苗族(ミャオ族)<その3> | 散歩道

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Renaissancejapnより

 

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2010/12/21

邪馬台国と卑弥呼-33  素戔嗚尊(スサノオノミコト)  邪馬台国と卑弥呼


素戔嗚尊(スサノオノミコト)

日本書紀によれば、イザナギとイザナミの間に天照大神、月夜見尊、素戔嗚尊が生まれました。  

素戔嗚尊は乱暴者で、高天原を追放され、新羅に降り立ちますが、「私はこの土地にいたくない」 といって粘土で船を作り、それに乗って東に向かい、出雲の国の簸川の川上にある鳥上之峯に着いたと記述されています。  

また、古事記によれば、それぞれが父イザナキに任された国を治めていましたが、素戔嗚尊だけは自分の国を治めようとせず、大人になって髭が長くのびても泣きわめきます。 父イザナキが理由を聞くと「私は亡き母に会いたくて、母が住む根の堅州国にいきたくて、泣いているです」と言います。  これを聞いたイザナキは大変怒って、「ならば、おまえはこの国に住んではならない」といい、素戔嗚尊を追放しました。  

素戔嗚尊は新羅の人だと思い込んでいる人をよく見かけますが、日本の神々の天孫から追放され新羅に着き、「私はこの土地にいたくない」と言っている時点で、素戔嗚尊は日本人で、新羅に流されたものの、日本(出雲)に戻ってきたと考えるべきであると思います。

素戔嗚尊の話は、何を言いたいのかといえば、高天原にいた素戔嗚尊が悪さをしたことにより、死罪につぐ厳しい罰である島流しにあったという、律令制度ができる前の法(天津罪・国津罪)により罰せられる世の中の平和と安定を守る教訓であります。

また、流されるべき先が、天照大御神の太陽信仰する日本人にとって、太陽が沈む西の方角にある黄泉の国・出雲、朝鮮であるという事、かつ素戔嗚尊は高天原から追放されたという事で、高天原の神より1ランク下の神であると言っているのです。

太陽(天照大御神)は、人々に暖かさや、恵みを与えてくれるのに対し、嵐(素戔嗚尊)は太陽を隠し(天岩戸分伝説)、田畑を荒らし、人の生活の破壊をもたらすものである事を表しています。

素戔嗚尊の犯した罪は、次の三種類に分類されます。 第一に、畔を壊したり溝を埋めたりする農耕の妨害。 第二に、大嘗の冒涜。 第三に、神のための衣服を織る忌服殿で乱暴であります。

古代日本の風習では、厳しい規則がある反面、毎年6月と12月の晦日に、半年間に起こった国中の罪の穢れをまとめて遠くに流す、天皇による大祓の行事を行っており、どんな大きな罪でも水に流し、許されていました。  12月は忘年会があり、新たな気持ちで新年を迎えますがますが、この大祓の風習が残っているのだと思います。

天の神々ですら怒る「天津罪」は、次の8個からなります。

1、畔放(あはなち):  畔を壊して水を流し出す事
2、溝埋(みぞうめ):  用水路を埋めて田に水がこないようにする事
3、樋放(ひはなち):  田に水を引く樋を壊す事
4、頻播(しきまき) :  他人の土地に自分の種を撒くこと
5、串刺(くしさし) :  自分の持ち物である事を示す串を他人の土地に刺し奪う事
6、生剥(いきはぎ):  生きたままの馬の皮を剥ぐ事
7、逆剥(さかはぎ):  馬の皮を尻の方から剥ぐ事
8、屎戸(くそへ)  :  大嘗を行う場所を汚す事

騎馬民族である素戔嗚尊が新羅の王子で、日本を征服したという話を信じているお馬鹿さんたちが未だいるようですが、

中国・朝鮮の歴史書にそのような記述は全くないのに対し、日本が新羅や百済を征服した記述は、中国・朝鮮・日本の歴史書にありますし、任那日本府の存在からも、日本側が朝鮮半島南部を支配下においていた事は間違いありません。  

