺伝子が中国韓国人にはないものをもつという根拠不明なものなどが上げられます。
某掲示板では、宗教観が違いすぎる、戦前の白人コンプレックスの日本の学者が作り上げたものだとしているのをみて妙に納得してしまいました。確かにユダヤ教と神道、仏教は違いすぎます。まず一神と多神、偶像崇拝禁止と仏像とで明確です。
ただはっきりどちらに分があるとは判断しにくい部分が多いため詳しい方いたらよろしくお願いします。

 

(A)

akatamayorihimeさん

編集あり2012/10/2008:33:45

日ユ同祖論を明治時代に最初に?広めた佐伯好郎氏は、後にユダヤの大資本の関心を買うためだったと、はっきり語っています。ですから、明治維新以降の情報を、あまり信じすぎるものではないと思いますよ。

ただし、雑多な渡来氏族集団秦氏の中に、古代北イスラエル王国の滅亡後シルクロードに逃れて交易商人になって、その子孫が日本まで渡来したことは事実でしょう。とはいえ、彼等は太陽信仰を中心とした多神教の人々です。現代のユダヤ人とは、宗教観がまったく異なります。沼地だった京都を干拓して平安の都(エルサレム)を築いたのは、イスラエル人の末裔の秦氏達でした。

日本に数万社建っている八幡系列と稲荷系列の神社は、彼等秦氏の創建ですから、当然古代北イスラエル様式を受け継ぐ神社になっています。ユダヤの神殿の門も日本の神社の門も、トリイと呼びますよね。でもこれは、仏像がギリシャ彫刻の影響を受けているのと同じようなもの、と考えたほうが妥当です。日本がシルクロードを通して西洋の文化を輸入してきたことは、正倉院の宝物からもはっきり見て取れる客観的事実です。インドから高名な僧侶が渡来して日本で子孫を残しても日印同祖と言わないように、日ユ同祖論は不自然な発想&呼び方ですね。

日ユ同祖論を唱えた人々は、ユダヤ教から離れることが出来ず、神道に古代エジプトやペルシャやイスラエルなどの諸文化の影響が見られることを、大きな視野で見ていませんでした。だから、ユダヤは一神教で日本は多神教と言ってしまう、致命的なミスを犯しています。日本に渡来したイスラエルの文化と宗教は、太陽信仰を含む多神教の姿をしていた痕跡がはっきり認められるのです。

お正月の注連飾りがありますよね。お蜜柑を中心に藁で編んで作る飾りです。

https://picasaweb.google.com/lh/photo/P_lUqinmxMV1L9K_emPLlNMTjNZET...

これはエジプトの太陽信仰のシンボルの有翼日輪です。偶然形が似ているだけと思う人もいるでしょうが、稲荷信仰の元になった秦氏の伝承が残っています。太陽のシンボルである鏡餅を弓矢で射ると、翼が生えて空を飛んで舞い降りた場所に稲が生えたと。有翼日輪をモチーフとしたこの神話伝承は、京都の稲荷神社が創建された場所だけでなく、九州の秦氏の居住地域にも残っています。モーゼが出エジプトしているので、古代イスラエルの民の末裔は、有翼日輪信仰を持って日本まで流れ着いたのです。

天日槍を祀る古い神社と秦氏の居留地域の分布が一致することから、天日槍の祭祀集団が秦氏だったことが判明しています。天日槍の妻のアカルヒメ(明姫)=皇祖神・天照大神の御神体は、本来赤い瑪瑙の玉です。お正月の注連飾りと同じ有翼日輪の飾りが付いて、非公開神事のときに斎の巫女が首から下げる護符の姿をしています。

https://picasaweb.google.com/lh/photo/MNXrQeIx7LpkQDKtYbFBKNMTjNZET...

※写真撮影を禁じているので画像は3DCGです。

イエス・キリストが聖母マリアの処女懐胎によって誕生したというエピソードには、元ネタがあります。エジプトで、永遠の処女とされる女神イシスが、太陽神ホルスを処女懐胎によって生んだという神話に基づく聖母信仰です。ユダヤ教もキリスト教も、本来は太陽信仰の要素を含んでいたことを、精神分析学のフロイトが指摘しています。彼はユダヤ人知識階級の大学者ですから、間違えることはまずないでしょう。処女懐胎のエピソードは、高句麗国の始祖である朱蒙や明姫の生誕の神話にも見られる、太陽信仰特有のものみたいです。明姫の生誕を祝う非公開神事は今も当家が伝承しています。

日ユ同祖論の真相を百も承知で、天皇機関説による皇室の弱体化工作すら仕掛けていたユダヤの長老達が、日露戦争当時、天照大神・和魂・明姫の託宣を聞き入れて、莫大な戦費を賄うために発行した日本の国債を買うように指令を出したのは、平安京が東洋のエルサレムで、日の巫女の王の家の明姫を襲名する巫女が、同族の唯一現存する預言者と認識していたからです。さもなければ、縁も所縁もない絶対に勝てそうもない東洋の島国を支援しようなどど、計算高い彼等が酔狂なことを考えたりはしなかったでしょう。当家は今もユダヤの長老達と深い交流を保っています。それから、幕末にヨーロッパに渡った当家の女性が、ジャポニズムのブームの普及に一役買っています。ユダヤ人に親日家が多いのは当時の名残ですね。そういった国際交流の歴史的経緯があるので、私には北欧の血が1/4流れています。

 

(3)息長斎皇家には、ほんのわずかユダヤの血が入っているそうです。

大和民族って何? という疑問にも答えておきましょう。じつは シルクロードの西 現在のキルギスタンにあった弓月国に 地名が残っているのです。秦氏は、長い年月移民を繰り返した 人種の坩堝みたいなものですが、その王族にはユダヤ系の血も流れていて、ヤマトゥの地を拠点にしていたようです。
https://ameblo.jp/314416tg/entry-11794566139.html

 

息長斎皇家を秦氏は宗教的指導者として崇拝しています。王族と家来の関係のようです。

秦氏には、古代北イスラエルのユダヤ人の血がながれているようです。

 

出典を失念したのですが、息長斎皇家には わずかばかり 古代北イスラエルのユダヤ王族の血が入っているそうです。

 

3.新井崎神社

今回は行けませんが、いつか参拝したいです。

<解説>

徐福を祀る神社です。徐福伝説はダミーの情報が多い中で、沖の島には2千年前の海底遺跡があるので、この神社の伝承は確かなものと言えそうです。天武天皇(息長系)に繋がる海人族のルーツを探る足掛かりとなる神社です。不老不死の神仙思想は、古くは鬼道と呼ばれており、卑弥呼の鬼道に繋がり、神道の重要なルーツの一つです。

https://www.google.com/maps/d/viewer?mid=1SYvVsxeYb5OF-GOzw3P2PRhv4Eg&hl=en_US&ll=35.6204442499031%2C135.3166303381836&z=11

 

4.冠島

今回は行けませんが、いつか訪問したいです。船で行けるのかしら?

<解説>

籠神社の海の奥宮とされてきました。二千年前の祀徐福伝説とも絡んでくる、重要な海底遺跡が眠っています。

https://www.google.com/maps/d/viewer?mid=1SYvVsxeYb5OF-GOzw3P2PRhv4Eg&hl=en_US&ll=35.6204442499031%2C135.3166303381836&z=11