そんな間にも、いつかの白昼夢に関連する夢をいくつか見た。廊下で寝ている場面はほぼ一緒だが周囲がマシン室になっている夢。寝ている人が自分ではないような気がして、しきりに顔を覗こうとするのだが、なかなか顔を確認できない夢。空港と病院を一緒にしたような施設の中で財布を探している夢。
私は、これらの夢の意味をあえて探ろうとはしなかった。そういう姿勢は、自分が高校生の時に、こんな妙な癖から抜け出ようと決心して以来、まったく変わっていない。これから先のことが読めたからといって、何が楽しいのか。知った上での行為と知らずにした行為を比べるなら、後者の方がずっと価値が高いではないか。自分の未来を見ることを拒絶することでボヘミアン的な人生になったとしてもかまわない。いや、それは望むところだ。自分の意思で精一杯生きたことには変わりないのだから。
そんな気分を貫いてきたので、次々に関連夢が現われても動揺することはなかったが、一度は完全に縁を切ったと思っていた予知夢がこうやって襲ってくるには、それなりの理由がありそうだった。無意識とか潜在意識といったものが本当に存在するとしたら、そこから表層意識に向けて必死で何かメッセージを送り続けているのだろう。おそらく、自分がいま何かの転換点に立っていることだけは確かのようだった。
息子が生まれた翌年、お盆休みを利用して孫を見せに妻と帰郷した。母親は大喜びで息子を抱いていたが、父親は病気が長引いて弱っており、終始不機嫌だった。実家の自動車を借りてあちらこちらにドライブしていたが、これまでの子育てで苦労してきたせいか、妻はこの束の間の息抜きを心から楽しんでいる様子だった。
五日間の休暇はすぐに終わりとなった。最終日、空港へ向けて出発する前に、父親に別れを言いに隠居家に行った。父は縁側の廊下に腰を下ろし、外をぼーっと眺めていた。私が、今から東京へ戻るからと告げると、黙って頷いた。それ以上、何も言うことはなかったので、立ち上がって退去しようとすると、父は急に私の方を見て、ぼそりと言った。
「オレはもう死ぬよ」