というか、本当に新羅が日本を征服していたなら、朝鮮の正史は大喜びでそれを記した筈であります。  

それと、魏志倭人伝でも倭人の特徴は、稲作と漁業をなりわいとする中国南部の海人族であります。  また、天孫降臨の地が日向(宮崎県)なのですから、中国南部から海流に乗ってやってきたと考えるべきで、天孫の天津族=海津族であることくらい、分からねばなりません。

邪馬台国と卑弥呼-25  苗(みゃお)族 
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/1272.html
邪馬台国と卑弥呼-27  苗族の天岩戸伝説
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邪馬台国と卑弥呼-28  自ら太伯の後と謂う
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邪馬台国と卑弥呼-29  苗族の芦笙祭  
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邪馬台国と卑弥呼-30  倭人と刺青
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/1277.html
邪馬台国と卑弥呼-31  苗族の結婚と日本神話 
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邪馬台国と卑弥呼-32  安曇(あずみ)氏 
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/1279.html

もっとも、反日政権の民主党と韓国の間で、任那府や近代の日本による朝鮮支配はなかった事にしようと、歴史を捏造しようとしているようですが、呆れて物がいえません。

日本が朝鮮半島南部を支配していた証拠資料を列挙しますと、

■「宋書倭国伝」には倭王を新羅・任那・加羅・秦韓・慕韓六国諸を軍事的に支配する「安東大将軍」に任じたと記述してあり、

■「三国史記」には、「397年に百済は倭国に太子を質に出した、402年に新羅は倭国に王子を質に出した」と記述があり、

■「広開土王碑」には、「もともとは、新羅と百済は高句麗の属民で朝貢していたが、倭が辛卯年(391年)に海を渡り百残・加羅・新羅を破り、臣民としてしまった。」と公開した碑に刻まれていますし、

■「日本書紀」にも日本が新羅・百済を支配していた記述があり、全く違った系統の歴史書で話が一致しており、中国・韓国・日本のどの文献にも、朝鮮が日本を支配した記述はありません
 

また、極めつけは、朝鮮の正史である「三国史記」には、新羅の第4代の王は、日本から流されてきた脱解王であるとし、「昔」王朝は日本人がつくったものである事が記されています。

前述の如く素戔嗚尊は新羅に流され、日本に戻ってきた話があり、同じく新羅に流され王となった脱解王の話は似たものがあり、

「三国志」や「後漢書」にも、弥生時代の朝鮮半島南部に鉄鉱石を求めて、日本列島から多くの人々が群れ集まっていたことが記されており、脱解王もそのひとりだと思われます。

製鉄技術を持った素戔嗚尊が何故、日本に戻ってきたのか、その理由は、当時は高温をつくるエネルギー源が木材に限られており、森林の伐採が過ぎ、木材資源が手に入らなくなったため、豊かな森林を持つ、日本にその製鉄拠点を移動したものであると私は考えています。

邪馬台国と卑弥呼-23  日本人新羅王 脱解王
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日本の属国であった新羅と百済
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9.http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/1281.html

2010/12/24

邪馬台国と卑弥呼-34  苗族と鹿信仰  邪馬台国と卑弥呼


中国 海南島  鹿回頭公園(ろっかいとうこうえん)

海南島の鹿回頭公園にある鹿と女性の石像ですが、その昔、鹿を追っていた黎族の男子が、鹿をこの地まで追い詰めた時、鹿が美しい黎族の女性へと変身し、二人は恋をしてこの地で幸せに暮らしたと言う伝説があります。

紀元前26世紀頃、黄帝が蚩尤を破りますが、この時、蚩尤の味方についたのが、九黎族で、敗れた蚩尤民族はミャオ族と黎族に分裂し、長江に逃れ、貴州・雲南省・四川省・海南省などに移り住み、一部の部族が楚や呉を建国しました。 

