あなたが知りたいことは… | イエスとスピリチュアリズムと地上の兵士(わたし)

イエスとスピリチュアリズムと地上の兵士(わたし)

苦しみや悲しみが不幸ではありません。霊的真理を知らずにいることが最大の不幸です。
間違いや失敗で願いが叶わない人生が残念な人生ではありません。霊的成長せすに終わる人生が最も価値のない人生です。
真の幸福のために、ともに学びましょう。

以前、私は親しくなった人によく聞いていたことがあります。

「あなたにとって、“生きる”って何?」



スノボ―が何よりも好きで、
知らない人ばかりのメンバーでもスキー場まで連れて行ってもらえるなら、
誰とでも行動できる女性は、
『生きるとは食べること』と答えました。
…とても本能的…

『呼吸をして、生活をすること』と答えたのは、
小学生の時、野球中継を一緒に見ていた父親が興奮し過ぎたせいか、急に目の前で倒れ救急車で運ばれた病院でそのまま亡くなった経験をした男性。
(子どものころの記憶なのであやふやですが、本人は興奮したことが死因だと思っています。)
この地上界がすべてで、地上界に存在することが一番重要。

大変な子煩悩の男性は、『横と縦のつながり』と答えました。
子どもをとても可愛がっていましたが、
離婚したため子どもと離れて暮らしています。
最も愛おしく最も遠い存在の子ども。
人のつながりが一番大切。
家庭を維持していたなら、違った答えになっていたかもしれません。

『日常を繰り返すこと』と答えたのは、肝臓がんになった知人です。
長い入院生活でわかった、当たり前と思っていた健康と日常の有難さでしょうか。


そのころの私にとって、『生きるとは考えること』でした。

私にとって地上世界は、さまざまなことが納得できない世界でした。
なぜ、こんな世界に生きなければいけないのか。
私がいなくても世界はたいして変わらないのに、
なぜ私はここに存在しなくてはいけないのか。
答えを見つけられず、同じ思考をぐるぐるしている時に、
ふと、
 “一体、人は何を思って生きているのか”を知りたくなったのです。

いろいろな人に聞きましたが、同じ答えはありませんでした。
そして、そのどれもが正解とは思えませんでした。

わかったことは“自分の体験したことでしか、生きる意味を考えられない”でした。




今は理解できます。

自分がなぜここにいるのか。
地上世界が不公平で理不尽なのはなぜか。
私の目的は何か。
本当の幸せとは何か。

人間の知性では辿りつけない答えです。
しかし、答えは単純で素朴です。
問題は受け入れられるか受け入れられないかだけ…


地上の人間がその本来の姿で生きていくには、
神の摂理、霊的真理を理解する以外にないからです。
盲目でいるよりは見える方がいいはずです。
聞こえないよりは聞こえた方がいいはずです。
居眠りをしているよりは目覚めていた方がいいはずです。

(古代霊は語る P43/1)