夢と人格 | ゴトーを待ちながら

ゴトーを待ちながら

尽きかけている命の日々に、こぼれていく言葉のいくつか。

 土曜日の夕方から降り始めた雨は、日曜日の昼過ぎまで続いた。
 赤城原は、気分がすぐれないまま、ベッドとリビングの往復を続けた。成実は、着想を得たのか、ひたすら木彫りに熱中している。赤城原がベッドで寝ていると、玄関をはさんで向かい合った成実の部屋から時々大きな音がする。思い描いた通りに彫り込めないと、かんしゃくを起こして物を投げるのである。声を出すこともある。
 ベッドに横たわったまま、その音を聴くと、ひどく悲しい気持ちになる。おそらく、十年後、または二十年後、赤城原の身体が弱り、寝込みがちになった時でも、今と同じ光景が繰り返されるのではないか。そう思えるのだ。成実は、今と同様に、特に親身に看病するわけでもなく、食事メニューに工夫を凝らすわけでもなく、ひたすら自分の趣味に没頭している。そんな妻の横で、赤城原は人生の最後の日々を過ごさなければならないのだ。
(それで、いいのか…)自分に問いかけてみる。仕方がないだろう、と思う。孤独でいるよりはずっといい。だいいち、それが最初からの約束なのだ。
 成実は、最初の夫とはまったくそりが合わず、二年程度で離婚している。その夫がどんな人物で、二人の間にどんなことがあったのか、赤城原は何も知らない。小さな観光会社を経営するほら吹き男だったというのが成実の述懐である。それ以上詳しいことは話さない。