この鹿回頭公園にあるように、稲作と漁業をなりわいとする海人族である苗族や黎族は、鹿信仰もあったようです。     

大阪の小阪合遺跡では、古墳時代前期の手あぶり土器に鹿や船を線刻したものが出土しましたが、

海人族では、鹿は角の生え替わる時期が稲作のサイクルと一致し、稲の精霊を船が運ぶと信じられており、実際に日本の稲作は海人族によって、広がってゆきました。

日本でも鹿を信仰しており、日本の島々と鹿は深いつながりがあります。  私の推測ですが、おとなしい鹿を食料として乗せた、また、鹿は稲穂を食べてしまうので、島に飼ったのではないかと思います。

魏志倭人伝には、倭人は中国大陸の揚子江沿岸地域にあった呉越地方の住民習俗がよく似ているとしており、天孫降臨とは、黄河文明の漢民族の侵略から逃げた長江文明の人々が南九州に流れ着いたものでしょう。

そこでの地名がいきなり鹿児島、福岡県の志賀(しか)島、広島県の宮島、愛媛県の鹿島、愛媛県伯方島、岡山県の鹿久居島(かくいじま)、兵庫県の淡路島、香川県の小豆島、など瀬戸内海の島々には多く鹿が生息しています。  

ご存知、奈良県の奈良公園には多くの鹿が生息していますが、鹿は春日大社の神使であり、春日大社創建の際、茨城県にある鹿島神宮の祭神・武甕槌命が神鹿に乗ってやってきたと伝えられています。  ちなみに、鹿島神宮の祭神・武甕槌命は、天孫の天(あま=海)津族の中臣氏(後の藤原)の祖であります。

ここでも鹿島で、日本では鹿と島の関係が深いことが分かります。


奈良公園の鹿

鹿が可愛いのと怖いのが混在すると、人は笑ってしまう法則

鹿と外国人観光客の皆様 
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When Deer Attack! 
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El ataque de los ciervos en Nara 3 
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miyajima 
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奈良公園の鹿と可愛い女の子
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おかあさんと一緒!@奈良公園 その210 
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おかあさんと一緒!@奈良公園 その207 
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母乳を飲む子鹿ちゃん 
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2010/12/25

邪馬台国と卑弥呼-35  海照大神  邪馬台国と卑弥呼


セグロウミヘビ

天照大神は、もともとは海神で、海を照らすものでありました。  三輪山に祭られた大物主神が海面を照らしながら、この世にやってきたとする神話があり、佐太神社などには、海を照らしながら訪れる海蛇を祭る風習があります。 

佐太神社
http://sadajinjya.jp/

この海蛇はセグロウミヘビで、神在月になると佐陀の浦(鹿島町古浦海岸)には、南洋から暖流に乗ってやってくる竜蛇が出現し、これが佐太神社に奉納されるようになりますが、この竜蛇信仰は、海の彼方から寄り来るという古代信仰(マレビト信仰、海の果ての常世国から豊饒をもたらす神、対馬海流がもたらす南方文化への憧れと信仰)を伝えるものであります。

これは、海照から天照への変化は、邪馬台国や大和朝廷が太陽信仰を受け入れたとき、海照大神を太陽神に転化したものと思われます。

纏向遺跡は、蛇信仰の三輪山のふもとにあり、纏向遺跡の中にある卑弥呼の墓とされる箸墓古墳にまつわる興味深い話があります。

邪馬台国と卑弥呼-1  邪馬台国の場所・卑弥呼の墓はどこか  
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邪馬台国と卑弥呼-26  蛇信仰
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/1273.html

三輪山の伝説では、大物主と倭迹迹日百襲姫(ヤマトトトヒモモソヒメ)が結婚しましたが、この神は闇にまぎれて毎晩通ってくるだけで決して姫に姿を見せようとしませんでした。 あるとき、姫があなたの正体を知りたいと言うと、大物主は明日の朝に姫の櫛を入れる小さな箱にいることにすると宣言。 そして朝に、姫が小箱を覗くとなかには美しい小さな蛇がいました。 姫が驚くと、大物主は馬鹿にされたと怒り、山に帰ってしまい、恥じた姫が尻もちをつくと、たまたまそこにあった箸がホト(女陰)を突いて死んでしまいます。 その姫を埋葬したのが三輪山のふもとにある箸墓で、日本最古の前方後円墳可能性がある古墳です。  古代エジプトでもそうですが、蛇は男性器をイメージします。

