因果律 | イエスとスピリチュアリズムと地上の兵士(わたし)

イエスとスピリチュアリズムと地上の兵士(わたし)

苦しみや悲しみが不幸ではありません。霊的真理を知らずにいることが最大の不幸です。
間違いや失敗で願いが叶わない人生が残念な人生ではありません。霊的成長せすに終わる人生が最も価値のない人生です。
真の幸福のために、ともに学びましょう。

物的尺度で見るかぎり、世の中は不公平と不正と邪道と力の支配と真実の敗北しか見えないでしょう。当然かもしれません。しかし、それは極めて偏った、誤った判断です。」(古代霊は語るP112)

私たちの住む地上は、力のあるものが自分の欲望を満たすこととさらに力を得ることに懸命になり、力のない弱者はどこまでも虐げられ力のある者の犠牲となっています。
力のあるものは社会からさまざまな特権を得て優遇されるが、貧しい者や弱者には特権も優遇もありません。あったとしてもわずかばかりです。
不幸な者を顧みることもなく、思いやってやることもせず、なかったこと見なかったこととし自分とは関係ないと思っている多くの平凡な人々。

国家単位でも同じです。
先進国などの大国が発展途上の国々を自国の繁栄のために利用し、搾取します。
先進国の国民は自分たちの快適な生活が、後進国の国民の犠牲や過酷な重労働によって支えられていることを知らず無関心です。

これがこの地上の現実です。
なんて不公平で不平等な世界でしょうか。


しかし、シルバーバーチはこれを「極めて偏った誤った判断」だと言っています。
この現状を容認しているのではありません。
仕方ないことと諦めているのでもありません。

物的尺度=地上という狭い世界だけの出来事とみること

地上で生きる期間だけで幸不幸や損得や収支をつけようとするから、不公平で不平等に思えるのです。

地上の有限の世界ではなく、無限の霊界を視野に入れて考えてみるのです。

地上では必ずしも正義が勝つとはかぎりません。なぜなら因果律は必ずしも地上生活中に成就されるとはかぎらないからです。ですが、地上生活を超えた長い目で見れば、因果律は一分の狂いもなく働き、天秤は必ずその均衡を取り戻します。」(古代霊は語るP112)

摂理違反を犯した者には重さに応じた刈取りが用意され、
摂理に沿った行為をした者には霊的成長を、
本人に理由のない苦しみや困難を被った者にはそれなりの埋め合せが用意されます。

神様はすべての者が平等になるように摂理を創られました。
隠し事も取繕いも言い訳も通じません。
それが因果律です。