つまり、三輪山の神である大物主が怒って山に立てこもった後、大和朝廷のシンボルである前方後円墳が誕生するという、大物主から初期大和朝廷(邪馬台国)への主権の委譲があったと見るべきでしょう。

 

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2010/12/26

邪馬台国と卑弥呼-36  犬頭人  邪馬台国と卑弥呼


魏志倭人伝には、倭は 「有無するところ、擔耳(たんじ)・朱崖(しゅがい)」と同じとありますが、擔耳・朱崖は中国の海南島を指します。  

中国の江南地方の半農半漁民族の伝説には、国初めに帝が約束を守って、自分の娘を大手柄を立てた犬頭人の妻としましたが、頭が犬なので布を持って頭を隠した。 そして、その子孫がいまも頭の前に布の面影であるふさを下げているのは、祖先の教えを守っているためであり、

元日・即位・大嘗祭(だいじょうさい)などに、宮門を守る隼人(はやと)が犬の遠吠をおこないますが、延喜式の隼人条には、紅いはくの肩布(ひれ)をつけたことが記されています。

犬祖伝説は、江南地方から日本伝えられたもので、今でも海の神を祭る豪族である安曇氏に関連する地方、安曇(=安曇野、渥美半島、熱海、厚見、阿曇、阿積・泉など)の地名のつくところの一部では、赤ちゃんが生まれると、額に犬の文字を書くところがあります。


シリウス(おおいぬ座)

シリウスは、ギリシア神話に出てくるオリオンの飼い犬であるSeirios(セイリオス:光り輝くもの)から名づけられたもので、DOG STAR とも呼ばれ、DOGを反対から読むとGODとなり、西洋では神の星という意味をも持ちます。

エジプト神話では、オリオンは「オリシス」という男神、シリウスは「イシス」という女神にたとえられています。

中国でも、シリウスは天狼(星)とされていますが、ギリシアの星座、おおいぬ座が伝わったものでしょう。  日本では、青星や犬星とも呼ばれます。


エジプト  犬の頭をしたアビヌス神、その守護星はシリウス

世界中のピラミット遺跡の信仰の対象は、太陽であったと言われており、エジプトでは太陽神「ラー」が信仰されていたとされていますが、実は太陽神は、わかりやすく大衆のために、後につくられたものであって、それ以前は全て「シリウス信仰」であったという説があります。

イシスはシュメール語ではイナンナ、メソポタミアではイシュタ、アッカド語ではイシュタルと呼ばれ、性愛、戦い、豊穣の女神とされている「イシュタル」をさす言葉。

そのイシュタルには背中に翼があり、体にはウロコがあったので、「翼を持つ女神」とも呼ばれ龍蛇神でもありました。

イシュタル神

これは、シュメールの最高神アンの娘イシュタルですが、2匹の獅子をしたがえて、2羽の鳥(フクロウ)を従え、王冠を被り羽を付け神紋を持っています。 彼女自身も羽を持ち、鳥の足をしています。 この像から連想できるのは、西洋において、幸運のシンボルとされるフクロウの起源と、そして日本の神社の起源です。

神社にはまず鳥居(ヘブライ語でトリイは門のこと)という大きな門があり、神である彼女と聖霊のようなお付の鳥がそこに舞い降りてくる。 そして神社を守っているのは、2匹の狛犬(獅子)であるというように、まるで日本の神社の原型そのものです。

女帝、卑弥呼と日本の神道、鳥居、そして犬(=シリウス)は、シュメール神話がギリシアはじめ地中海地方や、中国を通って、日本に伝わったもので、大陸では異民族による侵略が頻繁にあり、これらの風習などは全て破壊されたのに対し、

現存するロイヤルファミリーでは世界最古の歴史を持ち、日本建国以来、同じ血筋を持つ天皇家を抱く、安定した極東の島国の日本には、伝わってきた世界の文明・伝説が残され、それらが融合され、日本独自の文明・習慣が創られているように思います。

シュメール文明 と 日本
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天皇家の紋章
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天皇家 もう一つの紋章
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日本文明
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